凪 恵美さん/柔軟な心で目標に向かえば道は開ける。

凪 恵美(なぎ えみ)さん
松永文庫  学芸員
1972年大阪府八尾市出身。8歳から北九州市門司区在住。近畿大学九州工学部産業デザイン学科を卒業後、転職を重ねる。松永武氏私設の映画資料館「松永文庫」が北九州市へ寄贈された2009年に同館スタッフとなり、学芸員の資格も取得。2013年7月、門司港レトロ地区の旧大連航路上屋内へ移転し、新生「松永文庫」の発展に意欲的に取り組む。

柔軟な心で目標に向かえば道は開ける。

美しいもの、きれいなものに幼い頃から惹かれてきた。人形の服や住まい作りに熱中していた子ども時代。宝飾デザイナーを目指し、仕事へ打ち込んだ時期もある。しかし凪さんがたどり着いた先は、映画・芸能専門資料館の学芸員という生き方だった。「いつも行き当たりばったりで、計画性がないんです」気負いなく笑うが、常に「自分に何ができるか」考え続け、ためらうことなく行動に移す一途で柔軟な姿勢が、彼女の人生を広げてきたのかもしれない。

挫折しても迷っても別の道へ進めばいい

「宝飾デザイナーになりたい」そう教授に頼み込み、オーダージュエリーの宝石店で凪さんが修業を始めたのは大学4年生の頃。進む道がはっきりしているから、と店への出勤を条件に授業も特別に免除されるなど、目標に向かう情熱や行動力は人一倍強かった。製品デッサンや製図を夢中で学び、卒業後もそのままブライダル部門のデザイナーへ配属。忙しいながらも充実した毎日だった。

しかし24歳で直面した大きな壁。「人間関係などすべてに疲れてしまい、勢いで退職してしまいました。なぜ辞めたのかと10年位ずっと後悔しましたが、当時の私に乗り越えることは無理でした」。その後も宝飾関係のデザイナーや販売を続けたが、進む方向と理想とのギャップに気づき、結局ジュエリーの世界から完全に足を洗った。自分を見失っていた27歳、迷いの時期だった。

別の仕事に就こうにも事務経験も何もない。ならば、と職業訓練校で経理事務を習得。知り合いの電気会社で8年間事務員として勤め上げ、出産を機に退職した。子育ても一段落し、再就職に向け動き出した37歳の時、偶然巡り会ったのが「松永文庫」だった。

資料に宿る愛と思いを大切に守り、繋げたい

「松永文庫」は門司区の松永武さん(78)が、戦後60余年にわたり個人で収集し続けてきた映画・芸能関連の膨大な資料を展示・保存する資料館だ。新聞4紙数十年分のスクラップなどもあり、民俗資料館としても貴重な価値を持つ。凪さんは館のパートスタッフになって始めて「松永文庫」の凄さを知った。「とにかく資料が一個人のものとは思えないほどの量と質で、保存状態の良さに仰天しました。60年前のパンフレットからポスター、映画の半券に至るまで、折り目一つなく美しいまま。何も知らない私にさえ、映画に対する松永さんの並外れた愛情と思いが伝わってきました」。

稀少な業務内容に誇らしさを感じる一方で、「映画の知識も自信もない自分に何ができるのか」考え、これらの資料を大切に守り、後へ繋げることが自分の役目と悟った。そして、まずは資料保存の技術や展示方法を学ぼうと学芸員になることを決意。「ずっとここにいたい」その一心で学び続ける凪さんのひたむきな姿は松永さんにも伝わり、いつしか片腕として認められるようになった。

膨大なデータ整理や保管法の充実など今後の課題は山積み。だが、ようやく資料館として充分な環境が整った今、「松永文庫サポーターくらぶ」など映画を軸にしたコミュニティづくりや、趣向を凝らした展示企画と、2人の夢は大きく膨らむ。 美しいものを追い続けた凪さんが遂に見つけた、松永翁の生涯をかけた純粋な魂の結晶。この至宝を後世へ長く残すために、凪さんの本番は今、始まったばかりだ。

written by 編集部