越村 章子さん/障がいのある子どもが 社会の一員として、豊かな 可能性を開花できるように。

越村 章子(こしむら あきこ)さん
放課後等デイサービス『こっしーらんど』代表
『株式会社Cossy』代表取締役、管理者

福岡県出身。教員一家に生まれ、西南学院大学を卒業して小学校教諭一種免許を取得。「タイ国政府観光庁」福岡事務所に22年勤務後、2014年10月に放課後等デイサービス『こっしーらんど』開設。看護師、社会福祉士、介護福祉士などの専門家と共に「障がいのある子どもが社会の仲間として力を発揮し、主役として生きる支えとなること」を掲げ、その方法を追求中。
http://www.cossy.co.jp/

障がいのある子どもが 社会の一員として、豊かな可能性を開花できるように。

陽光があふれ、色とりどりの作品に彩られた空間で出迎えてくれた越村章子さん。太陽のように明るい笑顔が印象的だ。2014年10月に越村さんが開設した『こっしーらんど』は、障がいのある子どもが放課後や学校休業日に利用する「放課後等デイサービス」施設。とはいえ、越村さんはこれまで、まったく別のキャリアを歩んできた。

大好きなタイに関わる職場で家族のため懸命に働いた

大学で教育を専攻し、小学校の講師を経て、23歳で就職したのはタイ国政府観光庁だった。突飛にも思えるが「タイにハマってたんですよ」と笑う。大学生のとき世界37カ国の人が集まる『アジア太平洋博覧会』でアルバイトをして「タイの人に惹かれた」という。「いつも大らかで楽しそうで、こういうのいいなと思ったんです」。

福岡事務所でタイの観光振興を担い、20代はがむしゃらだった。「仕事もプライベートも20代は忙しくて。27歳の頃はキャリアに迷いも感じました」。だが結婚を機に迷いは消え、長女を出産後もすぐ復帰。「家族の生計を立てるため、目の前の仕事を完璧にこなして給与をもらうことが最優先。他の道を考える余裕はまったくありませんでした。一度乗った高速道路って簡単に降りられない…。そんな気持ちでした」。

3年後、次女を出産。産後3カ月で復帰すべく準備も万端だった。しかし娘は生後1 カ月で危篤状態に。「何が起こっているのか、まったく分からない中、担当医の先生の2カ月後の復職を目指しましょうという言葉に救われました」と、思わぬ事態も何とか冷静に受け止めた越村さん。次女は奇跡的に回復し、知的障がいや慢性疾患は残ったものの1カ月後には退院し、越村さんも予定通り復職。その後も次女の入退院を繰り返しながら、夫と協力して子育てと仕事に奔走する日々が続いた。

30代後半も夢中で働く中で「スキルが上回り余裕ができた」と実感。いつしか、当時のポジションで最高年俸を取るまでになっていた。そして、45歳の頃、自らの仕事の集大成といえるタイの観光冊子を作り「ここでの仕事はやり切った」と清々しい気持ちで退職へと踏み切った。

社会に必要だけど足りなかった場所を生み出し挑戦を続ける

次女が10歳になり、学校と家の往復では物足りなさを感じ始めた頃。「放課後等デイサービス」という施設の存在を知り、ピンときた。「自分の能力を出し切り社会に貢献できること。それが私の次の”仕事”だ」と、夫と『こっしーらんど』を設立。開設から半年、今は障がいの種類や程度は様々な6歳から16歳までが通う。「ここは社会の入口。家庭・学校とは違う第三の場所として、自立して生きていくために必要な社会性や主体性を身につけてほしい」と熱く語る。

越村さんが愛おしそうに見せてくれたのは、おもちゃのブロックでできた箱。「利用者のお子さんが携帯入れを作ってくれたんです。障がいの有無で、助ける人・助けられる人が決まるわけじゃない。みんな、誰かの役に立ちたいという思いがあるんです。障がいには、凝り固まった社会を変える未知の力がある」と目を輝かせる。

40代で最高にやりがいのある舞台を作り出した越村さん。最後にこんなメッセージをくれた。「自分探しをしている人は自分だけを見つめるのではなく、周りにどう貢献できるか ”社会実現”を考えてみて。誰かのためなら、すごい力が出るから」。

written by 編集部