平井尚美さん/ここぞという時は限界を ちょっとだけ超えてみる。 その勇気が、成長のカギ。

平井尚美(ひらい なおみ)さん
西部ガス株式会社 北九州支社
営業部 販売推進グループ リーダー
1966年福岡県生まれ。東京女子大学短期大学部卒業後、西部ガス(株)入社。経理部から福岡地区天然ガス切替プロジェクトの立ち上げに携わった後、営業事務やPR部門を歴任。36歳で社内結婚し、出産。1年の育児休暇を経て復職後は「ショールーム ヒナタ」の管理職に昇進。北九州館長時代の4年間は女性の育児休暇取得と働きやすい職場づくりに尽力し、2015年4月から現職。

ここぞという時は限界を ちょっとだけ超えてみる。
その勇気が、成長のカギ。

大手都市ガス企業のショールームで館長を務め、営業の第一線で活躍。加えて社内初かつ唯一の、子育て中の女性役職者。そんなキャリアウーマンらしい経歴に反して、本人はいたってユーモア溢れる自然体。置かれた状況を素直に受け止め、一途に取り組んできた彼女の姿には、しなやかな力が満ちている。

目の前の仕事に、力を尽くす

「四大卒の女性は就職がないから、短大に行って地元の企業で3年くらいお勤めして、家庭に入る」。世間がそんな風潮だった頃、東京で学生時代を過ごした平井さん。世の中にはいろいろな考え方や価値観があることに気づいたが、卒業後は両親が決めた会社へ就職した。最初に配属された経理部は「今考えると大ざっぱな性格の私には、致命的に合っていなかった」。けれども周りに支えられながら業務を覚えた経験が、彼女のベースになっている。

転機は27歳で訪れた。天然ガスへの切替プロジェクトの総務チームへ異動。決められたことを正確に処理する経理とは違い、400名もの大部隊が半年で、北九州から佐世保、福岡へと移動していくタイミングで、事務所の移転、社員の住居や車の手配までを行った。前例がなく、決まったことやなすべきことの答えがないまま、とにかく大勢のスタッフを受け入れるため奮闘した経験で生まれたのは「自主性と責任感」だったという。6年後に営業事務へ異動。オール電化のIH製品が普及し始めた時期だったが、IHとガスの違いに詳しい社員はまだわずか。そこで今度は通常業務を行いながら勉強し、社内中で勉強会を行った。36歳の時には、キッチンメーカー向けに初のPR部隊が立ち上がり再び異動。前例のない仕事でいつもお呼びがかかるため、後輩から「開拓移民のようですね」と笑われたが、「比較される前任者がいないって楽ですよ」と笑い飛ばす柔軟さが彼女の魅力。そして、仕事への真摯な姿勢に期待されていたことは想像に難くない。

結婚しても出産しても働き続けられる社会へ

そんな平井さんも2度、退職を考えたことがあるという。1度目は36歳で息子を授かった時。子どものために家庭に入ろうかと迷ったが、夫は「仕事が好きなら今辞めて後悔するより、復職して無理だったら辞めれば?」とアドバイスをくれた。また、「私達もいるから働きなさい」という実父母の支えもあり復職した。

2度目は東日本大震災の後、北九州ショールームの館長職に異動の辞令が出た時だ。通勤に往復2時間以上かかり、土日は休めず時間も不規則。もしも何かあった時、子どもの側にいられない。不安に押し潰されそうだったが「やってみれば何とかなるもの」で、母の不在時も父子2人で楽しくやっていた。

「私が時短で働くことで部下に迷惑がかかるのはかわいそう、と時短も固辞してきましたが、この働き方は子育て中の社員には無理です。優秀な女性達が結婚し出産しても帰れる職場を作らないと、会社にとっても損失は大きい。職場は人が宝なのだから」。勤務時間ではなく業務内容や結果で評価し、育児中の女性でも昇進できる、効率的な社会の到来を願う平井さん。エネルギーインフラの仕事をとおして子ども達によりよい環境を残すため、彼女のエネルギーは女性達の未来もあたたかく照らす。

written by 編集部