佐野桜子さん/私は何がしたいのか…。 悩みもがいた先にあった 自分らしい幸せの在り方。

佐野桜子(さのさくらこ)さん
『株式会社ブレンダ』 代表取締役、ウエディングディレクター
1975年北九州市生まれ。関西学院大学を卒業後、『株式会社JTB』北九州支店で法人営業を4年担当。2001年から北九州市でウエディングプランナーとして3年勤務。2005年『株式会社ブレンダ』を設立、ウエディングドレスショップ『BLENDA』開業。ウエディングのプロデュース、着物レンタル等も行う。3歳・5歳の男児の母。

私は何がしたいのか…。悩みもがいた先にあった自分らしい幸せの在り方。

福岡市薬院のマンションの1室。扉を開けると、NYのアトリエのような純白の空間が広がっていた。凛としたドレス、煌めきを放つアクセサリー…上質なウエディングアイテムがセンスよく配され、夢の世界へと誘われる。サロンのオーナー佐野桜子さんが気さくな笑顔で迎えてくれた。

やると決めたら一直線

大手旅行会社の法人営業として、バリバリ働いていた25歳の頃。体力の限界を感じて次の道を模索していた。「何をしたらいいか、悶々と悩んでいました」。セミナーに参加したり、本を読んだり、ノートに自己分析したり。1年後、美しいもの・人を喜ばせることが好きという思いで辿り着いたのがブライダルの仕事。ウエディングプランナーに転職した。

お客様の理想を形にする仕事にやりがいを感じた。そんな中「着たいドレスがない」と思い悩む花嫁が意外に多く、夜眠れない人までいると知った。ならば「花嫁の思い描くドレスを作ってあげたい」とドレスショップの開業を思い立った。

とはいえ何のノウハウもない。29歳で退職してすぐ、HPを見て惹かれた静岡のドレスショップへ突然訪問。50代の女性オーナーは親身にアドバイスしてくれた。「あなたにドレスづくりの技術がないなら、できる人の手を借りればいい」。その言葉に背中を押された。幸い、洋裁が得意な母が手伝うと言ってくれたのだ。

貯金をはたいて半年の間、東京でパターンや縫製を学び、銀行から大金を借り、2005年、30歳を目前にしてオーダー&レンタルドレスのサロンをオープンした。広告を出せば人はくると安易に考えていたが、現実は厳しく日々のやり繰りさえままならない。事務所に寝泊まりして心身ともに疲弊。「いつもお金の心配が付きまとい、夜中にガバッと起きて通帳を確認したこともありますよ」と苦笑する。だが、こだわりのドレスや親身な接客が評判を呼び、3年でどうにか軌道に乗った。

起業してよかったと思える

34歳で結婚して、その年に男の子を出産。まさに幸せの絶頂かと思いきや、実際は「一番のどん底でした」と打ち明ける。出産ギリギリまで働き、産後3カ月で無認可保育園に預けたわが子は、すぐ病気にかかり度々入院。思うように働けないもどかしさが募った。一方、資金難でも出産は個人的なことだからと銀行はお金を貸してくれず、業務のトラブルも発生。仕事も子育ても待ったなしで「私が全部悪い、周りに申し訳ないと思いつめ、とにかく辛かった」と振り返る。

あれから6年、子どもの成長と共に徐々にペースを取り戻し、ウエディングのプロデュース事業も始めた。「私自身が結婚し親になったことで、結婚式は家族や支えてくれる人たちに思いを伝える重要な場であり、ふたりが新しい家庭を築く原点だと改めて実感したんです」。ふたりの思いをていねいに聞き、そこから導き出したテーマを全スタッフと共有して形にするブレンダ流のウエディングは、好評を博している。

創業から10年、過酷な経験もしたが「起業してよかった」と明るく言い切る。「自分で何でも決められるし、尊敬できる各分野のプロとお客様のために働けるのは本当に幸せ。13人のスタッフは半分以上が子育て中で、頑張る女性に働く場を提供できるのもうれしい」。そう語る横顔はたくましく、美しく輝いていた。

written by 編集部