樋口 敬洋さん/自分・人・可能性を信じる!マラソンの伴走者としてパラリンピック出場を目指す

樋口 敬洋(ひぐち たかひろ)さん
『樋口歯科医院』 副院長・歯科医師
福岡市出身。九州歯科大学を卒業後、福岡市と東京都のクリニックを経て、2008年「樋口歯科医院」副院長に就任。32歳でマラソンをスタートし、数々の大会に出場。35歳のときに1歳年下の視覚障害マラソン選手・道下美里さんと出会い、伴走を始める。歯科医師の妻と小学生の子ども2人の4人家族。

樋口 敬洋さんへ3つの質問

Q.伴走に向いている人は?
A.相手の立場に立って考えられる人。一緒に走ることを心から楽しめる人。伴走したいという人には、アイマスク体験をしてもらうこともあります。

Q.座右の銘は?
A.素直・謙虚。人の話を受け入れられる人はどんな分野でも伸びますし、自分もそうありたいと思っています。

Q.子どもの頃の夢は?
A.高校生のとき、トップアスリートに携わる仕事がしたいと夢みていました。結局、親と同じ歯科医の道を選びましたが今、期せずしてその夢が叶っています。

自分・人・可能性を信じる!マラソンの伴走者としてパラリンピック出場を目指す

祖父の代から続く福岡市の歯科医院で、副院長を務める樋口敬洋さん。さわやかで優しい雰囲気を醸し出す樋口さんには、もうひとつ別の顔がある。福岡在住の視覚障害マラソンランナー・道下美里さんの伴走者だ。道下さんは25歳で視力のほとんどを失ったが、30歳でマラソンを開始。今年夏のリオ・デ・ジャネイロ・パラリンピック女子マラソンの代表候補(推薦1位)に選ばれている。

ささいなきっかけで始めたマラソン

学生時代は陸上やラグビーに熱中した樋口さん。「コツコツやるマラソンは絶対、自分に向いてない」と思っていたが、東京で働き福岡へ戻ることが決まった32歳のとき、「思い出づくりに軽い気持ちで」東京マラソンにエントリー。全くの初心者で数カ月練習の末、大会に出た。「きつかったけれど、沿道の100万人の大声援を受けて、とても楽しかった」。たちまちマラソンのとりこになった。

福岡に戻り、早朝に大濠公園を走り始めると、若者からシニアまでマラソンランナーの輪がどんどん広がった。道下さんと出会ったのは2011年。「当時、女性の市民ランナーや僕と同じくらいのいい記録を持っていて、すごいと思いました」。その年の暮れ、道下さんが「山口100萩の往還マラニック」の70㎞に出たいのに、山越えが危ないと周囲に反対され、伴走者も見つからないと知った。その大会に出たことのある樋口さんは「僕が案内できますよ」と申し出た。とはいえ、伴走の知識も経験もゼロ。まず盲人マラソン協会のサイトや視覚障害ランナーのブログを読みあさった。

どんなことも自分次第で道は拓ける

想像してみてほしい。目が見えない状態で、山道を含む70㎞を走ることを。道下さんには伴走者の声と、ふたりで握る50㎝のロープだけが頼りだ。伴走者は走りながら「30m先右に曲がる」「いちにのさん、降りる」などシンプルな言葉をかける。うまくいかないと転倒する恐れもあり、伴走者には並々ならぬ集中力が必要とされる。「どんな声かけがいいか意見を出し合い試行錯誤を繰り返し、よかった経験を積み重ねました」。そうして臨んだ本番では、1度も転倒せず好成績でゴールイン。「最高に楽しかった」と振り返る。

「僕ら〝チーム道下〟には多くの人が関わっています。みんなでやることで喜びは何倍にもなる。彼女が見えない分は僕がガイドして、気持ちの面は彼女が引っ張ってくれる。彼女ほどの努力家に会ったことがない。年下だけど尊敬しています」。

「マラソンを始めて人生が変わった」と言う樋口さん。「自分を信じ、人を信じ、可能性を信じる。何事も環境のせいにしてはいけないと積極的になりました。伴走はボランティアや社会貢献ではなく、僕が心から楽しいと思うからやっているだけなんです」と気負いはない。一方で、「視覚障害者は伴走者がいないと走れない。走りたい人がたくさんいることを知ってほしいし、伴走者も増えてほしい」と力を込める。

樋口さんの長男には知的障害がある。「道下さんから前向きに可能性を追求する姿勢を学んだ。今年のパラリンピックで伴走者の役割はひと段落します。今度は息子の得意なことを伸ばしていきたい」。父親として伴走者として医師として、樋口さんは信じる道をひた走る。

written by 編集部