1964年東京オリンピックと日本経済の背景 パート1

リオデジャネイロオリンピックが開幕しました。
また次の2020年オリンピックはいよいよ東京で開催されます。今回は1964年東京オリンピックと日本経済の背景と題して、二話に渡ってお送りしたいと思います。

<パート1>
未曾有の被害を被った大東亜戦争(太平洋戦争)から奇跡の復活!!
わずか19年で新幹線とオリンピックを成功した日本のサムライ

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さて、私事ですが、自分が歴史と経済に興味を持ったのは、大河ドラマの影響からです。
幼いころは、ウルトラマンや仮面ライダーが大好きでしたが、日曜日の夜になると大河ドラマを家族で観ていました。

中でも、私の歴史好きに火を付けたのは、渡辺謙さんが主演された「独眼竜政宗」、横山光輝さん原作漫画「三国志」、そしてプラモデルでの「戦艦大和」でした。

この三つに夢中になった少年時代、歴史を好きになったことから、深く調べる癖が付いたのだと思います。大河ドラマでは、主演の政宗よりも、勝新太郎さんが演じた「豊臣秀吉」の威圧感(これは過去のあらゆる大河ドラマにおいても最高の配役だと思います(笑))や、戦艦大和の構造を勉強したり。。。(当時小学生4年生で(笑))

兎にも角にも深く深く調べていくことが好きになっていました。
観るスポーツにおいて、好きだった野球やサッカー、プロレスや相撲、F-1など、実際に行ったり観たりすることも去ることながら、そのスポーツの歴史を調べたり、好きになった選手の生い立ち、各種記録に夢中になったり。。。こう言ったところからも、今の自分が歴史好きでよかったなと思います。

さて、話がそれ過ぎて申し訳ありません。
私が歴史や経済に関して、単純に「好き」という趣味分野だったものを一変させたことが1964年の東京オリンピックの背景を知った時でした。

1964年、当時の日本は戦後からわずか19年しか経過していません。

1945年8月15日、終戦した日本は未曾有の損害でした。
戦争に至った経緯などについては、別途また機会あれば書きたいと思います。

戦争がいけない!
平和!
命が大事!

というのは当然です。
戦争は絶対に避けねばなりません。
では、当時の日本はアメリカと本当に戦争がしたかったのでしょうか?

前のコラムで書きましたが、何事も望遠鏡を見ながら顕微鏡を観なくてはなりません。

事実、日本政府は日米交渉というアメリカと戦争を避ける交渉を数十回も行っています。
日本側の交渉録などでは、戦争回避するための譲歩案の提案は日本側が圧倒的に提出しています。

忘れてはならないのは、当時、日本は国際連盟の常任理事国までなった大国でありました。米国は国際連盟を提唱しながら、連盟には入らない、といった国でした。よって、現在のように米国に軍事依存している日米関係では事実上の上下関係となってしまうことも多いのですが、

当時はいわゆる大国同士です。

しかし、結果的に戦争に至ってしまったこと、敗戦の責任は当然ながら当時の政府にあります。

また、アメリカのような国力がある国と戦争して!!
観たいと言う人もいますが、これも望遠鏡・顕微鏡を見ていない人です。

日米戦開戦前、軍事的能力では圧倒的に日米では日本有利です。
それは歴史が証明しており、ロンドン軍縮条約では、英米はドイツとソ連対策を行うために日本懐柔策をとっています。
日露戦争・第一次世界大戦において、当時の日本海軍の強さは世界中が知っており、世界中の海軍軍人が東郷平八郎元帥を尊敬していたのですから。

よって、米国のような国力がある相手と戦ったからいけないんだ!というのは違うのです。
国力を言うならば、日露戦争は?となります。
日米差よりも、日露戦争時の日露の差の方が圧倒的に開きありますから。
また、ベトナム戦争では、まだまだ発展途上だったベトナムが世界最強の米国と戦って勝っています。

結果論で語ったり、木を見て森を観ず的な話が多いのが歴史論評です。

繰り返しますが、戦争は絶対に避けねばならないのは当然です。
しかし、避けられない事も歴史的にあるのです

戦争は、必ず相手が存在します。
自分がやらない!と決めても、相手が起こす気だったら、避けることは難しいのです。

さらには、本当に命を最優先で考えるならば、子供の命が危険というのに、なぜ命がけで助けないのでしょうか?

インドのガンディーは命を賭して「非暴力」を貫き、ついにはインド独立をイギリスから勝ち取りました。

命を無駄にしろ、とか、戦争は仕方ないとかの低い次元の話ではなく、何を持って優先しなければならないのか?何を守らねばならないのか?
そういった視点も歴史論を語る上では忘れてはならない大事な視点でしょう。
(人道的・道徳的な話は別として)

結果として、敗北を喫した日本は未曾有の損害を出しました。
大戦末期、米国の明らかな国際法違反による輸送船攻撃、都市空爆、そして原子力爆弾を2回も使用するなど、これ見よがしの攻撃を行いました。

敗戦した日本は、亡くなった方が軍民併せて300万人を超えました。
島国の日本としては海上輸送は命綱にも関わらず、保有船舶の80%を消失、日本の主要都市は国際法違反による無差別爆撃により、丸焼け。

また、保有していた海外領土を全て失い、帰国した人などで国内は一気に失業者であふれ、一時、失業率は30%を超えました。

このように、経済学的には回復不能ではないのか、とさえ言われた我が国ですが、ここから奇跡の復活を成し遂げます。

繰り返しますが、
未曾有の大損害を被った敗戦から、わずか19年でこの国は新幹線を走らせ、オリンピックを成功させ、経済大国に上り詰めたのです

それはまさに、国民一人一人が「飲まず食わず」に一生懸命働いた結果なのです。
この学問では、解明できないのではないか!?という奇跡的な復活こそ、私が歴史と経済を研究するきっかけとなりました。

今回は、1964年東京オリンピックが開催されるまでの歴史的背景についてでした。
次回は、具体的にどのような経済対策で日本は復活したのか?という点を語りたいと思います。

文/西坂智成

プロフィール

西坂智成
株式会社Brain Communications代表取締役
産経新聞西部本部 電子新聞販売顧問、「ジャーナリスト井上和彦」海外取材・講演企画テクニカルオペレーター、ファイナンシャルプランナー

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福岡県嘉麻市出身。地元高校卒業後、大手スーパー、地場コンクリート会社、外資系生命保険会社を経て、企業会計分析・創業支援コンサルタント、ファイナンシャルプランナーとして、「新聞経済欄が理解できるようになる」経済塾を開講。

また、会社経営の傍ら、ジャーナリスト井上和彦氏のオペレーターとして師事し、日本の近現代史の真実を広めるため、井上氏と共に積極的に海外取材を行う。

http://www.brain-com.jp/

written by 編集部