銀杏の匂いー女の怪談 Vol.2ー

 銀杏のの匂い

 天神の繁華街に銀杏が落ちる道がある。
 季節になれば、そこは落ちた銀杏が人々の足の下で潰れ、擦り込まれ、何とも言えない匂いを絶ち上らせていた。
「私、この匂い嫌い」
 ランチの帰り道、天神のオフィスで働く咲は同僚に苦笑しながらに言う。踏んだときのぬるっとした感触も咲は大嫌いだ。
「食べれば美味しいけどね」
「あれは種でしょ。でも潰れた実の匂いはどうもね」
「わかるわかる」

 オフィスに戻って給湯室に行くと、プンとさっき匂った銀杏の匂いがした。
「あれ? 靴にくっついたのかな?」
足を曲げて黒いローヒールの裏を見る。
「なにもない……よね」
 それにさっきまで匂っていたものも消えていた。
「気のせい……?」
 にしては、きゅうっと頭が締めつけられるような痛みを呼ぶような臭さだ。が、そのときは大して深く考えないでいた。

「あ、また……」
 翌日、また給湯室で銀杏の匂いがする。
「絶対したよね」
 今度はゴミ箱や三角コーナーを確かめてみる。それでも銀杏らしき影も形もない。
「また匂いが消えた……」
 それからも何度かそういうことがあったけれど、いつもふわっと匂って、すぐ消える。そんなことが続いた。

 ある日――。
 廊下の通りすがりに、ふわりと銀杏の匂いが漂う。給湯室以外で匂うのは初めてだったから、ハッとあたりを探した。
「どうかした?」
 すれ違いざまに振り返ったのは上司の鈴木さんだ。
「いえ……ちょっと忘れ物を思い出したので……」
「そう。思い出させて良かったね」
 鈴木さんは背中を向けて歩き去る。その後ろ姿をしばらく見送った。
「やっぱり……する」
 今度は確実に銀杏の匂いを感じる。鈴木さんから、そのすえた匂いは漂ってきていた。
 ただ同僚に聞いても誰も鈴木さんからそんな匂いは感じたことがないと言う。それどころか給湯室でも匂いを感じたことがないと言われた。
 鈴木さんは男の人には珍しく給湯室で自分用のお茶を淹れることが多いこだわり派の人だ。だから匂うのかと思ったのに、これじゃあ匂いの幽霊だ。
「一体、この匂いは……」
 咲は首を傾げるばかり――。

 しばらくして鈴木さんの家から死後何日も経った遺体が見つかったとニュースに出る。長く患っていた母親らしい。
 それを聞いてあることを思い出す。
 そう言えば、死体は熟れ過ぎた果物の匂いに似ていると読んだことがあった。それはもしかしたら銀杏の匂いにも通じるものなのかもしれない。あのすえた熟れ崩れる匂いに――。

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作者:日野光里のプロフィール

written by 日野光里