オフィスの怪 後篇ー女の怪談 Vol.6ー

女の怪談 稲荷

「このオフィスビルがおかしいの?」
 私の返しに沙織は驚いた顔をした。
「まさか気付いてなかったの?」
「おかしなことが多いとは思ってたけど……どこにでもあるのかなって」
 忌椅子と寿椅子も同じビルだ。このオフィスビルに来て、死者の匂いを嗅いだり、傷口から歯が生まれたり……。赤ん坊の泣き声が聞こえたり……。怪異は確かに頻発する。なにより、咲の会社にはおかしな風習があった。
「箱当番も関係あるの?」
 女性社員にだけ持ちまわりさせられる玉手箱を保管するという役目。
「あれって封じてあるんじゃないかなあ」
「詳しいのね。それも拝み屋をしている久留米のおばあさんからの受け売り?」
「……おばあちゃんが知っているのは神様を引っ越しさせたこと。あの稲荷社よ」
 沙織は綺麗に整えられた指先で上を指す。
「本当は持ってきてはいけなかったんだろうね。あの社……山そのものを鎮めるために建てられてみたいだから」
 その山ではとある事故でたくさんの人が死んだらしい。
「さっき……階段に霧が出るって言ったよね。それってまるで山の中みたい」
「そう。稲荷社は山に帰りたがっているんだろうね。このビル自体を元いた山みたいにしたいんじゃない? 天神のど真ん中だけどね」
「だから、おかしなことが起こるの?」
「こういう場所って磁場が狂ったみたいに……なっちゃうんだって」
「戻せばいいのに」
「戻したら、せっかく強い力を持つお稲荷様のパワーを会社がもらえなくなるらしいよ。座敷童子みたいなものだから。でも、あんまりおかしなことが続いたから、調整で玉手箱を回すようにしたんだって」
 あれはそういうものかと問うと、あれはそういうものだと返された。あの箱は悪意を吸い取り、それを鬼の角に変えると言う。

 次の箱当番が咲に回ってきたときのことだ。手に頂いた箱から小さな音がする。

ことり。

 ああ、これが鬼の角の音なのか。ずくりと掌の傷が疼いた。この傷は生ませてもらえなかった子の父親を刺そうとして争ったときの怪我だ。じゅくじゅくと膿んだ傷跡が、また今にも泣きながら小さな歯をこぼれ落ちさせるような気がする。
 鬼の角だと言われた箱からの音が、咲には乳歯の転がる音にも聞こえていた。それを確かめようと咲は箱を縛る博多織の組紐に手をかける――。

 それから十年が過ぎた――。
「はい。今週は佐々木さんが、お箱当番ね」
 結婚せずにそのまま会社で働いていた咲は後輩に箱当番を回す。
 彼女が持つ間、箱が音を立てなければいいけれどと咲は十年前のことを思い出して、ひそかに溜息をついた――。

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作者:日野光里のプロフィール

written by 日野光里