私の義理家族と日本人の私。

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 今回は私自身のことを書いてみよう。アメリカに来て10年になるが、今でも思いもよらない考え方に戸惑ったり開眼したりを繰り返している。例えば私の義姉一家のこと。彼らがまあ、オソロシイほど気軽にちょくちょく「そちらに泊りに行くよ!」という連絡をしてくる。しかも「明後日」とか、かなり急な場合も多く、連日締め切りに追われている私は、遅くに仕事を終えた後、夜中まで掃除にバタ狂う。

 義姉一家が来る日、私は部屋の掃除を完璧にするのはもちろん、トイレや浴槽は特に念入りに磨き上げる。夫は「僕の家族はただ僕たちに会いたくて来るのに」と言うが、有無を言わせぬ怒り顔で夜中まで働かせる。

 彼らの「襲撃」を快く思えないまま、7年ほど過ぎたある日、私は中華料理店で、幼少期に折れた腕に付けたギブスの話をしている義姉の横顔を見ていた。なんと1年近くも家族にその存在を忘れられていたギブスのせいで、彼女の腕は50歳を越えた今も曲がったままなのだ。それを大笑いしながら話している義姉は、本当に大らかな人なのだった。

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 そして今年1月、私は初めて義姉の家に泊まることになった。義姉は大喜びしていたが、私は忙しい彼女に申し訳ない気持ちもあった。しかし到着して驚いた。「息子の部屋に泊まって」と案内された部屋はゴミだらけで、ぐちゃぐちゃのままのベッドも枕も、ティーンエージャーの息子さんが今朝まで使っていたままだった。お風呂も相当掃除していない感じだ! 私はこれから休む場所の「くつろげなさ感」に絶句したが、同時に笑いもこぼれた。なんだ―これで良かったんだ。

 彼女と私を比べてみたとき、私はきれいな部屋やピカピカのお風呂を準備したが、内心、怒っていた。しかし彼女はどうだろう。きれいな部屋もピカピカのお風呂もないが、心からうれしそうに私を迎えている。自分が客側だったらどちらがいいだろう。人にもよるかもしれないが、私は本心から喜んでくれる人の家の方がくつろげる。ベッドのシーツや枕、掃除道具は持参すればいい。

 日本では心地よいスペースに人を迎えるのもおもてなしの一つだ。それには日本人らしい優しさが込められている。しかし内心怒っているなら本末転倒。私には日本式のおもてなしをする資格がなかったのだ。思えばアメリカ人の家ではかなり気楽に家の中まで通され、散らかっていても家中を案内されることが多い。

 郷に入れば郷に従え―私はちょっと汚れた部屋でみんなを迎えることにした(義姉のレベルには到達できず!)。少し手を抜くことができるようになった今、私には新しい扉が開いた。それはあの大らかな義姉一家の来訪が待ち遠しくてたまらないという、楽しい日々に続く扉だった。

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猪股るー

元アヴァンティ副編集長。2016年1月にロサンゼルスにて広告代理店「Ru-Communications LLC」を起業し、日本企業の全米進出をサポートしている。著書に『愛する日本の孫たちへ』(桜の花出版)、韓国で出版された語学テキスト『チョルムン イルボノロ マルハジャ(今どきの日本語で話そう)』(サラミン出版)などがある。
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written by 編集部