
吉田 恵さん
よしだめぐみ / 1967年、福岡県生まれ。足長や足囲を計測して、足に合う靴を提供する『shoe closet PASSO&(シュークロゼットパッサンド)』代表。事故で片足を失い、義足になったことをきっかけに、靴屋に転身。義足の技術の一層の向上に寄与していくのが夢。
(写真)「ただの靴屋ではなく、足の悩みや義足の情報交換ができる場となっていきたい」と語る吉田さん。
人生なんて一瞬で変わる。吉田惠さんは当時、29歳。短大卒業後9年のOL生活。普通に働き、おしゃれして、恋もして、そんな幸せな毎日だった。ある晩、交差点を横断中、信号無視した猛スピードの車にはねられた。次の瞬間、車は遥か遠くへ。時刻は、深夜1時。何メートル、飛ばされたんだろう。歩道にうつぶせていた。隣は田んぼ、人通りはなし。意識はある。このまま人に見つからなかったら、出血多量で危ない。「助けてー!」声が枯れるほど叫んだ。ふと見ると脚がない。
「私の脚、どこ…?」。
失ったのは脚だけではない
病院に運ばれ、一命をとりとめたものの左脚を失っていた。ひざの少し下まで切断せざるを得なかった。病院のベッドでただ天井を見るだけの日々がはじまった。悲しみや恨みはなく、あるのはただ喪失感だけ。手術のあと2カ月が経ち、看護士さんが入浴に案内してくれた。切断された自分の脚を見て、初めて号泣した。
「私じゃない」。
退院後、さらに脚のない不自由さを実感。今まで当たり前にできたことが何ひとつできない。それでも努力を重ねた半年後、今度は、脚の切断部が骨髄炎を起こした。切断部の神経がなく、皮膚層も通常よりも薄いので、こうした感染症になりやすい。その度にまた少し脚を切断する必要がある。
骨髄炎を起こす度に、脚を切断し入退院を繰り返すこと実に4年。脚代わりである義足も、手術の度に作りなおした。「私の脚の切断面は、皮膚の層が薄いので義足との相性が合わなくて。見た目も私の体の一部と思えず、歩くことさえできなかったんです」。体の一部と思えない義足に喪失感が募り、自分自身が取り戻せなくなっていた。
取り戻したい、その一心で
「自分の一部と思える義足が欲しい」。探し物は、意外にもオーストラリアの知り合いが教えてくれた。イギリスのドーセットという会社の義足をはじめて履いたオーストラリア人に会いに行った。人間らしい脚に驚いた。「これだ!」。渡英し3カ月かけ、新しい義足を得て、彼女の時間は進みはじめた。
事故から8年もの間、正視できなかった記録を振り返り、自分と向き合った。事故後の写真を確認していく作業は、拷問以外のなにものでもない。「自分ではもう立ち直っていると思っていたけど、感情にフタをしていただけだと気がついた」。溜め込んでいた悲しみや悔しさが吹き出した。が、それによって、本当の意味で、失っていた自分を取り戻せた。
新しい足で踏み出した一歩
新しい自分と新しい脚のために新しい靴を見つけようとした。しかし、履きやすさ、サイズ、形、脚や足についての悩みは尽きず、かつ相談できる場所もない。次第に「足に関して困っている人を助けたい」と思うようになり、思い立ったらすぐ行動を起こした。『メリーグラシス』という足と靴の専門店の門を叩いて、働き始めた。靴の構造、シューフィッティングの方法、骨の構造、“足に関する何もかも”をそこで学んだ。そして08年5月、彼女は靴屋を開業。「海外ではピアサポート制度(同じような立場の人によるサポート)が充実しているが、日本ではまだ不十分。障害者でも健常者でも、本当に自分の足に合う靴を履いて欲しい。自分と同じように、足や靴のことで困った人の駆け込み寺になりたい」。靴のコンシェルジュとして第一歩を踏み出した。

左) 左足が義足。手に馴染みやすいシリコンの質感、足の爪や血管の青さの表現など、驚くほど精密に造られている。
右) 店内には、吉田さんが国内外のブランド数社の中から厳選し、一度足を通してみて納得した品質やデザインのものしか置いていない。





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