アヴァンティでは「27歳」を人生のひとつのターニングポイントと捉えています。社会人になって数年、自分の人生はこれでいいのか、もっと他の道がないのかと模索の真っ最中。この頃、悩んだり、一生懸命何かをしたことが、その後の人生につながっていると仮定して、福岡で活躍する女性たちに「私が27歳の頃」をテーマにインタビューしています。 |
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幾田淳子さん/人と人を繋ぎ、笑顔にしてくれる料理の素晴らしさを伝えたい。

幾田淳子さん
いくた じゅんこ さん/1965年、大分県生まれ。キュイジーヌ デザイナー、リクック・レシピエンヌ。九州電力イリス福岡・北九州講師をはじめ、地元企業の講師・食育者として活躍する一方で、飲食店のメニュー提案・商品開発などにも携わる。息子2人を育てるワーキングママでもある。
写真)いつも自然体の幾田淳子さん。ころころと変わる表情や明るい人柄に惹きこまれてしまう。
人と人を繋ぎ、笑顔にしてくれる料理の素晴らしさを伝えたい。
明るい笑顔と親しみやすい話し方。幾田淳子さんは、一瞬にして人の心に入り込んでしまう不思議な人だ。
幼い頃の彼女は、いわゆる“子ども主婦”。母の厳しいしつけもあり、小学生にして料理、洗濯、茶碗洗いなどひととおりの家事をこなしていた。なかでも料理は、「おいしい」という父の言葉が「こんなにも人に喜んでもらえるんだ」とその魅力のとりこになった。料理の魅力にはまった彼女は成長し、病院栄養士として5年間勤務するも結婚を機に退職。その後の10年間を専業主婦として過ごした。
努力が実を結ぶ
彼女の人生を大きく変えたのは「今のまま過ごして自分の人生を振り返ったとき、後悔はない?」という友人の言葉だった。最初は「専業主婦の私に何ができるの?」と戸惑ったが、当時憧れていた栗原はるみさんの影響もあり「私も料理研究家になりたい!」と思うように。息子たちの励ましにも後押しされた幾田さんは、37歳のとき、自宅で料理教室を始めた。そうして料理教室が軌道に乗り始めたころ、ある仕事の依頼がくる。それはIHクッキングヒーターを使った料理のデモンストレーションの仕事。鍋や釜などの大きな荷物を背負い、各地を回る大変な仕事だったが、ただ「お客さんの喜ぶ顔が見たい」と必死だった。「お客様がIHを使いこなせるようにするのが私の使命」と、とにかく自分なりにがむしゃらに働く日々が続いた。
そんな彼女に、ある日担当者が「あなたの“おしゃべり”は人を惹きつける。それを活かしたデモンストレーションをやってみたら?」と声をかける。“自分の武器”を見つけきれずにもがいていた彼女は、素直にそれを受けいれた。するとその助言どおり、彼女のキャラクターはだんだん主婦に支持されるようになっていく。活躍の場を広げていく中でも、彼女は「教わる人と同じ目線に立って考え、傲慢にならない」ことをいつも心においた。そうしてその後も、食のニーズに応えるレシピ開発業務や食品の無駄を出さない料理“リクック”、親と子どもの食育塾 “食の共感体 験”など、「コレだ!」と思ったものにどんどんチャレンジしていく。
人との出会いが次のステージを生む
料理研究家として活躍するなかで「オリーブオイルマイスター」に興味を持った彼女は、オリーブについて勉強するためイタリアへ旅立った。そして旅先のトスカーナでたまたま出会った人たちに、自給自足の心からのもてなしを受け感動。そこで生きる人々の損得なしの生き方や「自分の幸せは自分で決めるもの。人と比べるものじゃない」という言葉に、これまで「人からどう見られているかをいつも気にしていた」彼女の心が軽くなっていった。
自分を肯定してあげること、物事の本質を見ることの大切さに気づき、心を新たにして日本へ戻った彼女。今度は九州大学大学院農学研究院の比良松道一先生とコラボした「食育・元気野菜塾」も新たにスタートさせた。
「人の喜ぶ顔を見られる料理は自分を成長させてくれるし、人と人の絆を深めてくれる。私はこれからも、食卓から愛情を伝えていきたい」。そう語る彼女の新しい挑戦は、今も続いている。

写真左)専業主婦時代。このときはまだ、料理研究家として活躍する自分の姿は想像していなかった。写真右)幾田さんが作り出す愛情料理の数々は、見た目にも心にもおいしく、かつ手軽にできると人気だ。









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