
マリンバ奏者
田代 佳代子さん
たしろかよこ/久留米市出身、福岡で唯一のマリンバのプロ奏者。桐朋学園大学卒業後、CMやアニメーション、舞台の音楽を担当するなど、フリーのマリンバ奏者として活躍。子育てのため久留米へ帰郷、本格的に演奏活動を再開。九州一円から音大受験生が集まるマリンバ教師でもある。本名は斉藤だが「さっきまで子どもの上履きを洗っていた『斉藤の奥さん』から演奏家の自分に切り替えるため」、旧姓で活動している。
公式WEBサイト http://www.marimba-music.com/index.html
優しく、丸みのある音。時に物悲しく、時に躍動的に、測り知れない表現力を持つマリンバ。そんな楽器に、年端も行かない少女の頃から向き合い続けている女性。それが、田代佳代子さんだ。
世界の安倍圭子に師事
小学校1年生のとき、担任の先生が紹介してくれた木琴教室に通った。この出逢いが彼女の人生を決定付けた。中学生で音大に行きたいと考えるようになり、マリンバの本格的な練習を始め、大牟田の明光学園高校に進学。1年生のとき、久留米でマリンバの世界的演奏家・安倍圭子氏のコンサートに衝撃を受けた。「同じ楽器とは思えないような音でした。そのとき、この人に師事しようと思ったんです」。安倍氏が桐朋学園で教鞭を取っていることを知り、桐朋への進学を決めた。週3回は福岡市内へ、月1回は東京へレッスンに通った。「高校3年間は、とにかく音大に行きたいため、ひたすらレッスンの毎日でした」。努力は実った。
子育てに奮闘した27歳の頃
大学4年間は、人生最高の時だったと話す田代さん。「毎晩10時まで学校で練習していましたね」。卒業後も、1年間大学に残って勉強した。23歳で結婚、26歳で第一子を妊娠。妊娠中は体調が常に不安定で、医者からも止められて演奏活動を休んだ。長女を出産後は子どもが気になって演奏に集中できず、仕事を断るようになる。27歳の頃だった。
「ある日、長女が蟻の行列を見ておびえているのに気づいたんです」。東京は子どもを育てる環境ではない。彼女は夫を説得し、共に久留米へ戻った。演奏したり、近所の子どもたちにマリンバやピアノを教えたりしながら、あと2人子どもをもうけた。今では子育ても落ち着き、精力的に演奏活動を行っている。
「東京の演奏会には全国からマリンバファンが集まって来るのですが、九州では山奥の小学校で演奏会を開くことも。服の裾を握って『また来てな』なんて言われると、涙が出るほどうれしい」。彼女はこの地に使命を見つけた。世界中を駆け回るアーティストも良いが、私は地元でマリンバを広めたい。今、彼女の所属するマリンバ・パーカッションアンサンブル「アリエス」は、年間50公演。全国一の演奏回数を誇る。
最愛の父の死。そして…
昨年6月、会社経営をしていた父が「行って来ます」と家を出たきり還らぬ人となった。交通事故。あっと言う間の別れだった。失意と混乱の中、彼女の耳は正常に音を解さなくなった。「すべての音楽に膜がかかったように、くぐもって聞こえるんです。もう、音楽はできないと思いました」。そんな彼女を見かねて、安倍氏のマネージャーがCDを送ってくれた。発売前の、安倍氏のアルバムの音源だった。「その中で1曲だけクリアに聴こえる曲があったんです。車の中で聴いていて、涙が止まらなかった」。その曲は『ウェーブ』。安倍氏が祈りをテーマに作った曲であることを知り、この曲なら弾けると演奏を再開。その後1カ月ですべての曲の膜が取れたとき、何もかもが新しく聴こえるようになっていた。
「父に導かれ、すべてが生まれ変わるのを感じる。今は弾いているときがいちばん幸せ。今年からが、私の本当の出発です。安倍先生が書かれ、まだ世に出ていないオーケストラと2台のマリンバのための曲があり、今は先生と一緒にそれをやりたくてわくわくしています」。近い将来、九州でマリンバがピアノと同じくらいメジャーな楽器になっているかも知れない。彼女のパワーを見ていると、そんな夢も信じられる。

子育て真っ最中だった27歳の頃
公式WEBサイトhttp://www.marimba-music.com/index.html






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