天神3丁目にあるライジング福岡(福岡プロバスケットボールクラブ株式会社)事務 所にて。デスクに向かっている華世さんを、初めて見た。12月23、24日は九電体育館でライジング福岡の試合があるので、そこで彼女に会えるかも。
山本 華世さん
「ライジング福岡」球団代表、テレビキャスター、有限会社 カヨ・システム代表
1964年、福岡市生まれ。中村学園短期大学卒業後、21歳の時にラジオのリポーターとしてスタート。27歳で入籍し、翌年の出産の様子を追った「山本かよの妊娠日記」で日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞した。現在はタレント業の傍ら、プロバスケットチーム「ライジング福岡」の球団代表として無報酬で活動している。
「今思うと、27歳の時はのぼせあがっとったんよね(笑)」。テレビの時と同じ、親しみやすい方言であっけらかんと言い放った。
初めて表舞台に立ったのは21歳の時、KBCラジオ「ひまわり号」のリポーターだった。「1年ごとの契約更新で残る人はごくわずか」。焦りや不安と常に隣合わせにありながら、24歳の時には、ローカル番組『ドォーモ』でリポーターとして起用されることに。「やけぼっくいに火をつけろ」というコーナーで彼女は大ブレイクし、一躍、地元タレントとして有名になった。27歳の頃はまさに仕事がのってきた時、今でいうタレント事務所もたちあげ、会社経営も手がけるまでになったのだ。「もっと色んな人と話したい」とトークレッスンの教室も始め、自分が楽しいと思うことにはどんどん挑戦していった。「名前も知られるようになってチヤホヤされてたからか、何でもこなせるっていう、妙な自信があったんよね」と、当時を振り返って笑う。しかし、「まさに順風満帆、これから!」という時に試練は突然訪れた。
離婚。事業に失敗した夫は、多額の借金を残して姿を消した。子どもはまだ2歳、事務所で働いてくれていた自分の家族の生活も、彼女の肩にかかっていた。その危機感は彼女の仕事意識に変化を与えた。離婚と同じ頃、FBSテレビの新番組『ナイトシャッフル』のキャスターを務めることになり、今までの自分とは違う、キャスターとしての定番イメージを作ろうと必死になった。普段ははかないスカートをはいたり髪にメッシュを入れてみたり、そうしてだんだん、今の「山本華世」ができあがっていった。
「結婚した時、夫が“専業主夫になるよ”って言ってくれたのを断って、彼を社長にしたのは私やけんね。料理も上手かったし、言う通りにしとったらよかったのかも。とりあえず借金も返せてるし、好きやったけん仕方ないとよ」と、当時を振り返る彼女。会社と家を往復するだけの毎日。長く辛い日々だったはずなのに、誰も恨まず、“これも人生”と受け入れる笑顔の裏に、はかり知れない芯の強さを感じた。「華世姉」は、苦難を背負いながら、常に乗り越えてきた本物の姉御だった。

2.ライジング福岡の選手たちと。高校時代にはインターハイ出場、社会人チームでも 全国大会準優勝と、自身もバスケットで輝かしい成績をもつ華世さん。
3.ラジオのリポーターとして活躍していた20代の頃。





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