
2008年アヴァンティ福岡 第12回トークライブにメインゲストで出演!
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「観光の仕事を通して、世界の情報を日本の人たちに伝えたい」という永松真紀さん。ナチュラルで飾らない、ごくごく自然体の雰囲気が印象的だった。
永松 真紀さん
1967年、福岡県北九州市生まれ。東アフリカ・ケニア共和国在住。短大卒業後、20歳で添乗員派遣会社に所属し、添乗員に。その年8月に旅程管理主任者取得。ツアーガイドとして世界中を網羅し、ここにこそ住みたい地がケニアだと思い、1996年より移住。ケニア唯一のプロ添乗員として、アフリカ各国でガイドをしながら、年間の約1/3は日本発のツアーに同行。2005年4月、マサイ族男性の第二夫人となる。マサイをより知ってもらうべく、マサイでのエコツアーや講演活動にも力を入れている。
「まさかマサイ族の人と結婚なんて、夢にも思わなかった。でもプロポーズされた瞬間、この運命に乗っかろうと直感的に決めてしまっていたんです」。そう大らかに話す永松真紀さん。『私の夫はマサイ戦士』という本の表紙に写る女性、その人だ。
「海外を知りたい」気持ちがケニア移住へ
高校時代、初の海外旅行でスイスへ。学んだ英語が通じる嬉しさと、「海外って、構えなくても気軽に行ける場所だ」と気づいた。短大時代には単身ヨーロッパ旅行するほど、フットワークの軽さは当時から変わらない。「その頃から、もっと海外を知りたい、海外に行ける仕事って何かなと考えていて、選んだ仕事は添乗員でした」。
20歳で、添乗員派遣会社に所属。アジア、ヨーロッパ、アフリカなど世界中を駆け回った。そんな中、初めてケニアに行ったのは、意外にも仕事、ではなくプライベートで、だった。自然豊かで大らかな国だと思っていた道中、強盗未遂事件に遭遇。「強盗がいるほどの問題を抱える国」というケニアの実情を目の当たりにした。「もっとこの国のことを知る必要がある」と深く考えさせられ、「ここに住みたい!と思って、移住を決意しました」。その時、29歳だった。
移住後、ケニアの情勢を詳しく知るように。「実はケニアは欧米志向の強い国。都市部では私達と同じような暮らしをしています」その当時、仕事で出会ったケニア人男性と結婚。「生活スタイルは同じだし、何より同じ人間同士。だから出身国は違っても必ず理解し合える、と当時は強く思っていました」。ところが、うまくいかない。「自分のほうが正しいって分からせてやる!」と思えば思うほど、相手とは衝突するばかりだった。「今になって思うと、それは“自分の価値観の押付け”でしかなかった。それでは、うまくいくはずありませんよね」。ただ離婚してなお「彼との結婚で学ぶことは多かった」とプラス思考なのが、永松さんらしい。
“違い”を知ることで、相手を尊重できる。
ケニアを知る中で、永松さんの興味を強く惹いたのが“マサイ族”の人々だった。「彼らはケニアの国がどんなに変わっても、“マサイ族”の生き方、文化に誇りを持っていました。何にも流されることなく生きている彼らを見て、素直に『かっこいい』と憧れました」。しかし、生活も文化もあまりに違いすぎる彼らとは、友だちにすらなれないと思っていたそう。そんな彼女の先入観を打ち砕き、一人のマサイ族男性が、なんとプロポーズ!「彼は『君は日本人だから僕とは違う。でも、君の考えることは、すべて尊重する。君は君のままでいてほしい』と。もうびっくりでした」。自分と相手とは違うから、その違いを尊重してお互いを認め合おう。そんな精神が、マサイ族の人々の考え方のベースにあるそうだ。価値観を尊重し合うけれど、自分の価値観の強制はしない。相手を大切に思うからこそ生まれる“違いの尊重”の考え方に強く心を動かされた永松さんは、05年春、マサイ族の第二夫人となった。
「『同じ人間だから、きっと分かり合える』って一般的によく言われます。でも、実はそうじゃない。人種や出身が同じだからといって、決して相手と“同じ”ではないんです」。自分と相手は違う、と気づけば、人との付き合い方は自ずと変わってくる、と永松さんは言う。今では日本人観光客を対象に、実際にマサイ族の生活を体験するツアーも実施。ケニアを知ると共に、「海外に行くことで、いろんな違いがあることに気づくことができます」。自由に、自在に、ケニアから世界へ飛び回る彼女から、溢れるパワーをもらった。

2.今年4月、マサイ族の夫との2ショット。3.2005年に実施したスタディツアー。ナイロビ最大のスラムを案内し、ケニアの現状を伝えている。
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