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「今回の先生は、フランス文学の教材に中島みゆきをつかうらしい」。そんな面白い話を聞いて、訪れた九州大学六本松キャンパス。裏情報として「先生は大の中島みゆき好きで、呼び捨てにしたら怒る」という噂もあったため、「中島みゆき」のあとに「さん」をつけるのを忘れずに、話を聞いてきた。
意味が全く分からない。
でも面白かったラカンの世界。
先生の専門はフランス文学。ボードレールやランボーといった19世紀の象徴主義、バルトなどの構造主義を経て、今一番の関心はジャック・ラカンにある。精神分析の礎を築いたフロイト後、その再読を唱えた精神分析医であり、思想家でもあった彼の作品は、故国フランスで「ラカンのフランス語訳はいつでるのか?」というジョークになるほどの難解ぶり。だが先生は彼の「精神分析の倫理」を読んで、その面白さに感動したという。
「何が面白かったのかと言われると困るんですが…。私はラカンの言っていることがまったく分からなかったんですよ」。難解、異端児、破天荒。「普通じゃない」言葉ばかりで飾られるラカン像だが、その時以来、先生はありとあらゆる彼の著書を読み漁るようになった。
「ことば」の解釈には
中島みゆきが有効?
文学を読むには「ことば」がとても大事だ。ラカンの理論で言えば「ことば」は胎内で一心同体だった母親と子どもを切り離す役目を担うほど強い意味を持つもの。「ことば」を引き受けて母親と別離し、人は生きていくのだという。先生はこの「ことば」の感覚を教えるために、講義でしばしば中島みゆきの歌を使う。「歌う側と聴く側がナルシスティックに共感」する、今主流の抒情詩ではなく、歌の主体性を消し、曲ごとに違う人物になりきって物語を歌う、彼女の「ことば」に対するカンの良さが解釈にとても良いというのだ。事実この講義は、通路に座って聴講する生徒が出るまでの人気講座となった。「中島みゆきにラカンはいらない、というくらい、彼女の歌を聴くとラカンや象徴主義の文学思想が理解しやすい。コンサートではカリスマ的に観客を引き寄せたかと思うと、次の瞬間には突き放す。そういう姿勢も、精神分析医のそれに重なる部分がありますね。下手な日本語に訳されたフランスの詩を使うよりも、格段に分かりやすいですね」。
中島みゆきとフランス文学の意外な共通点。次回のゼミでは彼女の歌を通してフランスの文学や思想に親しんでみよう。曲や映像を使いながらの講義は、ちょっと異色で面白い、楽しい2時間になりそうだ。
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