アヴァンティ編集部にて。
巧みな話術と自然な笑顔で相手を惹きつける。
長友 佐波子さん
朝日新聞西部本社 福岡本部報道センター 記者
1965年、埼玉県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科を卒業後、1988年に朝日新聞社に入社。秋田支局、千葉支局、東京本社での勤務を経て1995年、「AERA」の編集部へ。2000年〜2001年は、臨時増刊された「AERA FOR WOMAN」の担当編集者を務めた。
「転職や独立は考えていません。定年までこの会社で働きます!」。そう語るのは、朝日新聞社の長友さん。入社19年目のベテラン記者だ。
そんな彼女が入社してすぐに配属となったのは、秋田支局。男女雇用機会均等法もまだ“努力義務”だった時代、マスコミの女性採用も少なかった。彼女も、配属先ではただ一人の女性記者。しかも男性ばかりの警察署詰め、通称“サツ回り”と呼ばれる事件・事故担当だ。
地方の支局には他紙に出し抜かれないよう、泊まり勤務がある。女性用の仮眠室がなかったために泊まり勤務ができなかった彼女は、代わりに毎夜2:00頃まで会社に残り、朝は7:00前には出勤というハードな日々を過ごした。
「“24時間働けますか?”というCMがあったでしょう?まさに当時はそれが当たり前で、休みが欲しいなんてことは言えない。だから、プライベートなんて考えられませんでしたね」。そうして、がむしゃらに働いた秋田・千葉支局での時間は、あっという間に過ぎた。
そんな彼女の転機は、29歳の時に訪れた。朝日新聞社が発行する雑誌「AERA」に異動になったのだ。新聞部門から出版部門へ。いきなりの畑変えに戸惑ったが、新聞とは違って、雑誌は作り手の思いをそのままカタチにできる。そう思うのに、時間はかからなかった。
手紙や投書で直に伝わってくる読者の反応。読者の声から思いつく、斬新なネタ。取材で広がる人脈。楽しくて仕方なかった。「自分の“こうしたい”がそのまま本になる。要するに、自分の好きなことを追求していけば本ができるんだ!」と。楽しいだけでなく、数字もついてきた。下落していた売上げが盛り返したのだ。それはさらに、彼女を突き動かす原動力になった。こうして、雑誌づくりも全力投球。2000年から2001年にかけては、臨時増刊された「AERA FOR WOMAN」の実質的な編集長も務めた。
再び新聞部門に戻った今も、その一生懸命さは変わらない。「紙面には、たくさん考えた言葉の中のほんの少ししか使えない。ただその言葉が女性、男性ともに生きやすい社会づくりの、ピースの一つになったらいい。そのためにも、私はずっと“書く”ことで生きていきたいですね」。

2.バイタリティ溢れる長友さん。街の中でも、情報をキャッチするアンテナを常に張っている。
3.「AERA」の頃。芸能人の撮影で、カメラマンと打合せをしているところ。
2007年03月31日 14:16 | TrackBack









