海外セミナーの渡航前、近所のお年寄りがお守り代わりのカードをくれ、「あなたが頑張ってきたことはよく知ってるよ」と声をかけてくれた。女性でも一人格として認められたくて奮闘してきた中嶋さんには涙が出るほど嬉しい言葉。この人たちが住む地域を良くしたいという気持ちも大きな原動力となった。
中嶋 玲子さん
財団法人福岡県女性財団副理事長兼
福岡県男女共同参画センターあすばる館長
保育園勤務後、結婚を機に退職し、夫の祖父母、父母の3世代同居で農業に従事。農業女性の地位向上を模索し、福岡県女性農村アドバイザー第1期生、福岡県第1回海外セミナーに参加。1995年、99年には杷木町町議会議員選挙に出馬、二期トップ当選を果たし、2002年には九州初の女性町長として杷木町長を務める。2005年より現職。一男一女の母。
「そこが私の席です」。議員時代、中嶋さんは何度もそう言って、末席より2番目の席に座っている年下の議員から自分の席を取り戻していた。年齢順で決まる席の場合、ただ一人の女性議員だった中嶋さんは当然のように末席の扱いを受ける。それでも譲らず、自分の席をどのくらい主張し続けただろう。いつしか席は定着し、名簿の最後だった名前は下から2番目に繰り上がっていた。「反発せずに改革する」ささやかだが大きな勝利。その頃には、周囲が中嶋さんを見る目も変わっていた。
「27歳の頃は“農家の嫁”に適応しようと必死でした」と当時を振り返る。夫の祖父母と父母、子どもとの4世帯同居の中、昼間の農作業に加えて、朝も夜も山のような家事や育児に追われた。だが頑張れば頑張るほど、プライバシーも自分の時間もお金も無い立場に疑問や不満は膨らむばかり。同じ仕事をして帰宅し、男性が畳に寝転んで女性が炊事や風呂の支度をするのはなぜか。自分で作った農作物の値段も流通も知らないとはどういうことか。「長いトンネルの中にいるようでした。農家の女性はただの労働力であり、“個”として意見など聞いてもらえなかったのです」。
女性も自立すべきだ。中嶋さんは現状を変えようと決意、農業の勉強会やPTAへ積極的に参加するようになる。外出に良い顔をしない姑にも「こんな良い講演を聞きました」と伝えた。理解してくれれば外にも出やすくなる。少しずつ根気よく、中嶋さんは農家の慣習やしきたりの縛りを解いていった。その結果、91年には福岡県初代の女性農村アドバイザーとなり、93年には農業の海外セミナーに参加しオセアニアへ。そこで見た明るく開放的な、主従や格差の無い農家の姿に衝撃を受ける。「女性が自分らしく生き、正当な評価を得る姿がありました」。農業女性の立場改革、地域福祉の重要性を掲げて95年、99年には町議選に出馬、二期トップ当選を果たす。「女でも男でもいい」と押されて2002年には九州初の女性町長に就任した。
「男女共同参画社会は一農家の土間の上から始まっています。これまでの努力で農業女性は確実に変わった。女性が変われば地域は変わります。でも男性も変わらなければ社会は変わらない」。“足元の改革者”は男性の変化を熱く呼びかけ、21世紀の大きな課題に正面から取り組み続ける。

2007年05月30日 10:20 | TrackBack









