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研究室のドアを開けると、いきなり視界をさえぎる本の山。今月は、文学の研究をされている九州大学の石川巧氏の研究室を訪ねた。
文学世界の“目線”は
男性? 女性?
先生の専門は近代日本文学。川端康成を中心にあらゆるジャンルの文学を研究対象とし、興味に応じてさまざまな切り口で研究を進めている。“何が書かれているか”ではなく。“どのように書かれているか”という〈語り〉の問題が、先生の研究だ。
「明治、大正、昭和、と女性は文学のなかでいろんな語られ方をしてきましたよね。でも現代、企業で働いている女性というのはあまり主人公になりにくいものなんです」。文学におけるヒロインは、例えば明治時代だと“娼婦”や“女工”、大正時代には“結婚する女”として書かれ、戦前になって看護婦や電話交換手などの職業を持つ女性が登場し始めている。さまざまな時代にさまざまな状況での女性が表現されているが、現代の女性が働いている姿が主人公として焦点化されることは驚くほど少ない、と先生は言う。「文学の世界が、いまだに男社会だからかもしれませんね。男性にはサラリーマン小説や企業小説といったジャンルがあるのに対し、働く女性が主人公として描かれる場合でも、話の軸が恋愛や結婚になることが多い。また“お局”や“婚期を逃した女性”というような、一般的でなく特殊化された書かれ方をしたり…。そういう“男性の目線”が原因なのかも」。
近代文学の隠れた“オキテ”として、「ことわりがない場合、語り手は男である」というものがあるという。それほど、文学の世界は男性の目線で構築されているのだ。「20〜30代の女性はとても魅力的で多様性のある存在なのに、文学で書かれるときにはどうしても画一的に表象されがちだった。でも社会が変わっていくにつれて、文学の世界も変化していくもの。最近は、“男のめめしさ”が絵になる文学も多いですしね」。
文学の中での女性の姿
“男性の目線”という言葉が出てきたが、女性でも男性に近い目線を持つ作家が多い。「たとえば、樋口一葉や山田詠美さんなんかは“男まさりの目線”、柳美里さんは“少年性を被った目線”などというふうに言われることがありますね」。今回のゼミでは、近代、現代作家を紹介しながらその世界観を見ていく。さらに、「『たけくらべ』や『伊豆の踊子』のように、少女が“何か”と訣別し、少女ではなくなる“喪失”の物語はなぜ多いのか?」「『海辺のカフカ』や『めぐり逢う時間たち』のような“子どもを棄てる母親の物語”が最近注目されているのはなぜか?」など、さまざまな女性の語られ方を先生と一緒に見ていく。本好きにはたまらない2時間になりそうだ。
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