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アヴァンティでは「27歳」を人生のひとつのターニングポイントと捉えています。社会人になって数年、自分の人生はこれでいいのか、もっと他の道がないのかと模索の真っ最中。この頃、悩んだり、一生懸命何かをしたことが、その後の人生につながっていると仮定して、福岡で活躍する女性たちに「私が27歳の頃」をテーマにインタビューしています。

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大下 美智代 さん/看護師たちの 成長を導き より良い医療を

大下 美智代 さん
済生会八幡総合病院 看護部長/認定看護管理者
Oshita Michiyo/1956年北九州市若松区出身。高校卒業後、看護学校を経て九州厚生年金病院で臨床看護師として勤務。1991年より看護学校で教鞭をとりながら、九州国際大学法学部(夜間)を卒業。2006年、看護学校の閉校を機に教育担当副部長として済生会八幡総合病院へ移り、2008年より現職。現在は勤務の傍ら北九州市立大学大学院マネジメント研究科(K2BS)にも通う。好きな言葉は「一期一会」そして「チャレンジ」
http://www.yahata.saiseikai.or.jp/


看護師たちの 成長を導き より良い医療を

変化には柔軟に学ぶことには貪欲に

 
「とにかく勉強してきなさい」九州厚生年金病院の臨床看護師として働いていた大下さんが、当時の看護部長から告げられたのは36歳の時だった。突然、看護教員を養成する学校へ行くように促されたのだ。教員になりたいわけでもなかったが、「ダメなら方向転換すればいい」とりあえず上司の指示に従ったことが大下さんの転機となった。
 勉強するうちに、臨床経験だけで学生を指導していいのか疑問がわき、「学生には確実な知識を論理的に伝えたい」と、教員になると同時に夜間大学の法学部へ入学。昼は教員、夜は学生の二足のわらじをはいた。「法学を学んだおかげで、授業では医療事故や守秘義務についての法体制なども取り入れて、指導できる内容が広がりました。管理者となった今では労働法の知識も役立っているんですよ」
 学生にはとにかく看護に興味を持ち、自ら学ぶ姿勢を身につけて欲しくて、技術指導や国家試験の勉強だけでなく学ぶ楽しさを伝え続けた。「学ぶことに貪欲」当時の看護部長は、そんな大下さんの資質を見抜いていたのかもしれない。

前原 美織 さん/懐かしさと 新しさに満ちた 映画館へ

前原 美織 さん
小倉昭和館 支配人
Maehara Miori/1973年下関市出身。大学卒業後、約1年間の出張映写会社勤務を経て、個人経営の老舗映画館「小倉昭和館」にアルバイトとして入社。受付でのもぎりや接客に始まり、事務業務などを経験しながら2001年に支配人となる。2004年には封切館で公開が終わった作品などを上映する「二番館」への業態変更を決断。以降、北九州唯一の「二番館」として、ユニークな映画館運営を行っている。http://www2.ocn.ne.jp/~showakan


懐かしさと新しさに満ちた映画館へ

好きなことを仕事にしたい

 
 幼い頃から映画が大好き。ハリウッドからヨーロッパ、アジアで製作されたマイナーな作品まで、あらゆるジャンルの映画と共に成長してきた前原さんにとって、映画業界以外の仕事は考えられなかった。
「大学の同級生達が次々と就職先を決めていく中で、私は自分の好きなことに、少しでも近いことをしたいと思いました」
 出張映写の会社勤めを経て、友人からアルバイトの誘いを受けて小倉昭和館に入ったのは24歳の頃。窓口や接客係だった前原さんだが、「こんな映画を上映したい」「こういうことをやったらどうか」と社長に進言し続けたのも、筋金入りの映画好きとしては必然だった。そんな熱意が周囲にも伝わり、フィルム手配の仕方など映画館の運営業務も徐々に教えてもらいながら事務をこなしていた前原さん。支配人に抜擢された時、彼女はまだ28歳だった。

黒川 伊保子 さん/誰にでも必ず、その人にしかできないことがある。

黒川 伊保子 さん
株式会社 感性リサーチ 代表取締役
Ihoko Kurokawa/1959年 長野県生まれ。大学卒業後、人工知能(AI)の研究開発に従事した後、民間の研究所やフリーランスを経て、2003年 (株)感性リサーチを設立。男女脳の可笑しくも哀しいすれ違いを書いた随筆が人気を博し、日本テレビ「世界一受けたい授業」やNHK教育テレビ「日本語なるほど塾」などに出演、「anan」や「SPA!」など雑誌の恋愛特集のコメンテイターとしても定番の存在に。最近は「ホンマでっか!? TV」に出演中。


誰にでも必ず、その人にしかできないことがある。

それは、言葉への興味からはじまった

「私ね、実は、人生の中で “これを成し遂げたい” と強く思ったことがないんですよ。いつも、思う前に物事が動いていて…」。インタビューの冒頭で、黒川さんはそう言って、笑った。
 近著に「恋愛脳」「しあわせ脳に育てよう」など、多くのエッセイを出版し女性たちから圧倒的な支持を受け、テレビや雑誌などでも大活躍。独自の脳の研究から男女の脳の違いを紐解き、多くの女性たちにハッピーになれる脳と心の在り方を伝授している黒川さん。その出発点は、言葉に対する興味だった。
 幼いころから言葉の持つ温度や語感に興味を持っていた黒川さんは大学進学にあたって「語感を研究する学科などないので、とりあえず、物理学科に行くか」と、思ったのだという。

内田 登代紀 さん/女性を楽しむ 幸せのタネを 届けたい。

内田 登代紀 さん
幸せのタネたんぽぽ 主宰
Toyoki Uchida/1977年古賀市生まれ、宗像市在住。九州造形短期大学卒業後、メーカーの事務職を経て家具職人を目指す。25歳で結婚、2年後に長男を出産し、子育て支援や環境関連のボランティア活動に参加。2008年「ママの手作り工房たんぽぽ」を設立し、宗像市のママたちの手作り布ナプキンの製造販売を事業化。2010年新ブランド「うふふわ。」を開発、屋号を「幸せのタネたんぽぽ」へ変更。福岡県内の店舗へ商品を卸すほか、イベント出店やワークショップなど布ナプキンの普及活動も行っている。http://tanpopo.me/




女性を楽しむ幸せのタネを届けたい。

布ナプキンとの出会い

 花やアクセサリーなど、かわいいモチーフのデザインときれいな色合い。布ナプキン「うふふわ。」は、まるでおしゃれな雑貨のようだ。工房を主宰する内田登代紀さんは、北九州へ営業や普及活動に訪れる機会も多い。「モチーフの花は、幸福の訪れ、温かい心などやさしい花言葉を持っているんですよ」と、楽しい仕掛けを明かすように教えてくれた。

渡邉 敬子 さん/地に根を張って 蓮華のように 生きていく。

渡邉 敬子 さん
尼太鼓 オーナー
Watanabe Keiko/1969年北九州市戸畑区生まれ。小倉西高等学校卒業後、専門学校の保育科へ進学。保育士、エレクトーン講師、市議会議員事務所の勤務を経て、1997年株式会社エドガートレーディングコーポレーション入社。貿易業務に携わる一方で、心理カウンセラー、ラジオのパーソナリティとしても活躍する。2004年からインド、フィリピンで霊性修業を重ね、ヒーラーになる。2007年ベジタリアンレストラン『サイラム』を開店し、2年間オーナーを務める。2011年2月たこ焼き屋『尼太鼓』1号店を小倉北区にオープン。


地に根を張って 蓮華のように 生きていく。 

味と笑顔は宇宙レベルのたこ焼き屋 

 「こんにちはー!」小さなたこ焼き屋から響く元気な声。渡邉敬子さんは、店の前を通る人すべてに笑顔で挨拶をする。ラジオのパーソナリティからたこ焼き屋に転身したユニークな経歴を持ち、「味と笑顔は宇宙レベルです」が口癖。「今までいろんな経験をしてきたんですけど、こんなに感動する仕事は初めてなんですよ」と瞳を輝かせて話す。

今村 由香利 さん/チャレンジすれば未来はいくらでも変えられる。

今村 由香利 さん
エスニックレストラン「カマル」店長/野菜ソムリエ
Yukari Imamura/1955年下関市生まれ。中学校を卒業した後、北九州へ転居する。若松高校卒業後、空調総合メーカーの『ダイキン工業株式会社』へ入社。営業補佐、企画、営業など様々な職種を経験し、53歳で退職。2009年野菜ソムリエの資格を取得し、トルコ料理を中心としたエスニックレストラン『カマル』を開店。関西以西では、第一号の野菜ソムリエ認定レストラン。地産地消サポーター登録店。
HP→http://www.qarmar.jp/

チャレンジすれば未来はいくらでも変えられる。

トルコ好き野菜オタクが挑んだ第二の人生

 
 アジア太平洋インポートマート(AIM)2階、フードコートの一角にある『カマル』。野菜ソムリエの今村由香利さんが作るトルコ料理は、旬の野菜がふんだんに使われ、日本人に合う味付けに工夫されている。北九州産の新鮮な野菜や、珍しい中東の食材も販売しており、お気に入りの商品目当てに訪れる顧客も多い。

「中東の料理ってお肉のイメージがあるかもしれないけれど、実はお野菜をたくさん使うんですよ。フードコートに出店したのは、手頃な値段で気軽に料理を楽しんでもらいたかったから。開店して今年で3年目、お客さんの要望を聞きながら、メニューもお店も成長してきましたね」

 若い頃からトルコや中東の文化に興味があり、ベリーダンスを習ったり、中東料理の食べ歩きをしていた今村さん。野菜オタクと言われるほど野菜好きで、会社員時代から調理師の免許を持っていた。第二の人生プランを考えたとき、「野菜とトルコ料理を掛け合わせて、お店をやったらおもしろいんじゃないかな」というアイデアが自然に湧いてきた。
 

永野 美果恵 さん/絵を描くことで自分らしく生き、真の美を伝えたい。

永野 美果恵 さん
オイルパステル画家
Mikae Nagano/1972年生まれ。北九州市出身。九州造形短期大学を中退し、戸畑職業訓練校で設計を学ぶ。設計会社産機エンジニアリングに5年半勤務後、派遣スタッフとして安川電機で設計の仕事に従事する。1999年、画家みねこうしろう氏の教室でクレパス画を始め、翌年からグループ展に参加。2001年結婚。2004年画家になることを決意し、会社を退職。2006年小倉伊勢丹で初個展「光あふれるこの世界へ」を開催して以来、作品展は10回に及ぶ。雅号はミカエ・ヒカリ。

絵を描くことで自分らしく生き、真の美を伝えたい。

自己否定と違和感

 
 幻想的な風景、穏やかな表情の人物、雄々しい龍など、永野美果恵さんが描く対象は幅広い。その中で一貫して表現されているのが、溢れ出すような光だ。大きな作品は横幅9メートル以上、平面であることを忘れてしまうほど、奥行きのある壮大な世界に惹きこまれる。

 サンレームーンギャラリーの個展を2月末に終え、ホッと一息ついている永野さんの自宅兼アトリエを訪ねた。「昔から絵が好きでちょっとは自信があったのに、小学生のとき絵画展で入賞できなかったんですよ(笑)。それで自分はダメなんだと思ったし、すごい運動音痴だったし、劣等感を引きずってきましたね」と朗らかに話す。

 高校生ではニキビに悩み、どんどん自分の殻に閉じこもっていった。造形短大へ進学するが、「才能のない自分は画家にはなれない」と1年で退学し、職業訓練校で設計の技術を身につけた。

 就職後は機械設計士として一生懸命働いたが、年を追うごとに「私の道とは違う」という想いが湧きあがってきた。いくら頑張っても、自分で自分を認められない辛い毎日。そんな時期と失恋が重なり、人生最悪の25歳を過ごした。

野林 眞佐美 さん/日常生活と繋がったアートは生きる力を育む

野林 眞佐美 さん
北九州芸術劇場 舞台事業課 学芸係 ディレクター
Masami Nobayashi
/1950年生まれ。北九州市小倉北区出身。高校卒業後、銀行に就職。専業主婦として3人の子どもを育て、1993年小倉市民会館勤務を経て公民館主事になる。2001年より北九州芸術劇場準備事務室「シアタープロジェクト2003」にてアウトリーチ事業を担当。2003年劇場オープン後は市民参加事業などに関わり、地域・学校と劇場を繋ぐ役割を担っている。また「グループ風車」のメンバーとして、女性の生き方・子育て・環境をテーマにドキュメンタリー映画の企画上映を続けている。

日常生活と繋がったアートは生きる力を育む

おせっかいは人と繋がる第一歩

 
 芸術文化の拠点として、市民に親しまれている北九州芸術劇場。ディレクターの野林眞佐美さんは、劇場のオープン前から事業に関わってきた。「私はアートの専門家ではありません。ちょっとおせっかいをして、人と人とを繋ぐことが役割なんですよ」とニッコリ笑う。

 幼少の頃は、母親から毎晩のように絵本を読んでもらい、映画もよく観に行った。心豊かで幸せな子ども時代を過ごしたと思っている。自分が母親になってからは、あたり前のように絵本を読み聞かせて子ども達を育てた。転勤族のため引っ越しが多く、佐世保で長男と長女、五島列島で次男が生まれた。

「のどかな五島列島で、地域で子どもを育てることを体験しました。『人はね、自分の子どもは育てられんと』と近所のおばあさんに励まされ、子どもを抱っこしてもらったり、ご飯を食べさせてもらったり。子育ては、親だけでなく、子どもをとりまくたくさんの大人との関係をつくることが大切なんだと教えられました」

 大牟田に転居した野林さんは、親子で観劇を楽しむ「子ども劇場」の会員になる。「地域のすべての子を視野に入れて…」という考え方に共感し、長崎でも活動を続けた。お母さん達にどんどん声をかけ、「楽しいね。子どもってこうやって育てるんだよね」と言っているうちに、20人の会員が1年後には100人になった。子育て勉強会やPTAにも参加して活発に過ごすが、夫とは教育方針の違いから38歳で離婚に至る。
 

高野 嘉奈子 さん/今ここに心を込めてベストを尽くす。

高野 嘉奈子 さん
ヤフーカスタマーリレーションズ株式会社 
取締役北九州センター長

Kanako Takano/1967年長崎県生まれ。大学卒業後、アメリカン・エキスプレス・ジャパン株式会社に入社。AOLジャパン株式会社を経て2004年ヤフー株式会社入社。2009年ヤフーカスタマーリレーションズ株式会社取締役に就任。2010年7月より北九州センター長を兼務。8月よりウェブソリューション株式会社代表取締役兼務。

今ここに心を込めてベストを尽くす。

北九州に通う楽しみ

 訪問したのは寒い日だったが、春らしい装いで迎えてくれた高野嘉奈子さん。従業員には気さくに声をかけ、誰とでも気持ちのよい挨拶を交わす。さりげない気遣いと周囲をホッとさせる明るさがあり、天性の温かさを感じさせる女性だ。

 高野さんは現在、2つの関連会社で全国に複数ある拠点の経営に関わっており、北九州では約200人の従業員を束ねるトップだ。東京から毎週1泊2日で北九州に通う。「北九州の人は、人を喜ばせるのがうまいですね。スタッフがいつも温かく迎えてくれるので、こちらに来るのが楽しみなんです。美味しいものも多いですし(笑)」

 ヤフーカスタマーリレーションズの北九州センターは、昨年の秋に開設されたヤフーの新しい拠点。顧客からの問合せに、電話やメールで対応する業務を行っている。
「お客さまから感謝の言葉をいただくときが、一番うれしいですね。最先端のサービスを提供し、常に学ぶことがある楽しい仕事です」
 

田中 富貴恵 さん/「癒し」と 「医療」の 融合の場として

田中 富貴恵 さん
マダムヴェール イン・ザ・ガーデン 代表

八幡西区出身。1986年、八幡西区楠木にフェイシャルエステティックサロンを開業。2005年、日本アロマ環境協会総合資格認定校『マダムヴェール・ホリスティック・ビューティスクール』を開設し、2009年、幅広く女性の美を支えるサロンとして、光貞台に移転オープン。英国I.F.A&国内AEAJ認定アロマセラピスト、英国リフレクソロジー協会認定リフレクソロジスト、リンパドレナージストなど多数の資格を取得。
http://www.madam-veil.com

「癒し」と 「医療」の 融合の場として 

ひょんなことから決意したサロンの開業

 
 八幡西区の閑静な住宅街。パッと目を引く瀟洒な建物だが、不思議とまわりに溶け込んだ癒しの空間。2009年、移転オープンした、エステティック&ヒーリング&スクールの『マダムヴェール イン・ザ・ガーデン』。
 田中さんが、エステティックサロンを始めたのは33歳の時。もともと美容関係の仕事をしていたこともあり、当時はエステティックの勉強をしていた。とはいえ、お店をする気はまったくなかったのだが、夫が経営する工務店の新事務所を探すことになったのをきっかけに、知人だった大家さんからの強いすすめもあって、決断したのだった。
「新しい事務所を探した時、たまたま隣も空いていて、せっかくならやってみたら? と。ずいぶん悩みましたよ。ちゃんと家賃が払えるか不安だったし、やっぱりしきらん! と何度も思いました。でも、実は断れない性格で(笑) 何かしたい、夫の役に立てるかもしれない、すすめてくれる人の期待に応えたい、と勇気を出しました」
 

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