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アヴァンティでは「27歳」を人生のひとつのターニングポイントと捉えています。社会人になって数年、自分の人生はこれでいいのか、もっと他の道がないのかと模索の真っ最中。この頃、悩んだり、一生懸命何かをしたことが、その後の人生につながっていると仮定して、福岡で活躍する女性たちに「私が27歳の頃」をテーマにインタビューしています。

 

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吉田 和代 さん / 新しい文化と楽しい想い出が生まれる場を創る。

吉田 和代 さん
株式会社コレット井筒屋 営業推進部 販売促進担当
Kazuyo Yoshida/1961年北九州市八幡西区出身。西南女学院短期大学を卒業後、KBCラジオ「ラジオカーひまわり号」レポーターとなる。1984年個人オフィスを設立し、イベントの企画やフリーアナウンサーとして活動。結婚、出産を経て1994年「七田チャイルドアカデミー」の講師となる。レポーターとしては主に環境番組を担当し、県内で環境に携わる人たちを8年間に渡って取材。2003年㈱小倉伊勢丹に入社し、2008年㈱コレット井筒屋へ転籍。入社以来、一貫して販売促進を担当する。

新しい文化と楽しい想い出が生まれる場を創る。
 

好奇心が原動力 

 色とりどりの洋服やアクセサリーが並ぶコレットのフロアで、明るい笑顔の吉田和代さんに迎えられた。イベントの企画運営、店内装飾、広報など販売促進に幅広く関わり、労働組合の副委員長という顔も持つ吉田さん。一人何役もこなすエネルギー溢れる女性だ。
「私は皆さんと逆のパターンなんです。20代で個人オフィスを設立して、42歳になって初めて会社という組織に入ったんですよ」

 人が集まる場が大好きで、新しいことに対する興味は尽きない。短大卒業後、吉田さんはラジオのレポーターになり、23歳でイベント事業を始めた。仕事を通していろいろな話題や人と出会い、楽しく刺激的な毎日を過ごした。

 27歳で結婚し、出産が転機となった。「子どもの感性ってすごい!」と子育ての楽しさに目覚めて幼児教育を学び、母子が一緒に触れ合う教室の講師となる。母親になって環境問題に興味を持ち始めたころ、新しい環境番組「あなたは21世紀に緑を残せますか」のレポーターを依頼され、環境活動に携わる人たちを取材するようになった。北九州博覧祭では、幼児教育の講師を辞めて司会業に専念。小倉駅前に新しい百貨店ができると聞いたのは、その2年後だった。

臼木 淑子 さん / 自分のことを好きになれる人を育てたい。

臼木 淑子 さん
有限会社キッズ・プランニング 代表取締役
Yoshiko Usuki/1961年広島県生まれ。東海大学文明学科卒業後、総合職としてハウスメーカーへ入社。1990年株式会社アピカルを創業し、九州ではまだ珍しかったベビーシッター事業を始める。保育施設の企画運営、一時預かり保育等の事業を展開。2002年アピカルより分社化し、有限会社キッズ・プランニングを設立。自社運営の保育園、企業向け事業所内保育室の運営、保育園開園の企画を専門に行う。「キッズキッズ小倉」は北九州の働く母親に支持され、遠方からの来園も多い。
http://www.kidsplanning.com/index.html
自分のことを好きになれる人を育てたい。

幼少体験が経営理念に

 小倉駅直結のアミュプラザにある保育園「キッズキッズ小倉」に、臼木淑子さんを訪ねた。扉を開けると、子ども達の元気な声が響き渡る。「一人ひとりの個性を大切に、少人数で生きていく力や思いやりを育てる」保育方針には、臼木さんの想いが込められている。

 臼木さんは小さいころ血液の病気になり、幼稚園を途中で辞めた。病院や家で過ごすことが多く、小学生になっても学校を休みがちだった。地理が大好きで布団の中に日本地図を持ちこみ、火山に丸を付けて遊ぶような子どもだった。

 3年生で担任になった先生が、学校で元気に走る臼木さんの姿を見て、「これからは何があっても休ませるな」と両親に告げる。そこから小学校生活が一転。何を訴えても休めなくなり、無遅刻無欠席で6年生まで通った。臼木さんは、自分で病気を生み出していたことに気づいた。

 ところが今度は別の問題が発生。病弱な子が突然変わって目立つようになり、臼木さんへのいじめが始まる。6年生のときに自殺を考えたが、母親の悲しそうな顔が浮かんで思いとどまった。
「私が一番やりたいのは、生きる力を育てることです。まず自分を好きになってほしいな。そして人のことも好きになってほしい。自分が好きじゃないと、いろんなことに立ち向かえないんです」

廣津 朋子 さん / プロもアマチュアもジャンルを超え、踊りで心をつなぐ。

廣津 朋子 さん

廣津 朋子 さん
ダンサーズスクールI-WO!(アイ・ウー) 代表
Tomoko Hirotsu/1969年北九州市小倉北区出身。幼少よりモダンバレエを黒田呆子氏に師事し、全国舞踊コンクール児童舞踊部門第1位ほか数々の賞を受賞。京都女子大学短期大学部卒業後、スペースワールドのショーキャストを務める。1996年ミュージカル「ピーターパン」のオーディション合格。1999年「ダンサーズスクールI-WO!」設立。スクール名の意味は「い(I)ずれは世界(World)へ!」。 2010年上海万博パレードの振付を担当。ダンス指導、舞台演出、プロダンサーの振付など幅広く活躍している。愛称はTong(トン)。

プロもアマチュアもジャンルを超え、踊りで心をつなぐ。

上海万博のパレードを指導 

 5月に開幕した上海万博では、テーマパークさながらのパレードが毎日行われている。五大陸の和諧(わかい)をテーマに、ヨーロッパのプリンセスやリオのカーニバルなど11台の山車が連なり、艶やかな衣装をまとった約200人の中国人ダンサーが、約2キロのメインストリートを練り歩く。

 この振付を担当したのが、小倉でダンススクールを営む廣津朋子さん。パートによって踊りが異なるため、一曲につき20パターンの振付を考えた。3月から2カ月間上海に滞在し、通訳を付けて直接指導を行った。

「自分の表現したいことが、中国のダンサーの子たちに伝わるのか心配な部分はあったんですけど、踊ったとたんに不安は全部払拭されました。私の仕事は、すぐにみんなと仲良くなって心が通じ合うことができる。そのツールが踊りなんだと、今回改めて実感しました」

諸藤 見代子 さん / 心地よい環を繋いで、北九州をもっと大好きなまちに。

諸藤 見代子 さん

諸藤 見代子 さん
Miyako Morofuji / 環境ミュージアム 館長
1959年北九州市八幡東区出身。小学校教師を13年間勤め、30代半ばで退職。2001年「北九州博覧祭」をきっかけに環境ボランティアを始める。2003年、2004年にはNGO(なんか・がんばってる・おばちゃん)の肩書で、環境首都の市民代表として早稲田大学で講演を行う。2005年「環のまなび工房」を立ち上げ、環境学習を中心とした活動を展開。海外視察や研修で訪れた国は、ドイツ、アメリカ、中国など6カ国。環境ミュージアムでは、ボランティアコーディネーター、環境学習専門員、副館長などを経て、2010年4月館長に就任。

心地よい環を繋いで、北九州をもっと大好きなまちに。

原点は小学校の先生

 新緑がまぶしい五月晴れの日、環境ミュージアムに諸藤見代子さんを訪ねた。明るく大らかな笑顔と軽快なおしゃべりに、一気に場が和む。

 館長職に重責を感じ、引き受けるまで1年間考えたと言う。「北九州が好きになるような環境学習をできたらいいなぁ。切り開けたら、また次の場所に行こう」と思ったとき、迷いが消えた。

 公害の町・八幡で生まれ育ち、北九州が環境首都へ変遷する歴史と共に生きてきた。環境教育との出会いは、小学校の先生時代に社会科で学んだ「森林の働き」。手入れをしている森林は、地面がスポンジのようで保水力があると習い、実際に子どもたちと山に入ってみた。地面を触ると、広葉樹の落ちた森林はふかふかで気持ちよかったが、手入れ不足の森林は堅かった。

 環境教育のおもしろさを知った諸藤さんは、「興味を持った環境の新聞記事を切り抜き、見出しをつける」という宿題を毎日続けた。子どもたちの感性が育ったと思ったが、卒業後にショックな出来事が起こる。
「清掃登山にも関わらず、ある卒業生が空き缶をポーンと投げ捨てたんです。カランカランと転がる音と共に、2年間の環境教育が崩れ去りました」(笑)。

高橋 多賀子 さん / 思いやりと優しさが心の栄養源。強く生きて、恩返ししたい。

高橋 多賀子 さん

高橋 多賀子 さん
Takako Takahashi / トータルビューティプロ アイアイ
北九州市出身。2006年小倉北区にエステサロン『IBiZa IsLand』をオープン。美容・健康に関するカウンセリングを行うとともに、エステティシャン・セラピストの養成スクールを経営、ブライダル、パーソナルイメージのコンサルタントとしても幅広く活躍中。

「出逢ったすべての人に元気でハッピーになってもらいたい。きれいになって喜んでくれたら私もうれしい」。自然治癒力を高めるリンパマッサージを中心に、アーユルヴェーダやアロマテラピー、ロミロミなど様々な技術を取り入れた思いやりセラピーで人気を呼ぶ高橋多賀子さん。身体の様々な悩みや、メンタルの両面からカウンセリングを行うセラピストまた、美容家としてエステなどスクールの講師としても活躍する。美を司る華やかな世界へ進んだ理由はしかし、今は亡き母親への償いでもあった。

本山 晴子さん / ありのままでOK!一人ひとりの本領発揮を、コーチングで実現。

本山 晴子さん

本山 晴子さん
Haruko Motoyama / 有限会社コ・リード 代表取締役
熊本市出身。九州工業大学情報工学部卒業後、インターネットプロバイダー(東京)、WEB製作会社(福岡)を経て、2001年WEBコンサルタントとして独立。2006年米国CTI認定コーアクティブコーチ資格取得。九州工業大学・九州共立大学非常勤講師。北九州ワーキングマザーネットワーク代表。第2回北九州市ワークライフバランス表彰・個人部門奨励賞を受賞。働く親と子どものための情報サイト「オヤトコ」(oyatoko.net)を今年初めに立ち上げ、人と情報を繋ぐ場づくりに力を注ぐ。

すべての仕事が楽しい 

 年間60本の研修とワークショップ、110時間の授業、30名の個人コーチングを行う本山さん。小倉北区泉台の自宅にオフィスとコーチングルームを構え、各地の会場へ飛び回る毎日だ。「晴子の仕事」と書かれたカラフルなマップには、大学の授業やコンサルティングなど26項目の仕事名がずらりと並んでいる。

「自分の仕事を整理するために、去年作ったマップです。今やっているのは、本当に好きなことばかり。すごい幸せなんですよ」と心底楽しそうに話す。

 26歳で子どもが生まれ、半年後に職場復帰した頃が一番辛かった。東京に子育て友達がいるわけでもなく、仕事も子育ても一生懸命やればやるほど苦しくなった。28歳のときに離婚し、福岡の会社へ転職。その後、WEBコンサルタントとして独立し、仕事仲間と一緒に参加した勉強会で「コーチング」と出会った。IT業界で仕事をしてきた本山さんにとって、人相手のコーチングは新鮮でおもしろかった。もっと深く学びたくなり、東京の養成講座に通って2年がかりでプロコーチの資格を取得した。

原 冨士子 さん / できることから始める。誰でも変わりたいと思った時がチャンス。

原 冨士子 さん

原 冨士子 さん
Fujiko Hara / Salon de Fujiko(サロン・ド・フジコ)代表
北九州市戸畑区出身。西南女学院中学・高校・短期大学を卒業後、証券会社や銀行と、金融関係の仕事に従事。OL時代に出会ったエステの先生に指導を請い、その後開業。マンションの一室から始め、3年前路面店に移転オープン。人気の「小顔メイキング」はじめ、現在は疲れた女性を優しく癒し、美しくする日々。その他、小倉北区清水にある『喫茶アンティ』でのリンパセミナーなどサロンワーク以外でも精力的に活動する。

受ける側から、施す側へ 

 あるテレビのアラフォー対象の街頭インタビュー。「毎日勝負下着を着けます」と答えた女性がいた。「テレビではあの部分だけが放送されちゃったけど、本当に言いたかったのは、生き方も一緒ということ。毎日がチャンスだから、それを逃さないように心の余裕を持っていたいってことだったの(笑)」と話してくれた。そんな前向きで可愛気のある女性、それが『サロン・ド・フジコ』オーナー・原さんだ。

 サロンは、現在小倉北区中島にある。独立のきっかけは、自らのOL時代の経験からだった。証券会社、銀行でバリバリ働き、多忙な毎日を過ごし、精神も肌もボロボロな時期、救いを求めていったエステで、肌がみるみるきれいになったという。「本当にうれしかったですね。手をかけた分だけ、身体は応えてくれる。この喜びをみんなにも味わってもらいたいと思うようになり、開業しました」。マンションの一室ではじめた念願のサロン。今から約8年前だった。

祐嘉さん/書や画にエネルギーを込めて言霊を伝えていく笑顔の人。

祐嘉 さん
書画家
Chika/1973年、大分県生まれ。「糸島在住のエネルギー書画家」としてメッセージを伝えるほか、美術館での個展や講演などトークの場でも活躍する。“書” を通して心に響くメッセージを伝えたい。
 文字を書く前にイメージしたり、練習をすることはなく、一瞬の閃きに従い「愛」「光」「宇宙」「真実」などの文字にプラスのエネルギーを送りこんで描き上げる波動文字。創り手は、祐嘉さんその人だ。「書いているというより、突き動かされて気づいたら完成してます」と豪快に笑う彼女は書画家。底抜けに明るい芸術家は、美術館での個展というチャンスに恵まれて3年前にデビューした。一 人前になるまでが長い書家の業界では、通常ありえない早さ。「私は字も絵もうまくはないですが、大好きです」今後は海外進出も視野に入れているそう。

藤間 裕志朗 さん / 日本舞踊は心と身体の筋トレになるんですよ。

藤間 裕志朗 さん

藤間 裕志朗 さん
日本舞踊藤間流・師範
Yushiro Fujima/生まれも育ちも北九州市。昭和49年、藤間芳宏師より手ほどきを受け、昭和62年に藤間重志朗師門弟となる。平成6年に、藤間流師範免状を取得。わっしょい百万夏まつりには、踊り人裕志朗として、創作部門に参加。2度のグランプリをはじめ、数多くの賞を受賞する。百万踊り講習会での指導やボランティア指導など、地域に根差した活動を幅広く続けている。
公式サイト:http://www.fujima-yushiro.net/

幼い時期の大病の経験が現在の活動のルーツに

 肌に馴染むように着物を着こなし、凛とした立ち姿はまるで日本画のように美しく。まさに伝統ある日本舞踊の師範という第一印象。それを良い意味で覆してくれたのは、「いらっしゃい! うちではスリッパがなくて草履なのよ。どうぞ!」と出迎えてくれた、裕志朗さんの飾らない笑顔だった。

敷居が高い、所作に厳しそう…これまで抱いていた日本舞踊に対するイメージが、裕志朗さんを前にすると 一 瞬にして吹き飛んでいく。周囲をぱっと明るく元気にする、はつらつとした雰囲気の裕志朗さん。小中学校では演劇、高校では器械体操に励み、「動いていないと死んでしまうから」と思い切りアクティブな青春時代を送っていた。

しかし、実は幼少の頃に絶対安静の大病を経験。「1年間ほど幼稚園にも行けず、身体を動かしたくても全く動かせない。その時のつらい思いが、今の私のルーツなのかもしれませんね」。身体を使って自分の気持ちを表現したい。根本に持ち続けていたその思いに火がついたのは、29歳の頃。日本舞踊との出会いだった。

吉田初恵さん / 精一杯の感謝の気持ちをこの手に込めて。

吉田初恵さん

吉田初恵さん
Hatsue Yoshida / 1961年、中間市出身。大手化粧品メーカー、ドラッグストア勤務を経て、2007年1月独立。八幡西区のマンションの一室に『HEARTS』をオープン。2008年には路面店へと移転し、サロンを拡張。自身の体験と研究の末に誕生した独自の技術「吉田式デトックス」で、ゲストの心と体を美へと導いている。

悩みに耳を傾け、心に伝わるような技術を

「HEAR=悩みに耳を傾け」、「HEART=心に伝わるように」、「GIVE OUR ARTS=技術を施す」。この3つの想いを込めてつけた名前が『HAERTS』。「どうぞコーヒーでも飲みながら。うちはいつもこうなんですよ」とからっとした大きな笑い声で迎えてくれた。一見カフェのような居心地の良さと、こだわりのカップと、淹れたてのコーヒー。そしてキレイになれるとっておきの場所。そこには、飾らない吉田さんの魅力が詰まっている。

美の世界に興味を持ったのは幼少の頃。三面鏡の前で着物に着替え、キレイになっていく母の姿が強く印象に残っているという。20代から30代は大手化粧品メーカーでメイクや美容に関する知識を身につけながら、23歳で結婚。二人の子どもをもうけ、順風満帆な生活を送る。40代ではドラッグストアでコスメエリアチーフを任され、ワーキングママとして仕事に没頭した。しかし、多くの商品や人に会うにつれ、「本当にいいものをすすめたい」、そんな気持ちも少しずつ大きくなっていったという。

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No.2

カラフルアウトドア女子!

働く女子のファッションスナップ

No.3

向井理くんの笑顔に癒されました♪

福酒撫子しおりんのふくふくグルメ

No.4

2010/8/30 トップ

【avanti】スタッフの気まぐれ日記

No.5

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