何かに気付いたのなら、周りの人にも伝えて欲しい。

下村 明魅さん
無添加ハウス代表
しもむら・あけみ/1964年北九州市生まれ。地元の商業高校を卒業後、企業に就職。24歳で第一子出産のため退職。30歳の時に子宮筋腫が発覚、31歳でメヌエル氏病、32歳でアトピー性皮膚炎が発症。土佐清水病院の丹羽治療を受け、アトピーを克服する。さまざまな病気の体験から、食事の大切さ、環境改善の必要性を感じ、37歳の時に「無添加ハウス」の活動を開始。さまざまな食や環境問題を考える取り組みに参加し、元気でいることの大切さを伝えている。
よくしゃべりよく笑う。元気ハツラツという言葉が良く似合う下村明魅さんは『無添加ハウス』の代表だ。「食と環境」について、講演依頼が来れば飛んでいき、話を聞きたいという人がいれば、声が枯れるまで話をする。その溢れる力は一体どこから沸いてくるのだろうか。
病気との闘い。
高校卒業後、企業に就職。23歳で結婚し、24歳で出産のため退職。夕方になればスーパーに買い物に行き、特売の品をチェックする。子どもが軽いアトピーという悩みは抱えていたものの、ごく普通の専業主婦だった下村さん。
そんな毎日に変化が訪れたのは30歳の時。子宮筋腫が発覚した。「あの頃は、病院に行けば治るだろうって、軽く考えていたんです。でも私の場合、症状がひどくなければ治療も手術もできなくて。なかなか改善しない症状に落ち込みました」。さらに31歳でメヌエル氏病が発症。天井がグルグル回り、ひどいめまいと吐き気に襲われる。32歳、追い討ちをかけるようにアトピー性皮膚炎が発症。子どものアトピー治療の時に知った丹羽治療を行い、薬よりも食事の大切さを教えられ、食事療法と同時に、“食と環境”について本格的に勉強を始めた。
支えあえば、乗り越えられる。
想像はしていたが、「食事療法」の大変さは想像以上。肉類・乳酸品・揚げ物・スナック類etc.今まで食べていたほとんどの食材を食べることができない。「一体、何を食べればいいの!」と困惑した。しかし、何よりも辛かったのは相談する同性がいないことだった。相談したり、助け合ったりする同世代の仲間が欲しい、そう思い活動しているグループを探すが、北九州では見つからなかった。だったら、自分で作ればいいと、アトピーの会を一人で立ち上げた。「不安な気持ちはみんな一緒。同じ悩みを抱えた仲間同士、支えあえば苦しみも少しは楽しく乗り越えられるんじゃないかな」。下村さんの思いは通じ、仲間は集まった。
その頃には自身の体験を通して食事の大切さ、環境改善の必要性を身にしみて感じるようになっていた下村さん。講演会や勉強で学んだことを、会報にして配るようになっていた。しかし、会報が好評になればなるほど出費が重んだ。一主婦には限界があった。そこで下村さんは考えた「起業しよう!」と。治療に必要な健康食品をまとめ買いすることで少しの利益が残る。その代わりに必要な情報を提供し利益を還元していこう。下村さんは37歳で通信販売の『無添加ハウス』を設立。資金はゼロ、10万円の貯金からのスタートだったが、不思議と不安はなかったという。「何とかなるという気持ちだけは強かったから」。
情報を伝えることが仕事。
病気が発症した当初は「何で私が。何か悪いことでもしたの?」と思った。でも今は「自分が痛みを経験することで何かを与えられ、それを伝える使命を授かったのではないかと思うんです。私が子どもを産む前に食の現状を知っていれば、我が子もアトピーにならなかったかも…」と。若い人が今、何げなく食べている食事にもっと関心をもって欲しい。食生活が身体や環境に与える影響の大きさを知って欲しい。自分の身体を大切にすることは、未来の子どもたちの健康を守ることにも繋がっている。「自分が経験しなければ、その大切さに今でも気が付かなかったかもしれない。だから、経験から学んだことを一人でも多くの人に伝えることで、みんなの意識が少しでも変わってくれたらうれしい」。伝えることが私の仕事、最後にそう力強く話してくれた。





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