
仲矢 あけみさん
ファッションコーディネーター・スタイリスト
なかや・あけみ / 1948年奈良県生まれ。ファッションデザインスクール卒業後、神戸の大手百貨店に入社。オーダーサロンデザイナーとなり、大阪万博オランダ館の制服のデザインを手掛けた経験を持つ。現在は北九州にて、ファッションコーディネーターとして幅広く活躍中。フィニッシングスクール「セルフィン」の専任講師。89年に開設した五木文庫小倉の代表も務める。
※ファッションコーディネーター:最新の情報を取り入れながら、洋服、バック、靴、アクセサリーなど、トータルに着こなしを提案する仕事。それぞれの魅力を最大限引き出すスタイルづくりのノウハウから、ワードローブについてまでも総合的にアドバイスしてくれる。
「外見を変えてあげたら、女の人生って変わるのよ」と、きっぱりと言い切るファッションコーディネーターの仲矢あけみさん。凛として格好いい。個人のトータルコーディネートから講演活動、講師の仕事など、東京・九州で勢力的に活躍中だ。
高三でデザイナーの道を決意。 順風満帆な仕事ライフ。
仲矢さんは、「田舎町にしては洒落た洋装店」を営む母親と、絵描きの父親との間に生まれた。人が憧れるウインドウの中で遊び、父親が上京しては買ってくる「流行りの物」に心ときめかせたという。お洒落な物に並外れた好奇心をもつ子供だったのだ。
デザイナーになりたいと思ったのは高校3年のとき。百貨店のオーダーサロンで「こんな仕事があるんだ」と心惹かれ、デザイナーになるための専門学校のリストをもらったのがきっかけだった。21歳で希望通り神戸の大手百貨店に入社した仲矢さんは、華やかなスタートをきることになる。入社間もなく、大阪万博・オランダ館の制服が社内公募され、仲矢さんのデザイン画が採用されたのだ。さらに、その実績が認められ、新人でありながらも念願のオーダーサロンのデザイナーとなり順風満帆だった。結婚を機に退社してからも、お洒落なマタニティーや子供服を作り注目を集め、パッチワーク教室を開くなど、腕を振るった。
転機は28歳。北九州でゼロからの出発
しかし、28歳になりたての頃、転機が訪れる。夫の転勤で北九州へ移り住むことになったのだ。当時はお洒落な店も少なく、友達もいなければ仕事もない。がんばってしたことが報われないことも度々あり、虚しくなって夫にあたったりもした。そんなとき「今しかできないことがある。それが後できっと役に立つ」という夫の言葉に励まされたという。それからは月に一度は神戸や東京に行き、自分の感性を確認しながら、いつチャンスが来てもいいように、勉強を重ね技術を磨き、力を蓄えた。見返りは関係ない。誰かに喜んでもらうことが自分の幸せであることにも気づいた。そこからが本当の出発だったと振り返る。
大きな支えとなった 作家・五木寛之氏との出会い
もう一つ、大きな支えとなったのが、長年の大ファンだった作家・五木寛之氏との出会いだ。九州で開催された講演で話す機会を得て、気がつけば「五木文庫小倉」を設立する流れの中にいた。これまでも五木氏が本に綴った珠玉の言葉に支えられてきた仲矢さんだが、「五木文庫」設立にあたり、一流の人たちによる一流の現場を見せてもらう幸運に恵まれ、成長させてもらったという。ファッションの仕事と「五木文庫」の二つが仲矢さんを支える両輪だ。
現在はファッションコーディネーターとして、若い女性からお年寄りまで、それぞれの魅力を引き出すスタイルづくりの提案をしている仲矢さん。誉め上手で励まし上手。「いいところ探しの達人」に「いつもワクワクさせてもらう」とファンも多い。「いいところをたくさん見つけて、生き方までも輝くように一生懸命応援してあげたい」と微笑む瞳には愛情が溢れている。仲矢さんはこれからも、「ファッション」を通してたくさんの人々の人生を応援し続ける。


















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