
伊良原 博子さん
(有)「万玉」取締役
いらはら・ひろこ / 1947年生まれ。茨城県出身。高校卒業後、地元の建築関係の会社に勤務。女性で初めて東京本社へ転勤。そこで伊良原氏と出会い、結婚。一男一女の母となった後、鎌倉にて神奈川県生活協同組合連合会に勤める。有限会社「万玉」の創始者伊良原義人氏亡き後、北九州に移住。1996年に夫が代表取締役に就任するとともに取締役に。現在では、鶯宿梅製造発売と居酒屋経営に全力で取り組む。油絵など趣味も多彩。
居酒屋「万玉」の庭園を案内してもらった。樹齢2百年もの古樹をはじめとした樹木がいっせいに新緑の美しさを湛えている。まだ小さいが、鈴なりになる梅の実を発見し「見て見て」と少女のように喜ぶ伊良原博子さん。人を包み込むようなおおらかさとバイタリティー溢れる行動力で、「万玉」を夫と長男と共に支えている。
今の「波」を崩さないことが役目
「万玉」の鶯宿梅といえば、全国的にも有名な練り梅。一代目が創り上げたその味を、二代目となった伊良原さんの夫が受け継ぎ、閉店していた老舗料理店を長男が居酒屋として5年前に再開した。「今は時代の波に乗っていると思うんです。その波を崩さないのが私の役目」と、二人を全力でサポートする。「昔から仲介役が多かった」という伊良原さんの持ち味を発揮して、従業員やお客様との関わりに常に心を配る。「コミュニケーションがしっかりできていれば、たいていのことは解決できるんです」と語る笑顔が頼もしい。
27歳からの充実した鎌倉時代
10年前までは、北九州で暮らすことも、今の仕事も、想像すらしていなかったという。就職先の建築関係の本社で社内恋愛し、結婚。一男一女をもうけ、社宅のある鎌倉に引っ越したのが27歳の時だった。それはまさに「子育ても仕事も楽しい」充実した生活のスタート。生活協同組合連合会に勤め、パートだったが責任もやりがいもある仕事に携わった。労働組合の一員として壇上で拳を振り上げ賃金交渉に取り組んだ経験もある。ずっとそこで働くと思っていた。しかし、47歳の時義父が急逝。夫が跡を継ぐことになり、北九州に移り住んだのだ。予期せぬ突然の展開だった。
人生の大きな流れの中で
夫が代表取締役社長に就任し、自身も取締役となるが、初めの一年は、ただ見ているだけで何もできなかったという。わからないことばかりで、従業員は皆先輩だ。心許せる友人もいないなか、方言に対して拒絶反応が出てしまい、自分でも戸惑う日々が続いた。そんな彼女を見かねた夫は、いろんなお店に連れていってくれた。すると先々で友人ができ、それが突破口となった。新参者が老舗の経営者になるということは一筋縄ではいかないものだが、その点では以前の仕事の経験が役に立った。「仕事を続けていて本当によかったと思いましたね。あの時があったからこそ今がある。人生には流れがあって、その大きな流れの中にいる気がするんです」としみじみと振り返る。人に言えない苦労や悩みもある。しかし「人に気づかれずに立ち直るのが特技なんです」と、力強い瞳で微笑んだ。
今は大勢の常連客に愛され、新商品を出す計画にも目を輝かせる。やりたいこともたくさんある。「人生って一度しかないでしょ。新しいことやらないともったいない」と、どこまでもポジティブだ。そんな伊良原さんの生き方や考え方は若者たちの心をつかんだようだ。二年前、北九州市立大学で人生についての講義をしたところ、前向きな感想文がたくさん寄せられたという。それがまた伊良原さんのパワーにつながる。
最近英会話を習い始めた。「一人で海外旅行に行くのが夢。一人で何でもできるようになりたい。それが一人前になるということでしょ」。58歳の今もなお、学生たちに負けないチャレンジ精神で、一人前を目指す。


















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