三輪純子さん
スピーチセラピスト
みわ じゅんこ / 1940年生まれ。NHK放送劇団を経て民放テレビ局へ。21歳で上京し司会者として活躍したが、27歳で北九州に戻る。その後は、フリーアナウンサー、ファッションショーのナレーター、喫茶店経営など様々な職業を経験。現在はカルチャーセンター話し方講師、朗読の会主宰のほか、北九州日豪協会会長、ネパールへの援助活動、医療関係及び教育現場、企業での講演や研修など、多岐に渡って活動。
がむしゃらに働いた20代後半~30代
心地のいい声、テンポ良く溢れ出ることば…気がつけば話に引き込まれている。それは声の質や話し方だけではない。「話す」ということは、その人となりを映すものなのだと、気さくで朗らかな三輪さんの人柄に触れ、実感する。
NHK放送劇団、民放のテレビ局を経て、21歳で上京。司会者として全国各地を飛び回る中、その時に出会った漫談家や噺家たちから教わったのが、徹底した「サービス精神」だった。「とにかく周りの人を喜ばせることに命をかけているような人たちで、今でもそれが、私の基本、生きる目的となっているんです」。
結婚・出産して専業主婦となるが、30歳を前に夫がいなくなり、4歳と2歳半の娘を連れて北九州へ戻った。「くそっ! やってやろうじゃないの!」と、自分をふるい立たせ、フリーアナウンサー、ファッションショーのナレーターの仕事を始め、通信教育で自己啓発や接遇の資格も取った。安定した収入を得るため喫茶店も経営し、幼い娘たちと自分の生活のために、ただがむしゃらに働いた。
2度の入院にも負けず、奇跡の復活
「自分が培ってきたものを伝えていこう」と、40歳のとき、話し方講師となった。同時に立ち上げた朗読の会は今年で27年を迎え、朗読コンサートも多数行ってきた。「仲間は私の宝です」と目を細める。人を楽しませたい、喜ばせたいという「サービス精神」は、日豪協会の会長としての国際交流やチャリティにも活動の場を広げた。苦しかった経験もジョークに変えて本音を語る三輪さん。「ライブでしか話せないことばかりだから、私の講演は面白いわよ」と笑う。
そうやって、「何事もとにかく一生懸命に」頑張ってきたが、3年前、過労で倒れ入院。その時は自分もまわりも大して心配せず、1カ月で退院した後は、これまで通りバリバリと働いた。しかし、その9カ月後、地元FMの生放送中に再び倒れてしまう。脳内出血。医者から死んでもおかしくなかったと言われたが、何と1カ月で退院。さすがに今度は以前と同じように働くことはできなかったが、三輪さんにはどうしてもやらなければならないことがあった。それは、ネパールの小学校設立のためのチャリティコンサート。ネパールへの奉仕活動に尽力し、昨年5月に亡くなった友人・向坊弘道さんとの約束を絶対に果たしたかったのだ。
原動力は、辛かった30歳前に自分を支えた「くそっ! やってやろうじゃないの!」という思い。40歳になる前も50歳、60歳になる前も、同じ境遇になったらどうするか? と考えてみたら、やっぱり「やってやろうじゃないの!」と思えた。その変わらないバイタリティで何度も壁を乗り越えてきた三輪さんは、若い人たちにエールを送る。「ここまでならできる、じゃなく、それよりも少し高く目標を置いて、達成した自分の姿を何度もイメージして一生懸命やってみることが大事。まずは一歩を踏み出すことよ!」
病気を機に「憩うことも必要」だと思ったが、徐々に体調が回復してきたら、じっとしてはいられない。放送作家・折世凡樹さんの作品を朗読したCDの作成や、2冊目の本の出版など新たな構想が生まれている。「何でも一生懸命やらないと面白くないでしょ」。三輪さんの「やってやろうじゃないの!」はこれからも続く。


















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