石田 照子さん
木彫講師
いしだ てるこ / 1923年、八幡生まれ。小学校の教師だった20代前半は、第二次世界大戦の最中。空襲で生徒を亡くしたことも。終戦後、結婚・出産・子育てを経て、福祉事務所へ再就職する。この時期に習い始めた木彫が勤務先でも目にとまり、『北九州市立年長者大学校 周望学舎』の木彫コース講師に。24年間で約600人の卒業生を輩出。2003年の終了後も、『NHK文化センター』などで木彫を教え続けている。
機会を逃さず、とにかくチャレンジ。
「木彫には一人ひとりの、人間の温かさが出ます。家庭や仕事の役割を終えて人生経験を積んだ方々が、新たな人生の追求として木彫に挑戦する。心から楽しんでいるから瞳も輝いているんです」。ゆっくりとそう話すのは、『北九州市立年長者大学校 周望学舎』で24年、木彫を教えてきた石田照子さんだ。デザイナーズスーツを着こなし、すっと品よく佇むその姿に、84歳と聞いて驚いた。その落ち着いた印象とは異なり、彼女の人生は常に新しいチャレンジの連続だった。
寺の長女として生まれ、幼少時から多くの人に接し、何事にも好奇心旺盛だった石田さん。人に教えることが好きで、20代前半は小学校で教師をしていた。時は第二次世界大戦真っ只中、空襲で生徒の一人を亡くすという痛ましいこともあった。終戦後、24歳で結婚。一男一女に恵まれた。実家のそばで暮らしていたため、自身もそうであったように、子育てには両親や近所の人みんなが協力してくれた。結婚後に小学校を退職した後もずっと、「自分も何か社会の役に立ちたい」と、再就職を望んだ。子ども達も成長した40代前半、福祉事務所に勤め始める。石田さんが木彫に出会ったのはこの頃だ。友人の作品に魅せられ、すぐに習い始めた。一つひとつ異なる木から自然界の生気を感じながら彫る作業はとても楽しく、のめり込んだと言う。「この楽しさをもっと伝えたい」と、勤め先の同僚たちに教えはじめたことがきっかけで、大きなチャンスが巡ってくる。同僚の一人に「年長者大学校」の事務局長の妻がいて、周望学舎で木彫を教えてほしい、という声がかかったのだ。自宅で教えるのとは訳が違う。不安もあったが、「せっかく与えてくださった機会。これは逃しちゃいけない。やってみなくちゃと思って」。24年に渡る、木彫講師としての人生がスタートした。
木彫がつなぐ、人と人、心と心。
石田さんが「年長者大学校」で教え始めた頃の生徒はほとんど、自分よりもはるかに人生経験を積んだ人ばかり。中には警察署長や郵便局長という大役を終えた人もいた。だから時折、摩擦が生じることもあった。「木彫は刀の使い方に慣れるまでは本当に根気が必要です。とにかく真摯に教え続けるだけでしたね。生徒の皆さんも一生懸命で…。やっぱり楽しいんですよ。木を彫って、木の呼吸を感じる楽しさを共感できたとき、心が通い合うんです」。石田さんにとって木彫講師は天職であり、辛い時には木彫が支えにもなった。北海道に嫁いだ長女が、3人目の孫を産んだ後、亡くなったのだ。彼女も木彫が好きで「お母さんが先生を引退したら、北海道で一緒に木彫をしよう」と言っていたそうだ。今でも木彫講師を続けているのは、長女のこの言葉が胸に残っているからだ。「私は家族や生徒さん、そして周りの人達みんなに引っ張って来てもらったんです」。
「“お年寄り”という言葉は嫌いですね。胸に刺さるようで…。年を重ねているんだと言ってます。私自身も、人にも」と微笑む石田さん。これまで出会ってきた多くの人、多くの経験が幾重にも重なって、人生をつくってきたという実感が込められた言葉だ。近年は、『NHK文化センター』での講師の傍ら街の活性化にと、生徒やこれまでの卒業生たちと共に、北九州モノレールや博覧祭、商店街などで、展示即売会や実演を行っている。「年を重ねてきた人たちが木彫を通して、街にも貢献できる。もっと多くの人に、このことを伝えたくて」。石田さんの新たな挑戦は続く。


















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