
樋上 禎子さん
北九州市立八幡大谷市民センター館長、北九州ミズ21委員会第10期委員長。1954年北九州市生まれ。九州女子短期大学食物科卒業。現職のほかに、(財)北九州活性化協議会評議委員、北九州市にぎわいづくり懇話会理事、北九州市基本構想審議会委員、北九州市基本構想を考える市民会議新しいまちの「かたち」をつくる部会副委員長も務める。
50歳になったら社会に打って出る!
「若いころは中村雅俊が大好きだったのね。でも今は、ヨン様も好き!」とチャーミングな笑顔で話す樋上さん。彼女は、北九州市立八幡大谷市民センターの館長であり、また、市に対して政策の提案をする女性グループ『北九州ミズ21』の第10期委員長も務める女性だ。肩書きだけを聞くと、バリバリのキャリアウーマンをイメージするかもしれない。しかし実際の樋上さんはとてもソフトで物腰が柔らかく、いつもニコニコしたお母さん、といった印象を受ける。
樋上さんは生まれも育ちも北九州。高校を卒業し地元の企業で働いた。社会人を2年経験した後、栄養士を目指して短大に入学。思う存分好きな勉強をして、見事トップで卒業。それから約1年後に結婚し、3人の子どもに恵まれた。「27歳の頃は子育てに明け暮れていました。夫は仕事柄、1年のうち半分以上は家にいませんでしたから」。幸い、実家の近くに住んでいたこともあって孤独を感じることもなく、楽しい子育てライフを送っていた。しかしその傍ら、何かしらの形で社会に出たいという気持ちから、PTA活動やまちづくりの手伝いなど地域のボランティア活動にも精を出す。そして一番上の子が中学校に上がるとき「お母さんは50歳になったら社会に打って出るから、あなたたちは将来、自分の子どもができたら私を頼らずに自分で面倒見るのよ」と宣言。三番目の子が成人する50歳を自分の中の目標とし、その年齢が近づくまでの間、さらに活動を続けた。そしてとうとう、48歳のときに現職である市民センターの館長公募にチャレンジし、受かったのだ。
ベストを尽くすこと逃げないこと
館長となってさらに活動の幅も広がり、知り合いも増えていった樋上さん。今までの人生を振り返って、こう言う。「何事も手を抜いてはダメ。自分なりのベストを尽くさないといけないの」。じつはこれ、樋上さんがまだ小学生の頃の経験から学んだことなのだ。「学芸会の配役決めで、本当はなりたかった役が他の人にまわったことがあったんです。『その役をするのは私しかいないはず』と思って、役を勝ち取る努力を怠ってしまったんですね。この経験から、やりたいと思ったことに対して、できる限り努力することの大切さを、身をもって学びました」。
その教訓は今の樋上さんにも生きている。先日行なわれた『北九州ミズ21』の報告会で「300人集まれば成功」と言われていたが、樋上さん率いる第10期の委員たちは500人以上を集めてホールを満杯にしたのだ。「今までの活動を発表するのに、ただ提言書を発表するだけじゃダメ。なるべくたくさんの人と一緒に読むことが大切だと思うんです。だから私は、ホールを満員にすることを目指しました。いろいろな会議や集まりに顔を出し、一人ひとりに直接チラシを配って回ったんですよ」。気づけば、開催までの1カ月間にたった一人で550人もの人に直接会ってお願いしていた。「自分に出来る限りのベストを尽くそう。そうすれば自ずと結果がついてくる。私はそう信じています」。
いつも全力投球で頑張っている樋上さんは、この3月で館長を引退する。「これからは、いろいろなジャンルで活躍する北九州の輝く女性たちを、何らかの形でメジャー発信したいなと思っています」。目を輝かせながらそう語る樋上さんを見ていると、彼女の夢とともに、北九州の未来が広がるように感じた。


















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