
渡部 英子さん
有限会社小倉クリエーション代表取締役。1956年、八幡生まれ。1986年『布アネックス小倉店』をオープン、07年からは小倉織を使いやすい日常の品として提供するブランド「縞縞」を立ち上げる。三越・銀座店や東京ミッドタウンでの企画展示・展開、今年2月にはドイツ、フランクフルトの見本市、アンビエンテに出品。国際的にも評価を受けた。
「昔はバンドマンだったの」
にこやかに迎えてくれたテキスタイルショップオーナー、渡部さん。昔から布が好きで、なんて話を想像していたら、意外なことを話し出した。新しい発想で布の開発や商品展開を行う『布アネックス小倉店』をオープンして22年。意外な過去も交え、今日までの軌跡を尋ねてみた。
諦めた道、出会えたもの。
最初に志したのは音楽の道。高校生でジャズピアノを始めたことをきっかけに、19歳からキャバレーやクラブのステージで個性豊かなバンドマンたちとプレイをした。21歳で結婚し子どもが生まれてからも、近くに住んでいた母親や周囲の協力を仰ぎながら弾き続け、26歳の時には女性3人のバンドを結成し、5年ほど活動を続けた。
しかし、渡部さんは徐々に、プレイヤーとしての日々に疑問を感じ始める。才能に見切りをつけ、今の活動をやめるべきか。そうしたら何を生業にして生きていくのか…。悶々としていたある日、渡部さんは姉に誘われて行った、東京のテキスタイルショップで面白い布を見つける。それが『NUNO』との出会いだった。
「発想がとても面白いんです。二重織のシルクオーガンジーのポケットに鳥の羽を入れて織った布は、広げると羽が舞い落ちるように見えたり、釘や有刺鉄線の“錆び”で染めた布とか…」斬新な発想でアート性の高いテキスタイルに、渡部さんの音楽家として培われてきた感性が反応した。「小倉で『布アネックス』の店舗を出させてください」と渡部さんがオーナーへ交渉に行ったのはそれからすぐのことだった。
怖いもの知らずの起業。
「今思えば、何も知らなかったからこそできました」という渡部さん。当時の苦労を振り返って笑う。布の知識も経営もまったく素人。
周囲からも「どうして音楽とはまったく違う業界へ?」と驚かれた。「なぜ北九州に?」「半年保てば良いほうだ」とまで言われたが、生まれも育ちも北九州の渡部さんにここ以外の選択肢はなかった。バブルは既に弾けた86年、『布アネックス小倉店』をオープン。軌道に乗せるまではしばらく年数がかかったが、営業に行き、展示会を繰り返し行っているうちに、建築家やインテリア業など、感性を重視する人々に評価され、顧客が広がるようになった。九州県外からの来客も増えた。また、小倉店独自の商品開発も積極的に行い、昨年は小倉織のブランド「縞縞」を立ち上げた。江戸時代初期、豊前小倉藩の特産でありながら、その製法が途絶えていた小倉織は、染織作家の姉、築城則子さんが復興させたものだ。動きのあるたて縞が特徴の丈夫な木綿布は、海を越え、ドイツの見本市などでも高い評価を受けた。07年には福岡産業デザイン大賞も受賞した。
「北九州の伝統文化として認知されるよりも、『あ、これイイな』『お洒落だな』と手に取ってみたら、それが小倉織だった』という商品を提供することが目標です」。北九州から世界へ文化発信できるものをつくりたいという。
音楽業界からまるっきり畑違いの転進を成功させた渡部さん。その秘訣は?
「全くの素人だったけど、自分が好きか嫌いか、を大事にして、様々な判断をしてきたことでしょうか。その判断には間違いもあったと思うけど、目指す方向がブレなくて、結果的に自分らしさが出せたと思う。今は情報過多社会で何を判断基準にしたらいいのか分からず、人の意見に流されがち。物事を判断するときには、他のものに振り回されず、自分がどう思うかを軸に考えてみることも大事だと思いますよ」と答えてくれた。
自分に正直な人生、なかなか簡単ではないかもしれないが、その積み重ねの先には、だからこそ輝いている人生もある。
小倉織ブランドの『縞縞』。繊細さと力強さを併せ持ち、やわらかいが凛としたたて縞が美しい。巾着袋や財布、ブックカバー、本の栞など、様々な形にアレンジされ、陳列されている。


















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