
河邊 政恵さん
株式会社リバー不動産代表取締役社長。1964年、門司区生まれの門司区育ち。銀行勤務を経て(株)リバー不動産入社。2004年に社長就任、現在に至る。クラシック音楽やオペラをこよなく愛す。(社)北九州中小企業経営者協会会員、北九州市基本構想審議会委員、北九州にぎわいづくり懇話会委員、第9期北九州ミズ21委員会委員長ほか。
愛犬グレースと一緒に私たちを迎えてくれた河邊さんは、北九州市で不動産業を営む『(株)リバー不動産』の社長。朗らかで明るい笑顔が素敵な女性だ。
180度変化した生活と、その中で得た大切なもの。
両親の愛情を一身に受け、高校2年生の夏まで、何不自由なく生活していた。だが突然、父親の会社が倒産。周囲の慌しさが日に日に増していく。ある日、母が毎週来ていたクリーニング屋さんとの話し声を耳にした。
「次回からは来なくて結構です」。
…ああ、大変なことが起こっているんだ。ようやく実感が沸いてきた。
母の財布に500円しかない時、祖母からの送金で、やっと家族の夕食を用意できたこともある。河邊さんはアルバイトをしながら通学し、大学進学をあきらめ高校卒業と同時に就職。当時北九州管内でも規模の大きい会社倒産となった父の背負った社会的な責任…それを考えると、奨学金という方法を取ることもできなかった。
厳しい状況だったが、悪いことばかりではなかった。それまで仕事一辺倒だった父が家庭に戻ってきてくれ、家族の結束が強くなったこと、進学を諦めたのは辛かったが、別の道を選んだからこそ出会えた大切な人たちがいること。
「物事は捉え方次第で、如何様にもなります。ネガティブに考えても前には進めない。自分の道は自分で切り開くものだ、と今は思えますね」。
周囲の人に育てられて。
卒業後、就職した銀行で、河邊さんは社会人のイロハを学ぶ。来店するお客様にも育てられた。女性としてのたしなみや品性など、無形の財産を与えてくれた人生の師とも出会った。
その後、倒産を免れた父の子会社、当時のリバー建装に24歳で入社。経理・営業・管理を経験し、16年後には同社社長に就任するわけだが、実は河邊さん、入社当時は不動産業で長く働くつもりが無かった。
「当時の市場調査で、不動産業のイメージカラーがグレーというのが嫌で、働きながらも、辞めたいと思っていました」。
27歳は正に迷路の中。何をすべきか迷い悩み、客観的に自分を見つめたかったのか、衝動的に肖像写真を撮ったこともある。
そんな彼女の気持ちを切り替えてくれたのは、“一生追い越せない存在”という父だ。
「不動産業がグレーなら、あなたはその中でキラッと光るものになればいいじゃないか」。
父の会社は倒産したが、顧客は離れていかなかった。個人から上場企業に至るまで、「会社再建を是非してほしい」と言われるほど、父の信用・信頼は厚かった。これはすごいことだと思った。その父の顧客を引き継いでいきたい。贈られた言葉が想いとなり、仕事への情熱となる転機となった。
34歳には、大学進学も果たし、北九州市立大学法学部2部法律学科を卒業。そして、4年前に社長就任。個人住宅から数千坪の事業用地の売買仲介・賃貸の仲介・管理を手がけながら現在に至る。社長業は常に河邊さんを鍛え上げる。
「トップの決断がいかに難しいかを身にしみて知りました」。社長と呼ばれるのが辛い時期もあった。また、北九州市長の諮問機関「ミズ21委員会」では、年齢層も価値観も幅広い女性たちの意見をまとめる難しさにも出会った。「どの困難も、周りの方々に助けられ、乗り越えられました」と常に周囲への感謝を忘れない。その素直な姿勢がまた、彼女を支えたくなる魅力でもあるのだろう。「不動産業はまちづくり業。これからも愛する北九州市の役に立てる企業でありたい。また、関門海峡の景観の美しさをもっと多くの人に知ってもらえるよう努力していきたい」と、まっすぐな瞳で夢を語ってくれた。

かけがえのない出会い。師と仰ぐお客様と足立美術館にて。26歳の頃。


















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