谷本 仰さん
バイオリニスト/日本バプテスト連盟
南小倉バプテスト教会 牧師
たにもと あおぐ / 1963年生まれ、大阪出身。関西学院大学文学部、神学部を経て福岡へ。西南学院大学の神学専攻科(現在の大学院神学研究科)を終了後、牧師として南小倉バプテスト教会に赴任。音楽活動としては、アルゼンチンタンゴ「トリオ・ロス・ファンダンゴス」、サイケデリックジャムバンド「ドグラマグラ」等多数のユニットに参加し、昨年3月にはホームレスエイドCD「ゴーイング・ホーム」を発表。売り上げをホームレス支援金に充てている。また音楽監督・作曲として関わる水上野外劇「まれびとエビス-紫川物語-」も、8/20(水)~24(日)、勝山公園横水上ステージにて開催。認定NPO法人北九州ホームレス支援機構メンバー。
釜ヶ崎で変わった人生。
6歳でバイオリンを始め、そろそろ40年が経ちます。大学時代はアメリカに1年間留学し、朝から晩までバイオリン漬けの毎日。当時の学部長にも評価してもらえ、そのままプロを目指すことも考えましたが、日本へ戻った時に人生を変える出会いがありました。地元大阪にある日雇い労働者の町、通称釜ヶ崎です。そこで飢えや貧困、人間性を奪われた社会を目の当たりにし、今まで豊かで平和だと思っていた日本が、とんでもない問題を抱える社会だと気づかされました。両親がクリスチャンでもあり、慣れ親しんだ教会で社会の問題に関わっていければ、と牧師の道を選択。数年はバイオリンをほとんど弾くこともありませんでした。
2008-08-31 01:52 PM. [
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脇野 正裕さん
株式会社 ワキノアートファクトリー 代表取締役社長
わきの まさひろ / 1970年、小倉北区片野生まれ。祖父や父の仕事を見ながら育つ。東京のイベント制作会社や、スペースワールドへの出向等を経て平成19年10月に代表取締役社長に就任。感動の伝え方、見せ方にこだわった企画・演出を行う花火ショーを得意とする。ハウステンボス、わっしょい百万夏祭り、関門海峡花火大会などの演出を手がけ、海外でもFIFA女子ワールドカップサッカーエンディング花火でオペレーションをつとめるなど、活動の幅も広がっている。
頭を下げ回り、奔走した12年前。
株式会社ワキノアートファクトリーは、祖父が昭和28年に興した『脇野煙火商会』が前身の会社です。僕は3代目として昨年、社長に就任しました。それまでも社員として花火は作っていましたが、経営管理の知識はゼロ。花火の打ち上げには多種多様の申請が必要ですが、当時はそれすら知らなくてトラブルの連続。毎日のようにあちこちへ謝りに行き、頭を下げたものです。
2008-07-30 04:02 PM. [
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高坂 圭さん
放送作家・脚本家
こうさか けい / 1959年、東京で生まれ、北九州市八幡東区で育つ。高校を卒業後、JR、北九州市立こども文化会館(児童指導員)、企画会社勤務などを経て30歳でフリーランスのライターとして独立。現在は放送と広告、映画などの分野で活躍。代表作は映画『千年火』『卒業写真』。
人との縁で繋がる仕事。
高校を卒業後、JRで運転手をしていましたが作詞家の勉強をしようと決心し、28歳で会社を辞めました。30歳の頃、音楽仲間の先輩が制作会社を興したのをきっかけにラジオの企画を書いてみたことが、この業界に入ったスタート地点です。最初に形になった仕事は、無法松酒造の広告コピーでした。担当プロデューサーと朝まで飲んだ後、コピーを100本送りつけて仕事を勝ち取ったんです。それだけ熱意があったんでしょうね。OKをもらうまでに何度も何度も書き直してやっと完成させたコピーが「人集う酒」。僕にとって印象深いコピーの一つです。これ以降はずっと、仕事で知り合った方、しかもなぜかみんな女性からの紹介でいろんな仕事をさせてもらっています。どうやら僕は女神と縁があるみたいですね(笑)。テレビや映画の仕事も全部、人との縁で始めました。
2008-06-18 02:21 PM. [
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辰本 誠一郎さん
『小倉自動車学校』専務取締役
たつもと せいいちろう / 1970年、北九州市小倉南区出身。小倉自動車学校三代目。長崎大学水産学部卒業。船舶会社で勤務後は、トヨタの系列会社が運営する「中部日本自動車学校」にて1年間研修。教官になるための試験勉強と自動車学校の運営や接客について学ぶ。趣味は釣り、ゴルフ、読書。釣りは最近、ヤマメ釣りに夢中だとか。
地域の自動車学校としての役割。
小倉自動車学校は今年で創立44年目。私で三代目になります。海や魚好きが高じて入った大学の水産学部では船舶などについて学びました。卒業後2年間は航海士の仕事に就いていましたが、ちょうど27歳の頃に家業を継ぐ決心をし、入社しました。今年で働いて10年になるのですが、最近は少子化の影響で入校者数も年々減少し厳しい状況が続いています。その反面、免許を取得した人のためのペーパードライバー教習や企業研修などのニーズが高まっています。また、自動車学校は地域の交通安全センターの役割も担っていますので、近所の幼稚園で安全教室を催したり高校生を対象に自転車に乗る際の交通ルールを学んでいただいたりも積極的にしています。自動車を運転する人が無事故であるのが一番ですが、事故に巻き込まれないためにも、免許を持っていないときから安全についての知識を高めることは大切だと思うんです。福岡県では昨年、約6万人の人が交通事故でケガをしています。単純計算で1日160人。そう考えるだけでも恐ろしいことです。私も子を持つ親になって改めて安全について考えさせられるんです。小倉自動車学校を卒業される方の多くは、この地域で運転することが多いでしょう。しっかり教習させていただき身近な地域から事故を無くし、地域の方を事故から守るお役に立ちたいと思います。また、最近ニュースでよく耳にする飲酒運転についても気になります。法律で決められた教習時間以外にも「人としてのマナー」を学ぶ時間を取ることができればいいのに、とも考えますね。
みんなに愛される学校を目指して。
北九州の街がもっと安全になるように活動し、もっと多くの方に小倉自動車学校を知っていただけるよう「みんなに愛される学校」を目標に掲げました。教習生・卒業生・地域の方・スタッフ・その家族、すべての方に愛される学校になります! そのためにはまず、働くスタッフがその気持ちを持たないといけませんね。スタッフが生き生きと働くことで、それが周りにも伝わると思うんです。「じゃあ、そのためにどうするのか」。それが今からの課題ですね! 頑張ります!
2008-06-01 01:59 PM. [
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牧野 伊三夫さん
画家
まきの いさお / 1964年、北九州市小倉南区出身。画家。美術同人誌『四月と十月』同人。多摩美術大学卒業。広告制作会社「サン・アド」を退社後、画家として活動。『暮しの手帖』の表紙や本誌の挿絵、サントリー株式会社の機関誌『WHISKY VOICE』、映画『かもめ食堂』のイラスト、雑誌『ku:nel』の挿絵などを手掛ける。2006年には北九州市立「子育てふれあい交流プラザ」(小倉駅北口AIMビル3F)の入り口に壁画を制作。北九州市が発行する『雲のうえ』では、編集委員・画家として活躍。
『雲のうえ』にかける想い。
北九州市が発行している情報誌『雲のうえ』は、新北九州空港に就航する「スターフライヤー」の機内誌でもあります。10万部のうちの半分を機内で配布しているんです。東京など他の都市の書店へも置いてもらい話題になっています。市役所への問合せも多くすでに在庫がない号もあります。この雑誌を読んだ東京の友人から北九州市を「今一番行きたい街ナンバー1」だなんて言われるととてもうれしいです。
一番印象的だった号は、やはり創刊号。行政が発行する情報誌として酒場を取り上げ、しかも「角打ち」だけで一冊作ることは反対意見もありました。しかし、北九州の素顔を伝えるには工業の発展とともに育ったこの安酒場の風景を取り上げるのがよいと思いました。情報誌としてよいお店を紹介するというのではなく、この街に住む市民のありのままの魅力を伝えられる誌面にしたいと考えました。とりつくろった、うわべの表情ではなく、自然な表情の美しさを見てほしいと。従来の広報誌としての枠を超えなければ人に読んでもらえないだろうという考えがありました。そのことを行政の側が理解してくださったことがとても大きいです。
2008-04-29 02:36 PM. [
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真花 宏行さん
『料亭 金鍋』店主
まはな ひろゆき / 北九州市若松区出身。九州産業大学芸術学科卒業。35歳で5代目店主となる。30歳から板場で10年近く修行し、店の伝統的な味を習得する。現在は板場に立つこともあれば、店全体のマネジメントやイベント企画など、仕事内容はさまざま。もともと映画界で働いていたことや、若松ゆかりの映画がたくさんあることをきっかけに、料亭で映画を見ながら食事をする「若松映画祭」を企画・実行。
改めて見えてきた価値に気付く。
私は生まれも育ちもずっと若松。生粋の若松っ子です。しかし、大学で美術を学んだ後は東京で映画の世界に入りました。映画会社の美術担当として、当時人気だったゴジラシリーズや孔雀王といった映画に携わりました。黒澤明監督とも一緒にお仕事させていただいたことがあります。もう、一生映画で食っていこうと思っていましたね。でも、ちょうど30歳のころ、父親が体調を悪くしたのをきっかけに若松へ戻ってきました。東京では十分にやりたいことをやらせてもらったし、それに何より、戻ってきたことで若松がとても新鮮に見えたので、跡を継ぐことにしました。「将来は家業を継ぎなさい」とは言われずに育ってきましたが、家業のことを「古臭い、時代遅れだ」と捉えていたんですね。でも、戻ってから改めて見ると、建物や食文化そのものがとても価値のある大切なものだと分かったんです。それからは、父親の下で板場に入り、一から修行し始めました。
2008-03-29 04:02 PM. [
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森田 隼人さん
「シャボン玉石けん株式会社」 代表取締役社長
もりた はやと / 北九州市小倉北区出身。専修大学経済学部経済学科卒業後、2000年にシャボン玉石けん株式会社に入社。2007年3月に3代目の代表取締役社長に就任。「健康な体ときれいな水」を守るため全国各地だけにとどまらず、世界にも商品を送り出している。http://www.shabon.com/
「ありがとう」。その一言のためにできること。
シャボン玉石けんは私で3代目になります。最初は『森田範次郎商店』という日用品を取り扱う小売店で石けんを売ることからスタート、洗濯機の普及とともに合成洗剤の販売へとシフト。合成洗剤の売れ行きも非常に良く売上の大部分を占めていました。しかし、先代が永年悩まされた湿疹が、無添加の石けんを使うとわずか4、5日で治まったことから、「自らが使えないものを売るわけにはいかない。一度の人生、後悔はしたくない」と、1974年に合成洗剤の販売を一切やめ、無添加石けんを作ることに。無謀な方針転換に反対する社員も多く、8,000万円あった売上は1%の78万円まで落ち込みましたが、「ゼロではないということは、必要としている人がいる」と頑な姿勢を崩しませんでした。しかしその後17年間赤字が続き、社員も大勢去っていきました。それ以後、採用したのは無添加石けんを広めたいという思いを持つ人。職人の手で、舌で確かめながら作られる石けんに社員全員が絶対の自信を持っています。これまで支えとなってきたのは、お客様からの感謝の手紙です。支持してくださる消費者の方々があってこそだと思っていますので、シャボン玉を愛用してくださる方を裏切らない安心・安全のブランドとして貫いていきたいですね。商品を購入していただき、お金をいただく。そして「ありがとう」まで言ってもらえる、本当に幸せな仕事だと感謝しています。
2008-02-29 08:30 PM. [
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玉田 真吾さん
セレクトショップ「arosso(アロッソ)」オーナー
たまだ しんご / 北九州市門司区出身。福岡教育大学教育学部卒業後、アパレル企業に入社。昨年8月、室町に「アロッソ」オープン。市外県外から訪れるファンも多く、アナウンサーやスポーツ選手なども。多忙で来店できないお客様向けのパーソナルスタイリストとしても活躍。また、車椅子の人や目の不自由な人たちに喜んでもらえるスタイリングやデザインにも、力を入れてゆきたいと考えている。arosso http://arosso.com
バイイングを通して出会った人たちに支えられて。
もともとは教師になるつもりだったんですが、学業の合間にアルバイトしていた洋服屋の仕事がすごく楽しかったんです。そこは全国展開のセレクトショップの支店で成績のよい店舗だったので、多方面からよく視察に来ていたみたいなんですね。「うちで働きませんか?」とアパレル関連のいろんな企業から声がかかるようになり、お客様に「ありがとう」と言ってもらえることにやりがいを感じていたのでこの業界に進むことにしたんです。珍しいみたいですよ。アパレル関連の資格は一切持っていないのに教員免許を持ってるなんて(笑)。声をかけてもらった中から某アパレル企業に入社したんですが、そこはまだ出店前の段階だったので、自分たちで1から勉強しましたね。バイイングを通して仕事の仕方を学ぶだけでなく、全国のアパレル業界の先輩たちを始め、違う職種だけど粋な人たちとの出会いが次々とあり、そういった出会いが今の僕を支えてくれていると思います。
2008-01-30 01:53 PM. [
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水摩 敦さん
競艇選手
みずま あつし / 北九州市若松区出身。北九州高校体育科卒業。身長160cm、体重51kg。99期、B1級。血液型B型。若松競艇の新人選手として、これからの活躍に期待がかかっている。「若松は地元なのでやはり思い入れが違います。普段、『頑張って』と声をかけてもらうだけでも、本当にうれしい。頑張りますので、応援宜しくお願いします!」。
運動神経なら誰にも負けない!
「どうして競艇選手になったの?」と訊かれますが、最初からなりたかったわけではありません。僕は幼稚園のころからずっとサッカーを続けていました。でも、生まれつき身長も高くないし、体重も軽い。テクニックはあっても、パワーで負けてしまうんです。「もうこれ以上、上を目指すのは厳しい」と徐々に理解していました。高校生のころ、将来何になるか悩んでいたときがあったんですね。スポーツ選手になる夢も捨てがたいし、体育の先生も憧れるし・・・。そんなある日、先生から「競艇選手になってみらんか?」といきなり言われたんです。当時の自分にとって、競艇はギャンブルという認識がとても強かったので、すぐに断りました。でも、次の日先生が、競艇に関するいろんな資料を集めてきてくれて。それを眺めているうちに、パーッと世界が広がりましたね! だって、身長は低い方がいいし、体重も軽い方がいい。それでいて運動はできた方がいい。僕、運動神経は同じ体格の人なら絶対誰にも負けない自信があるんです。だから、競艇選手のことをちゃんと知ったときは「これは俺がならざるして、誰がなる!」ってくらい、ピンッときました。
2007-12-30 09:28 PM. [
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青山 真治さん
映画監督
あおやま しんじ / 1964年生まれ。北九州市門司区出身。立教大学卒業後、助監督・批評家を経て、'96年に「Helpless」で劇場映画を初監督。'00年の「EUREKA ユリイカ」は第53回カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞とエキュメニック賞をW受賞。最新作は「サッド ヴァケイション」。「第29回ぴあフィルムフェスティバルin北九州」では“青山真治セレクション”で鈴木則文監督と共に活劇についてトークショー&上映会を行った。
オール北九州ロケを敢行した「サッド ヴァケイション」を撮り終えて。
「サッド ヴァケイション」の反響は、僕が忙しくて聞いている余裕がないっていう感じかもしれないですね。「Helpless」「EUREKA ユリイカ」「サッド ヴァケイション」で北九州を舞台に、3本映画ができて「いいんやな~い」っていう感じですかね(笑)。なんか他人事のように喜んでいる気がします。映画を撮っている時から「こんな北九州の映画があったらいいな」と思いながら作っていました。「そういう風になれ」と念じながら撮っていたというのがあって、僕は北九州の人間として「これ、おもしろい!」と思ったら、終わりみたいな感じですよ。今まで反響について考えたことがないかも知れません。何年も経った時に久しぶりに見てみようかなって思うことはあるんですけど。観客の人と一緒に見るっていうのは怖いですね。国際映画祭に持って行った時は、観客の人と見ることが義務づけられてて…針のむしろですよね(笑)。「Helpless」「EUREKA ユリイカ」「サッド ヴァケイション」は3部作って言い方にはなるんですけど、もうね、3部作って言えなくなっちゃってるんですね。次も、あるね(笑)。4部作というか、北九州シリーズのようなものになっていくんじゃないかな。いずれ続きを作るんじゃないか、と。
2007-11-30 03:25 PM. [
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