重光 貴葵さん
Jリーグ・ギラヴァンツ北九州 ディフェンダー
しげみつ・たかき/1983年生まれ、北九州市小倉南区出身。幼少期からサッカーを続け、サッカー強豪校の明徳義塾高~桃山学院大学へ進みながら学業との両立をこなす。卒業と同時に東京ヴェルディ1969に所属するもケガに苦しみ、ファジアーノ岡山FCを経て2009年にニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)へ移籍。ポジションはディフェンダー(サイドバック)。
ギラヴァンツ北九州公式サイト http://www.giravanz.jp/
仕事人に問う!
Q1 座右の銘
苦しい時こそ今一歩
Q2 尊敬する人
僕の妻。人として尊敬しています
Q3 この仕事に向いているのはどんな人か
そのスポーツが何より好きで、負けん気の強い人
早くから意識したセカンドキャリア
幼い頃からサッカーが大好き。サッカー選手になりたくて、中学へ進む頃には「プロになるためにはどうすればいいか」と考え始めました。上手い選手や芽が出そうな選手は、高校を卒業する頃にプロのサッカークラブからスカウトされます。それなら全国大会に出場して自分の存在をアピールしようと、親元を離れ高知県の全寮制高校へ進学しました。念願どおり全国大会への出場も果たしましたが、残念ながら声はかからなかったので、今度は「大学で試合に出てアピールする」ことを目指し、学生サッカーリーグの常連校だった大学でサッカーを続けました。でも、サッカー選手に限りませんが、誰にでもセカンドキャリア・引退する時期が絶対に訪れます。そして、セカンドキャリアが訪れた時には「これまで自分が何を用意してきたか」が大事。その時になって対応を考えよう、では間に合わないのです。
大学ではサッカー漬けの毎日でしたが、自分の中では、サッカー選手が終わったら、培った経験を次世代の子ども達に伝えていけたらいいな、と思っていたので、教員免許もとりました。自分の夢を実現するために、どんな環境の変化にも対応できるよう先回りして準備しておく必要性を、無意識のうちに感じていたのかもしれませんね。
2010-02-26 02:00 PM. [
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木村 正博さん
セイコーエプソン ㈱ IJP・LP企画設計部(北九州オフィス)課長
きむら・まさひろ/1966年生まれ、福岡県古賀市出身。福岡大学工学部電気工学科を卒業後、大阪の複写機メーカーに入社。9年間複写機の制御ソフトウェア設計技術者として勤務、1999年セイコーエプソン ㈱ に転職し、インクジェットプリンターの制御ソフトウェア設計、商品プロダクトマネジャー、商品企画を担当。ヒット商品「カラリオ・ミー」の企画設計に携わっている。
仕事人に問う!
Q1 座右の銘
「ファーストペンギン」 であれ
Q2 尊敬する人
「パッチ・アダムス」 のハンター・アダムス氏
Q3 この仕事に向いているのはどんな人か
奇抜な発想を持っている人、どんなに踏まれても起き上がれるタフで骨太な人
北九州で生まれたヒット商品
ハンディプリンター「カラリオ・ミー」は、ここ北九州オフィスで生まれて全世界で販売されているんです。道具としての単なるプリンターから、生活のいろんな場面で使ってもらえるものを目指してきました。昨年10月に発売された「カラリオ・ミーE800」は6代目のバージョンで、従来のものより液晶画面を大きくし、印刷をしない時はデジタルフォトフレームとしても使えます。操作はタッチボタンでなくリモコンで行えるように、文字はキーボードで打てるように改善しました。おかげさまで予想以上の売れ行きとなり、生産が追いつかない状況です。
『セイコーエプソン』が北九州に拠点を作ったのは約10年前。僕のように他から中途で入った人がほとんどで、規模は小さかったけれど「ここだけで何か新しい商品を立ち上げたい」という思いが湧き上がりました。カラリオ・ミーは僕らが商品コンセプトから企画の立ち上げ、設計、外装までトータルで手掛けた最初の商品。思い入れは人一倍です。
商品開発というのは企画している時が一番楽しくて、実際に作りだしたら失敗の連続。苦しいことの方がずっと多いんです。でも、新しいことをやろうと思ったら失敗するのは当たり前。その失敗をいかにチャンスととらえて次の成功に結び付けていくかが、メーカーのノウハウなんです。
2010-01-20 05:25 PM. [
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渡瀬 政造さん
コミック作家・イラストレーター
わたせ・せいぞう/1945年神戸市生まれ、北九州市小倉育ち。東京都在住。小倉高等学校卒業。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を送りながら漫画の制作を始める。代表作は「ハートカクテル」「菜」など多数。2002年門司港・旧大阪商船に「わたせせいぞうと海のギャラリー」開館。
わたせせいぞう公式サイト 「APPLE FARM」 http://www.apple-farm.co.jp/
仕事人に問う!
Q1 座右の銘
生きた 描いた 恋した
Q2 わたせ先生の尊敬する人
「ピカソ」
Q3 イラストレーターに向いている人はどんな人か?
どのような時でも、またどのような状況下でも『楽しく絵を描ける人』です。
夢をかなえるコツは、5年後の理想を描いて明日からやっていくことです。
故郷・北九州で
「わたせせいぞうの世界展」が門司港の旧大阪商船で開催され、久しぶりに故郷の北九州を訪れました。門司港をテーマにした新作展を皆さんに観ていただくことができ、とてもうれしく思っています。
僕の絵の原点は、父親のノートです。たくさんの絵物語が描きためてあり、「うまいなぁ」と思って小さい頃からよく見ていました。5~6歳の時には、絵の家庭教師がいたんですよ。先生からは「モノをちゃんと観察すること」を教わりました。毎回りんごを描かされて、先生は「もっと見なさい」と言うだけ。りんごでトランプができるくらい描きましたね(笑)。ある時、光と影の部分を見つけることができて、白のクレヨンで光を入れたんです。やっとOKが出て、次は動物園に連れて行ってくれました。動物園では木や動物を描きながら、新しいことを一つひとつ教わりました。
小学校では、いつも友達と一緒に漫画を描いて遊んでいました。中学時代も絵が好きでしたが、高校では書道部に入りました。前衛書道の作品を見て、絵のような美的で新しい表現に惹かれたんです。書道では、墨の黒と余白の使い方を学びました。
大学では、同人誌で小説を書いていました。就職する時には書く仕事も考えましたが、新しい保険の世界に魅力を感じて損害保険会社に入社しました。
2009-12-28 11:33 AM. [
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川原 尚行さん
NPO法人・国際NGO ロシナンテス 理事長
かわはら・なおゆき/1965年生まれ、北九州市八幡東区出身。医学博士。小倉高校、九州大学医学部在学中は共にラグビー部の主将を務める。卒業後、外務省に入省し医務官としてアフリカのスーダン大使館に赴任。2005年に外務省を辞職、ロシナンテスを設立し、スーダンにて支援活動を始める。ロシナンテス本部事務所 093-922-6470
目の前で苦しむ人を助けたい!
高校時代はラグビーをするためだけに学校に通っていたようなものでしたね。主将を務めていて、本当に寝ても覚めても授業中もラグビーのことを考えていました。大学でもラグビーに没頭していましたが、それで培った経験や精神力、先輩・後輩とのつながりは、今、とても大事なものとなっています。
医学部に進んだのは、直接的に人に役立つ仕事をしたかったからです。卒業後、外務省に入省して、アフリカのスーダン日本大使館に医務官として赴任しました。そこで、難民や貧困問題など、内戦のつめあとが生々しく残るスーダンの現状を目の当たりにしました。でも、日本大使館の医務官なので、基本的には日本人しか診ることができない。目の前に治療が必要な人がたくさんいるのに、手を差し伸べることができないという葛藤に苦しみましたね。
そして、悩んだ結果、一人の医師として自分ができることをしよう! と決心して外務省を辞職し、支援活動を始めました。高校時代のラグビー部のマネージャーだった妻は、一度決めたらつき進む私の性格をよく知っているので、「あなたがそういうのなら」と応援してくれました。今も年に2回ほどしか帰国できないのですが、妻も仕事をしながら3人の子育てを頑張ってくれていて、本当に感謝しています。
2009-12-01 01:56 AM. [
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大城幸治さん
株式会社 ダイワライフ 代表取締役
おおき ゆきはる / 1964年北九州市門司区出身。同志社大学卒業後、福岡シティ銀行へ入社。1996年に退職し、(株)大和地所で統括マネージャーとして勤務。1999年(有)ダイワライフ設立。2002年株式会社へ転換。2008年、起業家支援を行うANG(エンジェル・ネットワーク・グループ)を設立し、代表理事を務める。
http://daiwa-life.jp http://www.a-n-g.net
融資の壁
銀行員時代は、主に融資の仕事をしていました。創業期の会社を担当することが多く、夢や志を持って独立した経営者にたくさんお会いしてきました。ところが、一番お金が必要な時期に、銀行は融資ができないんです。資金がないから融資を申し込むのに、担保や保証人の問題で、満額を出せないケースがほとんどでした。
2009-10-31 07:23 PM. [
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迫田一基さん
有限会社 若松花のチモト チーフデザイナー
さこだ・かずき / 1972年北九州市若松区出身。九州国際大学卒業・「フラワーショップいわさきで2年間就業し、1977年(有)若松花のチモトへ入社。2004年フラワー装飾1級技能士取得。フラワーデザインの協議の全国大会「ジャパンカップ」で、2年連続第5位。「若松がんばろう会」副会長として、若松の街づくりに関わる。
修業生活が転機に
花に込められた人の想いを届けることが、花屋の仕事です。今ではおもしろい仕事だと思っていますが、学生時代は全然興味がなかったんですよ。大学卒業後も特にやりたい仕事がなくて、バンド仲間と音楽を続けていました。一応就職活動はしましたが、やる気がなかったのでダメでしたね(笑)。
23歳のとき事故を起こして、遠賀川の土手から車ごと横転したんです。運よく無事でしたが、その後もフラフラしていたら、見かねた父親に小倉の花屋へ連れて行かれました。「明日からここで働け」と言われて、花屋になったんです。そこで過ごした2年間が、大きな転機になりましたね。生活も考え方も180度変わりました。花の知識が全くない状態で丁稚に入り、技術面でも精神面でも鍛えられました。
2009-09-20 04:42 PM. [
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福治督浩さん
有限会社ふくひろ 代表取締役
ふくじ・とくひろ / 1967年北九州市小倉北区出身。同志社大学文学部卒業後、京都の老舗呉服店「ゑり善」で修業。京都店と銀座店に4年間勤めた後、1994年北九州へ戻り、家業の呉服店「ふくひろ」を両親と営む。2007年代表取締役に就任し、3代目を引き継ぐ。
信頼関係を築きコツコツと
実家が呉服屋だったので、自分がやるという意識はずっとありました。使命感というか、ごく自然にそう思っていましたね。実際に呉服屋になろうと思って、呉服屋経営の本を読んでみたら「先行きはない」と書いてあったんですよ(笑)。街を見ても着物で歩いている人は少ないし、そうだろうなぁと…。それでも、創業70年の看板を絶やしたくないと思いました。あまり深く考えないでやってみよう、そのかわり一生懸命やろうと心に決めました。
京都の大学を卒業後、老舗の呉服店で4年間修業をしました。「仕事は見て盗め」という世界なので、先輩のやり方を見て少しずつ仕事を覚えていきました。お客様との会話や対応の仕方など、よく観察して気を配る癖が身につきましたね。京都と銀座に勤務しましたが、柄行き(模様)が全然違うので戸惑いました。東京は粋で地味、京都では華やぎのある柄行きが好まれる。慣れるまでは苦心しましたが、両方勉強できたのでありがたいと思っています。
一昨年、父から代表取締役を引き継ぎ、40歳で3代目に就任しました。やっている仕事は特に変わりません。「いいものを安く」をモットーに、お客様との信頼関係を基盤にした商売です。大きなイベントで売上げをつくるよりも、コツコツと昔ながらのやり方を続けています。
2009-08-21 11:00 AM. [
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村上成男さん
cream 代表
むらかみ・しげお / 1971年柳川市出身。北九州市立大学卒業後、カフェ・居酒屋経験を経て98年に室町にBar『Kakapo Colony(カカポ コロニー)』を開く。その後、01年に馬借にカフェ『cream(クリーム)』をOPEN。音楽イベントや映画の上映会など和みと刺激のある自由な発想のカフェを展開。カフェ業界で一目置かれる人物。
自分の心と向き合って
両親が自営業をしていたのもあり、学生の頃からお店を作りたいという思いが漠然とありました。喫茶店のマスターだったりパン屋のオーナーだったり、自分の気持ちに正直になった時、何となく飲食店を意識していました。小さな店でいいので接客から経営、調理、すべて自分が携わることができる店を作りたかったんです。
そこで、在学中は門司港のカフェで働かせてもらい、その後、料理や接客のノウハウを学ぶため小倉の居酒屋で2年働きました。自分のイメージするお店の町を探すため、小倉駅周辺で、歩いて自分の店まで来てくれる、その感覚をつかむために仕事の合間に歩いて街を見て回りました。そうして決めたのが室町でした。暮らしの中に商売があるようで、人を感じる町だったのがきっかけでしたね。
2009-07-21 07:23 PM. [
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宮田親志さん
海峡花火大会実行委員会門司 副委員長
みやた・ちかし / 1967年北九州市門司区出身。家業の家電販売店を継ぎ、携帯電話を中心に広く事業を展開。au、ソフトバンクの代理店を市内に9カ所、マリンスポーツショップ等を営む。株式会社マインドシンセイ、株式会社パーソナルネット代表取締役。2004年北九州青年会議所(JC)入会。2008年海峡花火実行委員会門司の副委員長に就任。
世代交代で火をつなぐ
棚がなければ、ぼた餅は出てきません。ラッキーを生み出す仕掛けを考え、努力すること。棚を作る行動に、自分は意味があると思っています。
関門海峡花火大会は、西日本最大級の花火大会です。関門地区の合同イベントとして開催され、門司と下関の両岸3カ所から打ち上げられます。人出は全国3本指に入る規模で、400店もの出店が並ぶんですよ。
2009-06-22 07:15 PM. [
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田原大輔さん
株式会社エルアンドエー 営業開発部 部長
たはら・だいすけ / 1979年田川市出身。中央大学時代のサークルは広告研究会。音響業界のクリエーターをした後、2004年地元へ戻り、父が経営する株式会社エルアンドエーに入社。需要減少が続くクリーニング業界において、新しい視点の経営改革で前年比20%アップの業績を上げる。
クリーニング業界に新しい価値を
大学卒業後は、東京で音響クリエーターの仕事をしていました。プロとして高いレベルを目指しましたが、自分で期限と決めた25歳の時に、きっぱり辞めて帰ってきました。
2009-05-29 07:35 PM. [
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