
大野 正人さん
おおのまさと。大野建設(株)代表取締役
1960年八幡生まれ。戸畑工業高校建築科卒業後、大阪市内の建設会社に4年間勤務。1982年大野建設に入社し、10年前同社代表取締役に就任。モットーは「住人十色の夢づくり」。戸建て、リフォーム、マンション、公共工事など建設業でのオールラウンドカンパニーを目指す。福岡県中小企業同友会に所属し、国際交流委員会では東アジア(環黄海経済圏)での経済・人的交流を模索中。日韓交流団体「北九州ナドリ倶楽部」を主宰している。
ふうたらぬるいこの街に住んでいるとなかなか気づかないが、この街は常に変化している。そんな北九州の街とよく比較されるのが福岡市。
建築家としての視点で見ると、北九州は製造業の街だけあって工場(貯水池も)が多い。また洞海湾を筆頭に旧5市時代の行政区でも、埋め立てしていない区がないといえるほど埋立ての多い街。その利用目的の多くが製造業関連の工場や港湾関係のドッグや倉庫、同じくトラックターミナルなどの産業物流関連の建物が目立つ。新北九州空港予定地にいたっては、将来のこの街の浮沈を左右してしまうほどの一大プロジェクトでもある。
一方、福岡市の埋立て地を見れば、那の津・東浜などの物流倉庫群をはじめ、ももちやマリナタウンなどに代表される商業関連施設が目白押し。なかなか話が進まないアイランドシティでも住宅地を含む商業物流関連施設が建つ予定。この違いは今まで両市が歩んできた歴史を見れば明らかだが、「新しい街創り(人・地域・環境)」を進めるには、お互いの良い点を認め、学び合い、活かし合う姿勢が必要と感じる。すなわち「共存」していくということを市民レベルでも心がけたい。
他地域との比較でなく北九州に視点を戻そう。
北九州は江戸時代までは“小笠原藩”“黒田藩”の2つの藩に分かれていた。今の国勢選挙区が9区と10区に分かれているのもその所以だろう。その旧藩毎のメインが小倉と黒崎。両街の雰囲気。改めて比較するまでもなく、いま小倉は「リバーウォーク」に続いて「小倉伊勢丹」がオープンし街に活気が戻りつつある。それに対し「コム・シティ」の閉鎖、商店街の相次ぐ店じまいとダーティなイメージの黒崎。しかし西曲里地区の再開発計画など明るい話題も出てきたが、ここでいえるのは新しい「建物(器)」が街を黄泉返えさせる「元気の発火点」となっているということだ。
私の本業から見ても、新しく家を建てた人のそのほとんどは、ソファーやベッドなどの家具を買い揃え、家電製品や照明器具を買い換える。ついでに「この際、車も買い足そう!」というお客さんも実際に居られる。しいては「引越祝いだ」「落成式だ」と飲食業も元気が出て、「落成記念」「引っ越し祝」と購買力UPへと続いていく。すなわち建設業が動けば経済(お金)が動くということ。 同じ業界の「土木」も同じように経済効果が期待できる。新しい道路が出来たり拡張されたりすると移動がしやすくなり、また頻繁になる。そう、車だけでなく人も容易に移動できる。
近年では「門司港レトロ」再開発なども良い例になる。
海に面した北九州では明治の時代から当たり前のように進んできた「港湾土木」という特殊な、土木工事に始まり、古い建物を残す保存(移転)運動。その古き良き時代を観光化するための建物や道路の整備。JR門司港駅の維持、保存を含む門司港再開発は「北九州の文化保存」の一つともいえる。
JR黒崎駅に始まった駅前再開発も小倉、戸畑、若松そして八幡の各主要駅と続き、西小倉・折尾と引き継がれている。その街での「駅」の歴史こそ、その街の文化そのものであるといいたい。
私はつねづね「建物は文化」と言っている。都心や街、そしてどんな田舎でも「建物」という「器」に人々が集い、学び、暮らしてきた。そこには暮らしの文化や企業の文化が生まれ、地域の文化となり、国の文化が形成されてきた。そしてこの北九州の街にも日々新しい「器」が出来ている。これからはそこに集う我々北九州人が“どんな文化を形成できるか、どう残せるか”がこの街の輝きを取り戻せるキーワードとなる。この街に住む建築家はそんな“文化を育成していく”という気概を持った建築家ばかりだと期待したい。そして私もその一人として一役を担う者であり続けたい。


















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