
森 浩明さん
もり ひろあき。北九州市議会議員。1969年生まれ。北九州市出身。早稲田大学卒業後、松下政経塾にて5年間、街づくりをテーマに国内外で学ぶ。1997年、北九州市議会議員選挙に初当選。現在2期目。北九州青年会議所会員として「わっしょい百万夏まつり」の運営に携わり、YOSAKOIの導入と普及を行う。好きな食べ物はカレーとラーメン。ペットはウサギ。
http://homepage2.nifty.com/mori2001/
1995年暮れ、私は鉄鋼業とともに繁栄→衰退→再生というプロセスを一足先に経たアメリカの鉄の街ピッツバーグ市での7ヵ月間の研修を終え、北九州市に戻ってきた。帰国後は「故郷を元気な街にしたい」という情熱だけで、1年後の1997年1月に行われる北九州市議会議員選挙に挑戦。11議席を15名で争うなか、6964票を得て当選させて頂いた。
草の根ボランティアで戦った初戦の感動と責任の重さは忘れられない。選挙に必要な条件は俗に「地盤・看板・カバン」の3バンと言われるが、組織も知名度もお金もない私が当選できたのは「ないならないなりの戦い方がある」と考えて実践したからだと思う。
毎朝の街頭演説
まず友人がカンパしてくれた30万円を元手にパンフレットを印刷。それを持参して家庭や会社を訪問して話す、次の人を紹介してもらうということ重ねた。訪問先がなくなるとこちらから人がいる所に出かけた。駅前やスーパー前での街頭演説。選挙区に選んだ小倉南区はモノレールに8つ、JR日豊本線に4つも駅がある。妻と2人で毎朝1駅ずつ巡回。私がマイクでしゃべって、妻がリソグラフで刷った政策ビラを手渡す。はじめはごみ箱に大量に棄てられショックを受けていたが、半年も続けるとほとんどの人が受け取ってくれるようになった。朝の街頭演説はボディブローのように効いてきた。カンパも最終的には3百万円ほど集まって事務所の家賃や郵送費などの費用をまかない、マンパワーは同級生や先輩後輩、地域の方々のボランティアで乗り切った。
行政力ではなく市民力
市議会では私と同じように草の根選挙で7年前に初当選した女性議員の三宅まゆみさんと「新しい風」という会派(議会内のグループ)を結成した。議員になって最初に取り組んだテーマはNPO(非営利組織)支援だった。10年前、日本の街づくり団体は熱心に行っているところですら提言活動やイベント開催に留まっていた。私がインターン研修したアメリカの街づくり団体は銀行からお金を借りたり、政府の補助金を活用したりして小さなデベロッパーのような仕事をしていて、日米の違いに驚いた経験からだ。
「一律のサービスを提供する行政でも利潤を追求する企業でもなく、何かをしたいという使命感や市民のボランティアの力を活かして多様な街づくりを実現すべき」、「その主体としてNPOを支援することが必要」と何度も市議会で取り上げた。1999年に市にNPO相談室が新設され、2001年には男女共同参画センタームーブの1階にNPOサポートセンターが開設されるなど5年間がかりで市民力を高める政策が実現できた。
万客億来の街づくり
これから30年後、50年後の北九州市を考えた時、これまでの「産業都市」に加えて、この街の魅力に惹かれて日本中や世界中からの来訪者があふれる「集客都市」を目指すべきであると考える。2002年の北九州市の観光客数は門司港レトロの211万人、スペースワールドの206万人などを合計して約1100万人。これに対して昨年オープンしたリバーウォークの年間来場者数は1つの施設で約1千万人。「観光」から「集客(来客)」へ、時代は変化している。「北九州と言えば○○」と言った時の○○にあてはまる要素をいくつ増やしてゆくか。北九州でしかできない体験、北九州の地域ブランド、感動するイベントや街並みなど、来訪者に喜ばれる街は地元市民にとっても喜ばれる街であり、経済波及効果も大きい。「千客万来」の上を行く気概を込めて「万客億来」の街づくりを目指してゆきたい。
新しい風から新しい嵐へ
高校時代、たまたま声を掛けられて柄にもなく応援団で3年間過ごした。自分たちが勝ち負けに直接関わるわけでもないのに、グランドの選手とスタンドの生徒たちの間に立って真夏の猛暑のなかでも汗だくになって応援した。市役所と市民の間に立って走り回る議員の仕事が時々、応援団の活動とダブって見えることがある。自分たちが直接プレーするわけではないが、市民の声を形にしたり、行政の後押しをしたりする。64名いる北九州市議会議員の中で力を発揮してゆくためには自分自身のパワーアップはもちろん、仲間を増やしていかなくてはならない。来年1月に行われる次期市議選では「新しい風」の同志を数多く擁立して「新しい嵐」を吹かせてゆきたいと思う。


















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