
永田 秀則さん
ながた ひでのり。イタリア料理『ベルボスコ』オーナーシェフ。1964年、北九州市生まれ育ち。大阪の辻調理師専門学校卒業後、老舗イタリアン“ヂヂ”に就職。イタリア各地研修を経て、32歳で地元に帰り、イタリアンレストラン“ベルボスコ”を開店。ゆっくりと食事してもらいたい思いから5年後、店舗を拡張し、スローフードレストランとしての経営にたずさわり、現在に至る。レストラン経営のかたわら、食育、スローライフをテーマに各種セミナー、イベントを企画。啓蒙活動に力を注いでいる。日本スローフード協会の会員。
私が料理に携わったこの20年、食品業界は飛躍的に進歩しました。その背景には、結婚しない未婚者の増加、不景気にともなう両親共働きの家庭の増加、24時間常に稼働している娯楽の増加等が挙げられるのではないでしょうか。ファスト的な色合いが強く、とても便利になってきた反面、色々な問題が生じてきています。その一番の原因に挙げられるのは、“食”に対する感謝の薄れではないかと思います。食べられる事のありがたさ、尊さ。今一度、“食”に対して考えてみてください。
大地と人への感謝
“食”という字は人に良いと書きます。ある本で、縄文、弥生時代のころは、“医食同源”食べる事と健康はひとつのものだったと書いていたのを思い出します。地球と人間は一体だったのです。現代はどうでしょう?大地は、地球上に生息する生き物の為に、体によい物を与えようとしてくれています。食肉病、ダイオキシン、オゾン層破壊、不法投棄、各種公害・・・。地球を破壊し続けていると、私たちが食さして頂いているすばらしいパワーが薄れてくるのです。
その根本の原因は、現代の自己中心的な考えが原因ではないかと思います。いじめ、虐待、紛争・・・。その他にも色々な所で、人の事を思ってあげられない事、本当は生命に対してやさしくしてあげなくてはならない事による事件や現象等も多発しています。今、私たちは、大地や地球上の生命のために奉仕しなくてはいけないのではないでしょうか?
母への感謝
私が調理の道に進んだ最大の影響を与えてくれた人。それは“母”です。私の兄弟は4人おり、小さな時から決して裕福な家庭ではなく、母は牛乳販売店、餅製造販売、惣菜製造販売を1人で切り盛りし、家事もしないといけないので寝る時間は毎日3時間位だったように思います。何回か、夕食の時には、居眠りのためどんぶりに顔を突っ込んでいた記憶があります。その為、兄弟4人、小さな時から家の手伝いをさせられていました。小学3年からしていた牛乳配達、皆で囲んで餅のアンコ揉み、手が真っ黒になったヨモギの選別等・・・。特に牛乳配達が大変で、早朝の雨交じりの雪の日などは小さな体には堪えました。そんな親の手伝いが楽しい訳がなく、思春期の頃は、友達に見られるのが嫌で、電柱に隠れていたのを記憶しています。唯一熱心にやったのは、餅を作って売る事で、アツアツの餅を丸めていくのは面白く、あの肌触りはとてもよいものでした。自分で作った餅を売って、その小さな手のひらに小銭を頂くのがとても楽しかったものです。
料理の道を目指し、大阪に修行に行ったときも、心身的な事が原因で2回程入院した事があります。よく「やめたい」ともらしたとき、その度に「まだ、帰ってきてはだめ」と言ってくれたのは母でした。今、自分が子供を持つ親の立場として、その時母がどういう気持ちだったかわかるようになり、そんな商売の厳しさ、楽しさを教えてもらい、きつい時、苦しい時があっても母には負けまいと思うようにしています。 2年前、お店を改装する時に、禁煙ルーム、バリアフリー、スローフードを提唱したのも、将来車椅子に乗った母にも来てもらいたい気持ちが大きかったと思います。現在、その母はカラオケに熱中し、私の買出し用のバイクには、当時の牛乳販売店の空箱がくくり付けてある事を付け加えておきます。
子供たちへ伝える事
私自身、小学生と幼稚園児の2人の子供がいます。今からこの子供たちが成長するにしたがい地球上の状況、環境は着実に変わっていくことでしょう。もし仮に、悪い方向に向かうとしても、人や地球に対するやさしい感謝の気持ちは持ち続けてもらいたいと思います。そのために、今、私たちは子供たちに何を伝えられるかを考えてみるべきではないでしょうか?
私の夢
今からの私は“食”を通して“心の余裕”を提供していきたいと思っています。日々日常の生活とは少し違う、非日常の提供。今現在、昔の忘れ去られた自分の思い出。非日常を味わう事、昔のピュアな自分を思い起こさせる事により、日常の自分の位置、大きさ、方向が見え、“心の余裕”が優しい気持ちに変わると思います。そう言う意味で、“食”は、無限に広がっていくのです。今、私はこの職につけてとても幸せと実感しております。


















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