
藤高 久之さん
マインスピア誠善社 業務部総括本部長。1970年大阪府出身。下関市立大学在学中、地元情報誌の編集長を務める。卒業後は、上京し大手保険会社に勤務。30歳の時北九州の誠善社に転職し、よそ者の視点で葬祭業に新しい風を起こす。
下関でタウン情報誌を創刊させ、編集長に。
好奇心旺盛で、人に会うことが大好きな性格。大学在学中は様々なサークル活動や若者交流事業を手掛け、昼は学業?夜は飲み屋街での社会勉強に日々走りまわっていました。
その頃、一番熱中していたのは、地元タウン情報誌の制作スタッフ。それがなんと2年後、編集長の退職によりその雑誌は廃刊に。できることなら自分で雑誌を創刊させたい。でもお金はありませんよね。そこで、「取材・編集は私たち学生がするので、御社でマネージメントをしてくれないか」と、求人情報誌を発行している会社に企画を持ちこんだのです。幸い企画は実を結び、新しいタウン情報誌を創刊することができました。まさに「志あるところに道が開ける」です。
地元学生による新しいタウン誌は、マスコミにも大々的に取り上げられ、自分の制作する情報誌が、人と人との交流を促し、それが街の活性化に役立つことは、大いなる喜びでした。でもミーハーな私にとっては、名刺一枚で市長や街の著名な方々にお会い出来ることがもっと魅力的でしたね。
自分の不得意なところから学んだもの
卒業後、雑誌は後輩陣に引継ぎ、上京。勤め先は大手保険会社の総合職。様々な事務を経験。口から生まれた私のような人間にとって1日中、机にかじりつく仕事はとても辛かったですね。(笑)でも本当に多くのことを学びました。
今話題のエイベックスの松浦専務にお会いしたのもその頃です。「おもしろきこともなき世をおもしろく」を地で行くような人で大いに刺激を受けました。事務であろうと営業であろうと仕事の根本は同じ。何故ならそこには必ず人が介在しているからです。相手(自分以外すべて含む)がどのように考え、何を望むのか?ここにニーズが発生し商売の基本があること、そして既成概念にとらわれず徹底的に本質を追求すること、それを自分自身で行う必要性があること等、数え上げたらキリがないですね。
30歳で転機を迎える
大阪勤務時には、ファイナンシャルプランナーとして、明けても暮れても保険!保険!のまさに営業三昧。結果、約500名のFPの中で、2年連続全国NO1の販売実績をあげることができ、当時職員6万人の頂点である社長と直接面談できる機会をいただきました。
その時社長より「やりたいことが、トップになってはじめてできた」とお聞きし、大企業も中小企業も根本では同じ。それならば、少しでも早くトップの経験を積みたい。会社を辞めようと思った瞬間でした。「何事も経験」といわれますが、限られた人生においては、より密度の濃い経験でないと、自己の成長ポイントの進展は望めない。そして、究極のサービス業といわれる「葬祭業」を選び、「マインズピア誠善社」への転職を決意しました。
葬祭業に夢を託し―。
アメリカでは、「生前はドクター、死後は葬儀社」といって、葬祭業は専門性の高いプロフェッショナルな職業、社会的に高く評価されています。
一方、日本では「死」に対する負の感情から、葬祭業は閉鎖的な業界の代表格。だからこそ、ここに、葬祭業の大きく変わるビックチャンスがあるのです。
人間は1人にして同じ人生を歩んではいません。その方に最も相応しい最後のセレモニーは、全て違うはずですよね。その想いの中、はじめに取り組んだことは、打ち合わせに徹底的にこだわること。故人様を充分に知らなくして、感動のセレモニーが行われるはずがありません。
また、これまでの葬祭業の不透明さをオープンにするために、画一された儀式を見直し、固定観念にとらわれない新しいサービスを次々に提供しました。素人だからこその疑問をどんどんぶつけることにより、従来の伝統を守りながら、故人様とご遺族そしてご会葬者の気持ちを大切にする、心の通じ合えるセレモニーが提供できるようになったと思います。
これからの目標は葬祭業の「社会的地位向上」。将来は、専門の大学を開校したいですね。そしてマインズピア誠善社の株式上場。日夜問わず頑張っているスタッフが恩恵を得られる社会づくりが目標です。


















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