
(株)吉勝の代表取締役
中村 真也さん
なかむら・しんや / 1972年小倉生まれ。大学卒業後3年間のサラリーマンを経て、家業である(株)吉勝に入社。30歳で代表取締役になる。4年前、新商品として小倉百年床「ぬか味噌炊き」を商品化し、小倉の特産品として全国普及に尽力している。妻と娘の3人家族。
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親の背中を見て、家業を継ぐ
『吉勝』は旦過市場に創業し、約100年になる鮮魚店です。幼い頃からトラックに乗って父と一緒に魚市場へ仕入れに出かけ、父の働く姿を見つめてきました。中学生になると、一年の内で、最も忙しい12月には、店売りや配達などの作業を手伝っていました。両親と一緒に汗を流す中で、お客さんとのコミュニケーションに喜びを感じていました。
14年前「継ぐ」という思いを強くした出来事がありました。社長である父が癌で、病院に入院してしまったのです。当時、母と弟と台所で泣いたのを鮮明に覚えています。私は、まだ大学生だったのですが、このままでは会社は潰れてしまうと思い、父に「会社を継ごうか?」と尋ねたら、「父さんの事は心配しなくていいから、大学を卒業したら、3年間はよそで働いてきなさい。それから、会社を手伝ってくれたらいい」と言われました。父はいまではすっかり体の調子も良くなり、『吉勝』のヒット商品であるぬか味噌炊きを開発し、毎朝自分でぬか床を混ぜ、丹精込めて作っています。
ぬか味噌炊きの起源
江戸時代の後期、北九州の小倉(豊前の国)は小笠原氏が治めていましたが、いわしのぬか漬け炊きはこの頃に創られたといわれています。当時は、海の幸を保存食として利用するため、漬物用として、大根・なす・胡瓜などを漬けていたぬか床を用い、いわし・さば等を炊き込んだのが起源だといわれています。『吉勝』がいわしのぬか漬け炊きを作りはじめたのは、今から約100年前、明治の終わり頃だったそうです。初代社長吉田勝三郎(私の曾お爺さん)が、いわしの仕入れで失敗したのがきっかけでした。今で言うとろ箱で10Kg 注文したつもりが0が一桁多くて100Kg も店に届き、奥さん(私の曾お婆さん)に怒られたそうです。そこで、初代社長がどうしたものかと考えていたら、奥さんがぬか漬け炊きにしようと言ったのが始まりだったそうです。
広がる夢ぬか味噌炊きを本格的に商品化したのはつい最近のことです。4年前、西日本総合展示場で開かれる「国際食品見本市」に出品するためでした。作りすぎたので店頭にもおいてみようと出したのが、大変反響が出たのです。ちょうど時代はスローフードブーム。時流に乗り、地元はもちろん、東京の飲食店や有名料理人などから縁をいただくことになったのです。
福岡は明太子、下関はふぐが特産品として知られていますが、北九州はこれといったものがありません。父と私はこのぬか味噌炊きに強い可能性を感じ、北九州の特産品として全国区にしようと意気込んでいるところです。将来的には吉勝の商品を求め、全国から人びとが訪れていただけるようになりたいという夢をもっています。
私にとって旦過市場は特別な場所です。小さい頃から慣れ親しんており、大袈裟かもしれませせんが、まるで大きな家族のような存在。ぬか味噌炊きを通して、旦過の活性化、北九州の活性化にも繋がるようになれたらと願っています。
変わらない努力変えてゆく勇気
今、日本ではあらゆる種類の食材があふれています。グルメ指向といわれる一方で、本物の食材を見分ける目や舌が失われつつあります。食材をどう調理するかという知恵も、母から娘へ伝えられることが少なくなった気がします。
『吉勝』は創業以来「安心・安全・満足」を経営理念に掲げ、「良い食材を新鮮なままに、できるだけ安く提供したい」「できるだけ多くの人に喜んでいただきたい」そんな願いから、時代のニーズに合わせた工夫と努力を繰り返してきました。
鮮魚以外にも、忙しい方のために新鮮な魚で作る廉価な弁当や、ぬか味噌炊きもその一つですが、赤飯のイカ飯など健康によい新商品の開発にも励んでいます。「お客様あっての商売」「お客様あっての吉勝」これが鮮魚小売店としてスタートしたポリシーです。その時々の旬の魚を、美味しい召し上がり方なども添え、お客さまに本当の魚の美味しさを味わって頂きたいと思います。


















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