
お多福餅本舗 5代目
西村 嘉孝さん
にしむら・よしたか
1971年北九州市出身。創業明治42年。白銀の銘菓『お多福餅本舗』5代目。和心会の会長。今度「サマーバレンタインフェスティバル」の実行委員長も務める。趣味は車、野球。
うちの店って「寅さん」に出てきそうなお店でしょ?今は5代目若旦那っていう看板背負って、自分の中のエネルギーが上手く燃焼されている気がしてるんです。でも昔は空回りばっかりで、思い出すのも恥ずかしいくらい(笑)。
働く両親を見て育った子ども時代
創業明治42年、おやっさんが4代目。子どもの頃は、両親の働く姿を見て育ちました。小学校4年からは野球三昧。甲子園を目指してたんですよ(笑)。高校卒業後は、3年間の期限付きで見習いに出ると決めていたので、おやっさんの紹介で鹿児島県阿久根の三春堂菓子舗という、当時年商8千万の和菓子店に修行に行きました。今思えば、その3年間は大好きな車と仲間が中心の生活でただ仕事をこなすだけの中身のない毎日でした。「あんた鹿児島に何しにきたん?恥ずかしいよ」という言葉の本当の意味をずいぶん後になって気付くことになりましたね。
変な自信と現実との葛藤
3年後、変な自信をつけて帰ってきました。「俺はやれる」みたいなね(笑)。大したことない技術を偉そうにおやっさんに見せたりして。そんなの認めるわけないですよね。ちょうどその頃、紹介もあって「菓業青年会」に入会。まだ21歳そこそこの自分に菓子屋の先輩たちは優しくて、仕事も遊びもいろんなことを教えてくれました。でも仕事に関しては素直に受け取れませんでしたね。かといって、その時もお菓子に対する情熱はなかった。それを言い訳でごまかして、どんどん自分で自分を追い込んでいったんです。23歳で結婚。でもそんな自分についてこれるはずもなく、27歳で離婚。それでも自分のバカさに気付かなくって、大荒れでしたね。小さい子どもがすねたのと一緒ですよ。それだから、ついに親から「出て行け」のひと言。29歳の時でした。
トラック運転手へ転身。思い出したある言葉。
車が好きだったので、迷わずトラック運転手の仕事を始めました。こんな性格だから、ドライバーとも仲良くなるし、毎日が楽しくて、天職とさえ思ってたんですよ。でもそこで初めて自分では何もできないのに、人にとやかく言っている小さな自分にハッとしました。そもそも菓子業界に入ったのも親を喜ばせたかったのと、それがカッコいいと勘違いしてたのかもしれません。はっきり言って好きじゃなかった。だから意欲もわかないし、甘やかして、他人を傷付けてきたのかもしれない、とその頃から考えられるようになったんです。不規則な生活にも限界が来た時、ふっと思い出したのがある先輩の言葉でした。「お前はこの業界にいなきゃいけない人間。戻って来い」。おやじの小言なんて思ってたけど、その言葉がなければ今の自分はなかったかもしれません。今思うと、乗りやすい自分の性格をよく分かってますよね(笑)。
やるなら熱くならないと損!
1年半後、頭を下げて実家に戻りました。その時温かく自分を受け入れてくれた家族に今でも感謝しています。それから3年半。昔と確実に違うのは、この業界で成功したいという意欲があることです。自分たちからこの北九州を変えてみたいっていう夢があるんですよ。だから今、素直に何でも引き受けることにしています。そうすると、周りの人がいろんなことを教えてくれますから。今は菓業青年会の行動隊として、和菓子を中心に集まった「和心会」を立ち上げ、その会長をしています。今度7月には「サマーバレンタイン」というイベントの実行委員長もさせてもらってます。すごい人たちが参加してくれてるので内心ちょっとビビッってますけど(笑)。でもこれが成功した時、何かがまた変わるかもしれません。今、34歳。まだまだ勉強中です。昔は自分自身がすべてでした。でも今やっと、自分はいろんな人に育てられ、押し上げられてるってことに気付くとこができたんです。今、残念ながら北九州はバラバラな気がします。夢はお菓子で一本化!一人の作り手としてまずは自分のお菓子にエネルギーを吹き込んでいきたいですね。


















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