
bar『青庵』 オーナー
青柳 武士さん
あおやぎ・たけし 1967年。小倉生まれの小倉育ち。電気資材店の次男として育つ。高校卒業後、大学に進学したものの中退、この世界へ。現在、Bar『柳浦堂』、Bar『蒼』、JapaneseDinning『青庵』の3店舗を経営。
うちは親父が厳しくて、酔っ払うといつも風呂場まで入ってきて「将来はどうするんだ!」なんて、そればっかり。普通に考えて、思春期の息子の風呂場に入って来ないでしょ(笑)。そのせいか、昔から独立心だけは強かったかな。
原点となった店
高校の頃、ダンスで生きていくって決めて、アルバイトで入ったのが『スーパーキーウィー』というレストランバー。親父が厳しかったから、もちろん隠れて。広い店だったから、店長にビリヤード台を提案したんです。当時の流行りというのもあって、おかげさまで連日店はブレイク。平均売上4万円が最高で20万円位になったんですよ。「自分がこうしたら、人はこう流れる」。店が流行る経過を実感した初めての出来事でした。今思えば、この経験が僕の原点なんですよね。
Bar『ステイ』での出会い
僕には特に修行時代はありません。でもただ言えることは、ある人との出会いで今があるということ。独立を考えていた22歳の時、入り浸っていたのがBar『ステイ』でした。その店は勢いがあって、ダンサー、DJ、医者、サーファー、色んな人がいて楽しかった。その中心にいたのが『ステイ』森社長。彼が止めてくれて、そのままそこへ。正直言って、仕事してるって感じじゃなかったですよ(笑)。店が4時に終わって、飲みに行ったり、サーフィンしたり。今思うとすごい体力ですよね(笑)。
1年半が経った頃、「一人でやってみろ」と任されたのが、Bar『ハリーズ』。ヨーロピアン調の高級なバーは、当時北九州で先駆けの存在。『ステイ』とは全然違う店で、客層も違う。1杯5000円の注文は当たり前。チップだけで2~3万円っていう世界です。ここではひたすら一生懸命。バーテンダーとしての基盤をここで築いたんだと思います。
お客様がバーへ来る時、ただお酒を飲みに来るわけじゃない。じゃあ、一杯に付加価値をつけるものは何か。その答えはいろいろですけど、「空間作り」「間」は絶対だと信じています。「空間作り」はもともと好きですしね。次に「間」はバーテンダーの研ぎ澄まされた感覚が必要。黙っておくこと、話すこと、お酒を出すこと、料理を出すこと、全て間です。つかず離れず、引きすぎず出すぎず。このバランスですよね。あと「人」については、いい意味でも悪い意味でも勉強になりました。裏切ったり、裏切られたり。でも結局、人とのつながりがあれば何でもできるって思うんです。これでも、一時期はノイローゼになったこともあるんですけど(笑)。
父からの反対、認められた日
その頃でも、親父は反対。「バー=水商売」なんです。でも、あの日のことは忘れません。寒い冬の1月31日。27歳の誕生日でした。普段通り店を開けていると、父親が突然一人でやって来たんです。そして、スタッフと僕に1杯ずつおごって、自分は大好きな「オールドパー」を一杯だけ飲んで。帰り際「武士をよろしく」そう言ったんです。「ああ、やっと親父が認めてくれた」って、後から涙が出ましたよ。それからですね、真剣に独立を考えるようになったのは。
独立して10年。これからの展望。
その2年後に独立。早いもので10年目。その間、森社長の死というショックなこともありました。あまりに突然だったから、狐につままれたってやつでしたね。師匠というよりライバルだったから、抜く相手がいなくなったっていう脱力感もあって。小倉のバーテンダーには、彼の元から巣立った奴らがたくさんいます。それぞれが死を受け止め、結束が強くなったのも事実。それも財産の一つです。5年後の今、自分の課題は「人」。お客様もスタッフも。特に店では、自分が人に教わってないから、人に教えるのが難しい。でも、僕らが次の人たちを育てていかなきゃ。「人間作り」ですね。
そして、これから。「何かしたくてたまらない」僕の性格上、じっとしてるのは無理。でも正直ここ4年間はおとなしくしてるから、そろそろ動き出す予定ではあるんですけどね。頭には「理想の店」をはっきり描いてはいる。あとはこれを形にするだけ。北九州でいろんなことをやってみたい。今後の動きを楽しみにしててください。


















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