
倉松 聰さん
倉松酒販(株) 代表取締役
くらまつ・さとる / 1968年4月北九州市若松生まれ。1987年大の映画好きが高じてアメリカの大学に留学。帰国後はイベント会社、大阪の酒問屋にて修業後、25歳のとき同社に入社。5年後代表取締役に就任する。今まで観た映画は約3000本。地元若松の俳優天本英世氏の記念館を作る会の委員。
倉松酒販について
『倉松酒販』はお酒の問屋です。蔵元からのお酒を酒店を通して一般消費者にお届けしています。「なら、けっこう飲めるんでしょう?」と言われたり、言われずもそのように思われるが、実は私はお猪口いっぱいで酔える大変燃費のよい体質なんです。
さて、卸業ですからあらゆるお酒を扱っているわけですが、特に力を入れているのは「九州の清酒・焼酎をベースにした手作りの蔵元の地酒」。専門性高い業態確立を目指しています。北九州では個性ある酒店が多くありますが、問屋も例外なく、差別化は必須なのです。
こだわりの蔵元とコラボし、限定流通契約をしたり、自社のオリジナルブランドのお酒を造ることなどは差別化の大きな軸となります。今まで造ったオリジナルブランドは約10種類。ただいまは限定品の焼酎を作っているところです。乞うご期待ください。
一番怖く、一番嬉しかった経験
倉松酒販は昭和25年に祖父が創業し、私で4代になります。
社長になったのは8年前。父がガンで亡くなり、跡を継ぐ形でした。亡くなる2年前はとにかく父を生き継がせるため必死でした。なぜなら、経営者である自分に自信などなかったから。一気に、一家と会社の将来が自分の肩にかかってくることを想像しただけで、怖くて不安でたまらなかった。しかしとうとう父の葬式を迎えますが、多くの方々より「頑張れ!」と熱いエールをいただいたのです。すごかったです。おかげでそれまでに抱いていた不安や恐れがなくなり、自信と勇気がわいてきましたね。顔は涙でぐちゃぐちゃ(笑)でしたが、人生でその時ほど嬉しかったことはなかったですね。
問屋としての役割
倉松酒販に入社したのは25歳の頃。色々な方に怒られながら教わりました。特に北九州における酒店の先駆者的存在の方々に、酒店の差別化戦略について、さまざまなことを勉強させていただきました。
酒には、酒を媒介とした楽しみやつきあい、情報交換、物語などさまざまな要素が息づいています。そんな酒本来の魅力や奥深さを消費者に伝え、提供し、継承していかねばならない。蔵元と酒店をつなげる黒子的存在として問屋のあるべき姿について深く考えさせられました。
倉松酒販は「日本名門酒会」の北九州支部として酒店の差別化、活性化の支援活動もやっています。活動の中で毎年、全国の蔵元を集めて利き酒会を開いているのですが、おもしろい現象は女性の比率が年々高くなってきたこと。今年はなんと48%!これからお酒業界の活路には女性が大きく影響していくことは確かですね。
どんな会社でありたいか
個性豊かな会社にしていきたいですね。商品、企画、ネットワークにしろ、他社のできない独自性をもちたいものです。色々な人と会いたい。酒のネットワークを作りたい。想いを同じくする人とコラボし、ワクワクすることを創りだしていきたいと思っています。
実は大の映画好き。高校からのめり込んで見倒しています。将来は映画雑誌関係や評論家の仕事をしたいと、アメリカの映像学校に留学した経験もあります。世界観や感性のあまりのレベルの格差に映画への道は断念したのですが、今でも映画は自分にとって生きる上で欠かせない糧となっています。なら、これを酒とのコラボしてみない手はない。例えば倉庫の壁をスクリーンにして酒を飲みながらの上映会なんておもしろそー。と、広がる夢にわくわくどきどきしているこの頃です。


















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