スキルス性胃がんと宣告されてから。「病との共存生活」~価値ある人生を送るために~

いっこさんのプロフィール
福岡市在住。高校卒業後金融系企業に約30年勤務。一般職から総合職に転換し、仕事中心の充実した時間を過ごす。大阪へ赴任後、‘06年スキルス性胃がん発症。余命3ヵ月と告知され、闘病を期に退職。今出来る社会貢献の一歩として、少し伸びた私の時間を「価値ある人生を生きるために」使いたい。

<抗がん剤シスプラチンの副作用① 恐るべし>

病室も個室になり 部屋にはお見舞いのお花が 窓辺にたくさんに飾られて 
とても明るく気分が落ち着いた
食欲がなく 吐き気が続くのは変わってなかったけど
まわりへのストレスが減ったため 割と精神力を保てていた
その中で始まった 抗がん剤シスプラチンの点滴

シスプラチンはとても副作用がひどくて
特に腎臓に多大な影響を及ぼすので
点滴後 水分をたくさん取って どんどん尿を出さないといけないといわれた

そのため 点滴後の尿の量を測る必要があるので
それを測るビーカーと 「尿量測定」とかかれた紙と 鉛筆を渡された
点滴後 だいたい3000cc以上の尿を出さないとだめらしい

・・・・・ トイレで毎回自分のおしっこをビーカーに入れて測るなんて ちょっとうんざりだった ・・・・

それと 吐き気や倦怠感など 強烈に襲ってくるので
抗がん剤の前に まず吐き気止めの点滴を打たれた カイトリルとデカドロン
それから シスプラチンが80mg入った点滴を打って
その後も 夜までずーと水分の点滴が続いた

利尿剤も入っていたためか はじめは順調におしっこが出た
それに吐き気止めの点滴が良く効いて 吐き気が薄らぎ 
それまで何にも食べる気もしなかったのに
イチゴとか少し口にできて 何だか軽く副作用を乗り超えられるような気がしてきた

看護師さんに「シスプラチンの副作用が現れるのは 点滴の翌日からよ」と言われても
その時は もしかしたら私は副作用が軽いかも~! なんて楽観してた
――― 今思えば かなり考えがあまかった

はじめはそんな調子の私だったけど
母は心配して その日は病室に泊ってくれていた
案の定 私の希望的観測はあっさり崩れて
最初の副作用は その日の夜襲ってきた

寝る前に歯を磨こうと 歯ブラシを口の中に入れた途端
突然 ものすごい嘔吐がきて 便器を抱えて動けなくなった
息ができないほどの 嘔吐の連続
止まらない嘔吐で 顔じゅうなま汗と涙で ぐちゃぐちゃになって
「・・・ママ」って 呼ぶのも必至で

呼ばれた母は
そんな私の姿を見て すこしオロオロしながら
とにかく私の背中を何度も何度もさすってくれて―――
しばらくして だんだん母の手のぬくもりが背中に伝わり
体じゅうが 「吐く」という状態に固まっていたのが じわじわ緩んできた
そうしたら不思議なことに だんだん嘔吐がおさまって ゆっくり息ができるようになった

その後も 強烈な嘔吐の時はいつも母が背中をさすってくれるとおさまった
母の手は 魔法の手だ 

こんなことから始まって
その後 本格的なシスプラチンの副作用に 心身ともに叩きのめされることになる
あぁ恐るべし
☆いっこ☆

<死の恐怖>

スキルスは決して甘くない

はっきり言葉にして命の時間のことは言われなかったけど
結構 言外に感じていた
そういうことは何となく感じる 患者本人だから・・・

助からないのかなぁ~ と思ったりもした 
でも その思いはあまり現実味がなくて
怖いし 辛いし 「死ぬかも」とは思ったけど
死んでしまうなんて事は 考えなかった 
常に「死」は現実の外に・・・
 
でも 死の恐怖が全く無かったわけじゃない
ほんの一瞬 死神が近づいてきたような時があった
お風呂で髪を洗っている時だった
急に「死んだら どうなるんだろう・・・」って思いが頭をよぎった 
なんの前触れもなく 本当に急に―――

背中が ぞくっ とした 
今まで感じた事がない あんな恐ろしい感覚 
自分の肉体や意識が無くなってしまうという事
表現できない恐怖に 襲われて 覆われた
瞬間 意識と体が固まってしまったような・・・

頭を左右に振りながら そんな思いは すぐに振り払った
「考えてもわからないことを 怖がってもしょうがない!!」 
と 自分に言い聞かせ 得体の知れないものを 跳ね除けた

いつも 悩んでも結論が出ない事は 悩まないようにしている そう仕向けている

「今 生きている自分」だけが その時 はっきり向き合えた現実だったから
それだけを見つめて 怖さを振り切った!

この闘いに負けるわけにはいかない
☆いっこ☆

<崖っぷちじゃない!>

心の中で  「6か月 半年 抗がん剤治療を頑張れば 仕事に戻れる! 」
それは 私の明確な目標になった
私は昔から 目標というニンジンをぶら下げられると 俄然 力が出る方だった

しかし 現実は 半年生きているという保証は何もなかった
特に おなかの中を見ている医師たちは 決して私に楽観するようなことは口にしないし・・・
でも 絶望させるような言葉も言わなかった
私自身 ネット等で調べたにわか知識で相当厳しい状況であることは理解していた
命が年単位でない事も・・・

それでも私は半年ぐらいで自分が死んでいるなんて まったくイメージできないどころか
なぜか死ぬ気がしなかった ・・・ 理由はないけど ・・・ 死なないと思っていた

ある日 医師に
「先生 私は崖っぷちなんですよね?」って尋ねてみたら
医師は 
「崖っぷちじゃないよ! もう崖の下に落ちている状態。だから這い上がるしかないよ!」
!!驚いた!! 思いがけない言葉だった 崖っぷちより悪い状況があるなんて・・・
私は最悪な表現をしたつもりだったのに それ以上だなんて ・・・

その医師は 入院時 泣いていた私に「一緒に頑張りましょう!」と力強く声をかけてくれた
いつも明るくて笑顔を絶やさない 心の強い女性だ そして私より20歳も若い
言葉通り どんなに忙しくても 必ず毎日私を激励に来てくれる彼女に対して
私は絶大なる信頼を寄せていたし 精神的にかなり頼りにしていた

そんな医師からの言葉 大変厳しいものだったけど 本気の激励 が心に響いた
以心伝心だと思う 
その思い切った言葉に 私に対する真剣な心がとても伝わってきたのだ
私はドキッとしたけど「腹が据わった」 もうオロオロしなかった

その日の手帳に
   スキルスは本当に手強いがん そしてしつこい奴。気を緩めてはダメ!との事
  ――― 3か月や半年で死んでたまるもんですか!
絶対やっつけてやる!負けない!!―――  
と書いている

自分の強気にも 少し驚かされる
でもその強気な心は その時も今も 多くの人の激励に支えられながら生まれてきたもので
とても ひとりの力で築けるものじゃない 

身体は辛くて弱音は出るけど
心は何を告げられても もう「絶望」の2字は浮かばない 浮かばせない 無視する
心が闇を見ないように 強く前を向くように ・・・

私はその医師に 医師と患者というだけではなく
この病気をやっつける為 共に戦う同志 のように感じている
だから 何だか偶然に出会った気がしない この出会いは きっと必然だったと 今でも思う

それは 先生もお父様をこの病気で亡くされていて
スキルス胃がんは先生にとっても 「敵」 だったからだ

――― がんと闘う ――― 本人・家族・医師・・・etc どの立場でも本当に厳しい

心が負けない環境に包まれ守られていることに とても感謝している
☆いっこ☆

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Referer
1:search.live.com /results.aspx