インタビュー

柏原 敬子さん/社会のために、先駆者として道を切り拓く。

柏原 敬子(かしはら けいこ)さん
航空自衛隊 第三術科学校長 兼 芦屋基地司令空将補
Profile/1956年大阪市生まれ。関西学院大学を卒業後、航空自衛隊に一般幹部候補生として入隊。総務人事畑を中心に勤務し、33年間の自衛隊生活で転勤は17回。2010年、陸海空を通じて自衛隊初の女性基地司令となる。山口県の防府南基地を経て、2011年8月福岡県遠賀郡の芦屋基地司令に就任。学生と隊員を合わせて約2,000人のトップを務める。

社会のために、 先駆者として道を切り拓く。
働く女性にとって、男性社会の壁を感じた経験は皆無ではないだろう。柏原敬子さんが自衛隊に入隊したのは33年前、女性自衛官の採用が始まって5年目だった。
「基地に女性がいるだけで珍しがられました。まるでパンダみたいな感じでしたね」。男性社会の中で仕事を続けることは容易ではなかったが、苦労を感じさせない穏やかな口調で語る。

人生をかけられるやりがいのある仕事
柏原さんが就職した頃は、大卒女子の就職先は少なかった。「人生をかけられるような、やりがいのある仕事がしたい」と考えていたところ、合気道の部活動で知り合った女性が自衛隊に入隊したことを聞いた。
「国の防衛は大切な仕事。関心を持っている人は少ないし、自分がやってみようと思いました。ちょっと、あまのじゃくのところがあるんですよ」。
男性社会は覚悟していたが、事あるたびに「女に何ができる」と言われて愕然とした。それでも辞めなかったのは上司のお陰。当時の上司は、女性自衛官の導入に携わった人物だった。
女性自衛官の教育を担当していた柏原さんは、24歳のときに男子の新隊員区隊長を命じられる。女性が男性を教育する画期的な採用は、上司が周囲の反対を押し切って与えたチャンスだった。無我夢中で頑張った結果が認められ、柏原さんの大きな転機となった。

「女だから」の壁を溶かす
27歳で学生時代の同窓と結婚。会社員の夫と同居したのは、27年間で6年程度。週末には福岡から夫の住む静岡へ帰る生活を続けている。
20代の頃はいつも半身に構えて、「なんで女性だから無理だと言うんですか」と上司に訴えていた。先駆者という立場を理解しながらも、反発と葛藤があった。
30代には女性自衛官の数が増え、女性幹部の親睦団体「弥生会」を立ち上げた。「ぼろ雑巾のように」がむしゃらに働いた時期でもある。階級が上がるにつれて責務は重くなったが、気持ちは楽になっていった。
どんな職場でも一生懸命与えられた任務を果たしてきた柏原さん。当初は着任を拒否された職場からも、仕事をした後は高い評価を受けた。「私一人のことではなくて、これから先も女性に門戸が開かれる。そう思うとうれしかったですね」。

自分を信じて歩む
柏原さんの原点は、大学のスクールモットーだった“Mastery for Service”。「奉仕のための練達」と訳され、社会貢献のために自らを磨くあり方を示している。出世したいと思ったことはなく、自己の向上が社会奉仕に繋がるイメージで仕事を続けてきた。
現在、女性自衛官は全体の5%、陸海空合わせて約1万人いる。草創期に入隊した柏原さんは、女性初の仕事を切り拓く役割を担い、さまざまな偏見や期待がある中で、常に自分の信念に従ってベストを尽くした。
「もうダメだと思っても、諦めないでもう一回頑張ってみる。その時期を越えると、別の次元が目の前にあると思うんです。自分を信じて歩んでほしいですね」。
福岡の働く女性たちへのエールは、優しさと清々しい力強さに満ちていた。

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