インタビュー

木山啓子さん/難民支援の スペシャリストとして、 人々に平安な暮らしを。

木山啓子(きやまけいこ)さん
認定NPO法人 特定非営利活動法人 JEN理事・事務局長
千葉県出身。大学卒業後、電気メーカーへ就職。その後、ニューヨーク州立大学で女性学について学び修士号取得。帰国後、『認定NPO法人 特定非営利活動法人JEN』の設立に参加、JENがなくなることがJENのゴールと考え、緊急支援活動を展開している。2006年に日経ウーマン主催の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」で総合1位に選ばれる。

難民支援のスペシャリストとして、人々に平安な暮らしを。

世界で戦争のない日は一日としてない。日本でも難民申請者が5年連続で過去最多を記録、悲しいことに「難民」という言葉は耳慣れた言葉となりつつある。世界各地で難民支援を行う『NPO法人JEN』の事務局長として陣頭指揮をとるのが木山啓子さんだ。JENでは世界中の支援団体と協力しながら活動する。ヨルダンでは膨らみ続ける難民キャンプ内に番地を作る基礎となる事業を実施。おかげで全ての支援活動がスムーズに行えるようになった。

「難民は私たちと何ら変わりのない普通の人たち。家族や全財産を失うといった過酷な現実に遭遇したからといって、元々備えていた人格や能力を失う訳ではありません。教師も、技術者も、哲学者もいるし、日々の出来事に喜びや悲しみを感じるのも私たちと同じです。支援のゴールは、支援がなくても生活できること。“魚を与えるのではなく釣り竿を与えよ” という言葉がありますが、JENでは、釣り竿の作り方を身に付けられるような支え方をします」。

差別のない現場を求めて海外へ

大学を卒業後は電気メーカーに就職。貿易部の営業職に配属された頃、職場でのあからさまな性差別に愕然とした。少なくとも学校にいる間は成績が良ければ評価が良しとされたが、職場では営業で良い成績を収めても、女性というだけで昇格、昇給は据え置かれた。ただ理由を知りたいと質問したら抗議と受け止められた。自分の言葉の説得力のなさを痛感し、学問の足りなさを解消しようと留学を決めた。「27歳の頃は、留学準備のため、勉強に支障のないようにと定時で帰れる仕事に転職していました」。ニューヨーク州立大学へ留学、大学院で女性学を学んだ。多様な考え方を持つ学友との交流の中、「日本は “こうでなければ” という型にはめて考えようとし過ぎているのではないか」と思うようになる。

しかし、卒業後は「この道に進みたい」という明確なものもなく、英語を活かした仕事などに就いていた。ある日、友人の「世界中で大学に行ける人の割合は5%にも満たない。留学し、大学院に行く経験をする人は更に少ない。学びたくても学べない人のことを考えたら、世界に貢献しないなど、申し訳なく思うべき」の言葉に一念発起。JICAの下請け会社を経て、ネパールの支援団体へ就職、現地での支援活動が始まった。

「当初は誰も何をするべきなのか指示してくれず戸惑いましたが、これが良かったです。毎日周りを観察し、自分にできることを探すしかなかった体験が、その後の支援活動で大いに役立ちました」。その後、JENの前身組織、「日本緊急救援NGOグループ」の立ち上げのため、内戦で揺れる旧ユーゴへ異動に。不安定な現地情勢により避難を余儀なくされる難民・国内避難民の状況に素早く対応して、旧ユーゴ各地で緊急支援活動を実施してきた。以来21年間でJENはアフガニスタン、イラク、南スーダンなど24の国と地域で1000万人に及ぶ人々への人道支援を展開、現在は8カ国で支援活動を実施している。

「対症療法では難民はいなくなりません。難民支援に必要なのは言ってみれば体質改善。一人ひとりが平和に、幸せに暮らせる世の中を実現するため、これからも微力を尽くします」。難民が自分の手の中に生活を収めることができる日まで、木山さんは釣り竿の作り方を伝え続ける。

>> 第22回読売国際協力賞受賞式でのスピーチ全文

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