
「同じ話を知ってるって、メールがきてますよ」
雪原さんに話しかけられ、次号のゲラチェックをしていた佳奈は顔をあげた。
オフィスにはまだ人が残っていて、入稿前の慌ただしさに気ぜわしい雰囲気だ。
「同じ話って怪談……?」
「そうです」
「怪談なんて、似たりよったりの話がいっぱいでしょ。いちいちとりあわなくても」
「そうじゃなくて……同じような怖い目にあってるから助けてくれって」
「それ、どの話?」
「銀杏の匂いがする話です」
それを聞いて、佳奈はああと小さく吐息をついた。
実は佳奈も友達から、似たような話を聞いていたのだ。
「幻臭がするの……」
そうぽつりと呟いたのは大学の同期の真理恵。
久々にふたりで呑んだときに言われた。真理恵も佳奈の編集部が連載している怪談を読んでくれていた。
「銀杏の?」
怪談の話題からのその流れだと、あの話しかない。小さく頷く彼女。
「季節柄じゃない? 金木犀が咲く時期だって、あちこちから匂うし……」
佳奈のフォローにそうかなと真理恵は苦笑を浮かべた。
その顔がとても寂しそうで、佳奈は気になっていたのだが……。
ぼんやりと真理恵のことを考えていると、雪原さんの眉が困ったように寄せられている。
「うつるんでしょうか?」
「え?」
佳奈の頭の中では、写ると変換されており、原稿のことかと手元を見下ろした。
「怪談ってうつるんでしょうか?」
移るの方だと気づいて首を傾げる。雪原さんの口元がわずかにわなないた。
「同じようなメールが他にも来ているんです。銀杏の匂いがするって。それに……」
「それに?」
「……わたしも嗅ぎました。この編集部のトイレで……」
編集部のトイレには窓がない。どこからか銀杏の臭いが滑りこんでくるはずはない。
「気にしすぎだよ」
佳奈が最後まで笑い飛ばせなかったのは、さっき自分がトイレに行ったときも銀杏の匂いを嗅いだせいだ。
ただそれを不思議とは、さっきまで思ってなかった。
だけど――。
気づいたときから、怪異は立ち上がる。
「ああ、また……」
佳奈はトイレの後に手を洗いながら、声に出していた。
銀杏の匂いが鼻をかすめたのだ。
雪原さんにはトイレは排水の関係で、臭いがもれることがあると言ったものの、説明になってないことを知っている。
季節はもうとうに木枯らし巻く冬を迎えていた。
外を歩いても銀杏の落ちた実を見ることはない。ましてここは天神のイチョウ並木からは離れている。
なのに銀杏の匂いがするというメールは、落ちない墨染みのように、まだぽつぽつ届いていた。
そして、編集部ではトイレだけじゃなく、パソコンの前に座っていても最近は匂うことがあるのだ。
けれど佳奈は、やがてそれにも慣れるだろうと思っている。
編集部のあちこちに自主的に置かれ始めたアロマや芳香剤に、人の逞しさを見たから……。