田舎はとっても先進的!
モノではなく、豊かな時間や体験を、家族と味わっています。
上平 扶砂子 無肥料・無農薬栽培農家 埼玉→国東市安岐町移住
「夫は絶対に農業をやりたい人だったんです。でも、何も言わなかったから。埼玉にマイホームも建てたばっかりだったんですけどね」。
上平扶砂子さんの夫、将義さんの前職は出版社のチーフデザイナー。扶砂子さんは六本木にオフィスのある有名スポーツブランドの開発事業部に所属し、ウェアを作るために世界各国の工場などを飛び回っていたキャリアウーマン。農業を始めること、そのために移住することは、扶砂子さんにとって青天のへきれきだった。しかし今、振り返れば、さまざまな兆しはあったようにも思う。
「夫がある日、目の前でパターンって倒れたんです。仕事が忙しすぎて、メンタルからくる腹痛も起こしたりしていました。病院の先生には薬漬けにするか、好きなことをさせるか二者択一だと言われ、かわいそうだなと思ったのが始まり。でも、当時の私にとって仕事を辞めるのも耐え難いことでした。
長男もまだ1歳半でしたし、夫に断念してもらおうと頑張ったのですが、3年間くらいの攻防戦の末に(笑)、ついに私が説得させられたんです」
―◆ー
しかし、そういう扶砂子さん自身も仕事と子育ての両立に悩むことが増えていたという。仕事から帰って、夕食の支度をしていると、長男が母親の気を引こうとして、頭を壁に打ち付けたりするなど問題行動も起こすようになった。
「ご飯なんていいから、抱っこして! という叫びだったんですね。そんなこともあって、私は全てお惣菜で済ますママになっていったんです」。そんな時に、東日本大震災が起こった。嫌でも食への関心や不安が高まる中で、「自分たちの食べるものは、自分たちで作りたい」という夫の言葉に賛同し始めている自分がいたという。
▲夫の将義さんと。
無肥料・無農薬農業という挑戦
農業は大きく3つに分けられる。一つが慣行農業、二つ目が有機農業(有機肥料を使うが、これもほぼ無農薬)、そして3つ目が無肥料・無農薬の自然栽培農業で、私たちが一般的に口にする野菜の多くは慣行農業によるものだ。将義さんは、すでに会社を辞め、慣行農業を行っている埼玉の農家で研修を受け始めていた。
そんな中で、有機肥料さえ使わずに無肥料・無農薬でたくさんの種類の野菜を栽培する生産者を紹介され、これが決定的な出会いになった。
『まるか三代目』では、現在、約3000坪の畑で、60種類を超す野菜を無肥料・無農薬で栽培している。除草法は、手除草、抗菌剤不使用の除草シートのみ。無肥料で野菜が育つのは、自然界のミネラルを活かしたバランスの良い土作りができているからだ。種もバイオテクノロジーによるF1種ではなく、自家採取できる固定種が中心。苗や肥料は買わない、まさに“自給自足”農業を実現している。
大分県と夫妻を結びつけたのは、扶砂子さんが福岡県北九州市出身だったため、九州を候補エリアにしたから。畑付きであることはもちろん、「五右衛門風呂、囲炉裏、納屋のある家」が将義さんの条件。
農家民泊を泊り歩きながら、家族で九州各県の空き家バンクを見学した。その中で大分県の移住相談会で知り合った国東市の担当者に紹介してもらった物件を将義さんが気に入った。明治38年に建てられた築100年以上の家だが、手を入れると、見違えるようにきれいになった。
―◆ー
ちなみに屋号のまるかは、扶砂子さんの祖父が八百屋さんを始めた時、亀嶋という名字だったことから「丸に、“か”」でまるかなのである。扶砂子さんは小さいころ、「まるかの嬢ちゃん」と呼ばれていたという、実は野菜には縁のある人生。上平という名字も“か”で始まるし、これも何か因縁めいているではないか。
[su_row][su_column size=”1/2″ center=”no” class=””][/su_column] [su_column size=”1/2″ center=”no” class=””]
[/su_column][/su_row]
生計の柱は、農業、農泊、猟。
移住したのは2013年のこと。集落名は、「朝来(あさく)の谷」。朝霧とホタルで有名な場所で、家に居ながらに見られるホタルの乱舞に「銀河系みたいだ!」と子どもたちははしゃいだそうだ。
新天地での日常は、こんな感じだ。
- 扶砂子さんは、朝5時半に起き、
- 朝6時、子どもたちを起こす。
- 朝ごはんまでに中学校1年生の眞之介くんは、ニワトリの世話。
- 小学校3年生の優華ちゃんは、ヤギを小屋から出して、草を食べさせる。
- 6時半からみんなで朝ごはん。
- スクールバスが子どもを迎えにくる。
- 7時40分から夫婦で収穫。扶砂子さんはそれまでに洗濯物など家事も済ませる。
- そして、将義さんは、農業以外は、縦のものを横にもしない人(笑)。
- 11時30分に昼食。
- 12時から13時まで将義さんはピタリとカラダを休める。

その日、取材にお伺いしたのが、13時だった。
「今日も午前中はずっと虫を取っていたんですよ」
と言う扶砂子さんの表情は、底抜けに明るい。本格的に農業を始めたのは2015年という新米農家だが、主な収入源の野菜のインターネット販売も悪くはない滑り出し。一度味わうと病み付きになる独特の味わいの野菜たちはファンを増やし続けている。
「でも、今年はトマトが全滅でしたし、歩留りは50%くらい。田舎での生活はいくつか収入の柱があったほうがいいと考えて、農泊と猟を加え、3本柱でやっています。猟はシカ、イノシシ、アナグマの罠猟。シッポを切り取って持っていくとお金がもらえるんです(笑)。もちろん、お肉は解体して、我が家の食卓へ。シカカツなど子どもの大好物です。解体も手伝ってくれます。血を見せるのは最初どうかなと思ったのですが、子どもはすぐ順応しますね」
―◆ー
農泊事業は、扶砂子さんが大学時代から米国に7年住んでいた時、ホストファミリーにとても良くしてもらった経験から発想したもの。
「ホストファミリーは、アメリカの生きたカルチャーを教えていただいた場所。『まるか』もアグリカルチャーが体験、体感できる農泊をめざしています」

移住者にとって、
田舎は便利で、しかも先進的である。
移住当初から、不思議なほど不安を感じることがないという扶砂子さん。
理由を聞くと、「田舎のほうが便利だし、なんといっても先進的だから」と、意表を突く答えが返ってきた。
「シイタケ栽培をしたい」
「猟をしたい」
と言うと、近所の得意な人が手ほどきしてくれる。台風が来ると、大家さんが片付けの手伝いに来てくれる。やりたいことがある人にとって、田舎はやりたいことができる「便利な場所」なのである。
「私は以前、仕事で子どもと過ごす時間が取れない罪滅ぼしに、週末などはモノや食べ物を買い与えていました。でも、せっかく子どもと過ごしているのに、それってとてもお粗末でカッコ悪い過ごし方ですよね。仕事のお付き合いで、一流シェフが作った極上の味をいただくこともありましたが、自分たちで作った野菜を使ったシンプルな料理を家族で楽しく食べるほうがずっと美味しいんです。それとか引っ越した時、テーブルを買おうとしたら、夫が手づくりしたんです。何でも買えばいい、お金をだせばいいという考え方って、実は遅れていると思った瞬間でした」
モノやお金を与えられたり、与えたりすることではなく、その時間で何を体験できるか、誰と体験できるかが大事。田舎で暮らすことで、時間の質が格段に向上したと感じている。その価値観を子どもたちにも味わってほしいと思う。
▲将義さんこだわりの五右衛門風呂
▲囲炉裏のリビングとオープンキッチン。テーブルや棚などはすべて手づくり。
本物とニセモノを見分ける力は、
生きる意味を見つける力
子どもたちには、料理や薪割り、大工仕事、猟など様々なことを体験させる。忙しい扶砂子さんに代わって、子ども2人がご飯を作ってくれることも珍しくない。
「何でも親がかりではなく、“自立心”を育めるのもうれしいですね」。
長男の眞之介くんの“眞”という字に、将義さんは「本物を見極められる人間になれ」という思いを込めたそうだ。
「夫自身は、自分が生きている本当の意味を無肥料・無農薬の自然栽培に見つけた人です。人は次の世代に何かをバトンタッチするために生きているけど、デザイナーをしていてはそれがどうしてもわからない。だから、食べ物という一番大切なことに携わって、自分は本当に良い “種” を次の時代に生きる人にバトンタッチしていきたいんだ、と言われた時、私も心からその思いに賛成することができて、一緒にやろうと思ったんです。
私自身、何万枚も洋服を作ってきましたが、夫と共に農業をすることが自分にとって本当の仕事だったと、今、確信が持てるんです」
そんな扶砂子さんの充実した日々の時間の中でも、抜きんでて幸せな時間があるという。それは、収穫した野菜を集めた野菜室に夜中に一人こもる時。
「すっごくピカピカ、パリッとした野菜に触っていると、至福の境地になります。子どものころも思い出すし、本当に落ち着く時間。夫は野菜に対してはとても素直で、繊細なものを作るんです。どんなに夫婦喧嘩しても、この野菜たちは愛おしいですね(笑)」
固定種から生まれる野菜は、野菜の本当の味わいが楽しめる。扶砂子さんの野菜愛は、本物の野菜を次代へつなごうと挑戦する夫への尊敬の念でもあるのだろう。
素敵なご夫婦である。
▲採れたての野菜たち。無農薬栽培のため、虫取りが日課だ。
[su_row][su_column size=”1/2″ center=”no” class=””][/su_column] [su_column size=”1/2″ center=”no” class=””]かみひら・ふさこ
1971年北九州市出身。米国の大学、大学院で勉学。
世界的スポーツ用品メーカーの日本法人に入社し、開発事業部でアパレル開発にあたる。33歳で結婚。長男、眞之介くん、長女、優華ちゃん出産後も仕事を続けていたが、夫の新規就農への強い願望を受け入れ、2013年に移住。
『まるか三代目』という屋号で、野菜のインターネット販売、農泊を展開する。[/su_column][/su_row]
[su_row][su_column size=”1/2″ center=”no” class=””][/su_column] [su_column size=”1/2″ center=”no” class=””]まるか三代目
大分県国東市安岐町明治4583-1
ホームページ⇒http://maruka831.com/[/su_column][/su_row]