たいせつな宝もの 2010年10月号アヴァンティ
大切な1冊の雑誌。2010年10月号アヴァンティ。初めて取材を受けて当時の定番コーナー「仕事人」に載せていただいた一生の保存版。
あすばるに入職して3年目の2010年42歳。本当に夢みたいな出来事でした。この号の表紙の言葉「私がかわる第一歩」。当時の気持ちを代弁してくれているようでした。2010年にアヴァンティの社長から公的機関「福岡県男女共同参画センターあすばる」の館長に就任された村山由香里さんと、館長室で初めてゆっくりとお話しさせていただいたとき、男尊女卑の古い考えを持った父の話や、「男女共同参画」について等いろんな話をさせていただきました。興味深く聞いてくださった村山元館長に「その話おもしろいね!アヴァンティで取材させてもらえる?!」と言われて、驚きと嬉しさでいっぱいになりました。
あすばるで「男女共同参画社会基本法」を知り、意識や考え方がどんな風に変わっていったかなど、熱く語った記憶があります。
育った環境で根深く染み付いた「男性は仕事 女性は家事育児」という考え方、女性は控えめに口数は少なく、いつもおとなしくしとやかに、と教えられた「女性らしさ」というジェンダー、家事や育児は女性がしなくてはいけないという思い込み「固定的性別役割分業意識」。結婚して子どもが生まれて、母親・妻・嫁となったとき、窮屈で息苦しくて逃げ出したくなる衝動に駆られていたのは、それは自分自身が作り出している「女性だからこうするべき」という呪縛だったことに気付いたんだと話しました。
私がそうだったということは、きっと同じように思い込んでいる女性がいるはず。女性であるがゆえに苦しんでいること、一人で思い悩んでいることは、実は社会的な問題であって、そのことを認識できたとき、未来が少しづつ変わっていくんだと。
この取材で、母親としてではなく一人の女性として思いを伝えることができたことが、その先の人生へ自分らしく行動する自信に繋がっていったと感じています。
2009年に派遣切りを経験し、「子どもがいてフルタイムで働き続けること、残業ができないという現実は、こんなに厳しいことなのか」と起き上がれないほど打ちひしがれて、悔しさを抱えながらハローワークに通った日々。そして、次は、派遣社員ではなく、正社員になりたいと、いくつか試験を受けるも不採用。また、派遣社員として別の会社で働き始めるも、3ヶ月で退職。なんで、こんなに仕事探しに苦労しなければならないんだろうって悩み続けた30代後半。その後、ハローワークで出会った就職アドバイザーから、情報提供をしてもらった求人が「あすばる」でした。
入職後は、子育てしながら働くことを応援してくれる組織のトップ、上司に囲まれて、仕事に打ち込むことができました。もちろん、いいところばかりではなく、非正規雇用だったり、5年間という雇用期限があったり、事業企画や運営が大変だったりもしました。それでも、仕事と家庭の両立を応援してもらえる環境だったことが、一番心強かったのです。子どもが調子が悪くて病院に寄って出社したときも、「子どもさん大丈夫だった?」と声をかけてもらえたこと、組織としてサポートしてもらっている安心感があったから頑張れたのです。
変わるために必要だった学び「男女共同参画」
私は変わりたかった。「女性らしい生き方」ではなく「私らしい生き方」を選択すること、それは、「働き続けること」だったのです。本当はもっとバリバリ仕事をしたいと思っているけど、子育てしながら働くことを考えただけで不安になるし、チャンスがあったとしてもどうしてもそこに踏み出せないし躊躇してしまうのです。不安になる大きな理由は、子育て家事を自分一人でしなければいけないという思い込みがあるからで、自分以外の誰かにお願いすることに常に「罪悪感」が生じてしまっていたからなのです。
女性だけが、母親だけが家事育児に関わるのではなく、夫も家族も職場も組織としてどのようにサポートしていくのか、そして、社会全体で、子育てをあたたかく応援すること、それがこれからの社会において、女性活躍推進・働き方改革において、ものすごく重要なことだと感じています。
「あすばる」や「アヴァンティ」のことが大好きなのは、女性が働き続けること、子育てしながら働くこと、様々なことにチャレンジすることを本気で応援してくれるからなのです。
★Photo Tomo ★
天草の海。
4月下旬、ふくおか県女性研修の翼32回生の仲間と一緒に天草まで研修旅行に行ってきました。熊本市男女共同参画推進センターを訪問し、震災時のセンターの取組み、熊本市緒方市議との談話など、充実した二日間でした。