その会社の受付の一席は寿椅子と呼ばれていた。
「座るとめでたく妊娠して寿退社していくのよ」
パートを始めたばかりの鈴(すず)に女性社員さんが教えてくれる。
「それは独身だけに効くんですか?」
問うた鈴に女性社員さんは、にんまりと微笑んだ。
「いいえ。不妊にも効くみたいなの。パートさんで不妊治療にも通ってた人が半年たたずに妊娠したとかね」
「それは……凄いですね」
「だから、あの席は順番待ちよ」
今、その席は新婚のベテラン社員さんが座っていた。
そんな話を咲はイチジクのパイを頬張りながら鈴から直接聞いたところだ。たまたま職場が同じビルになったからとランチを一緒した際のおしゃべり。アフターデザートに出たイチジクは福岡の新名物になっているという話から、イチジクは繁栄の象徴と言われてるという流れで寿椅子の話題へと移ったのだが……。
「なんだか素敵だと思わない?」
けれど笑顔の鈴に比べて咲は表情を曇らせる。
「その話って、本当にそこで終わり?」
「……終わりだけど……?」
きょとんとしている鈴に咲は話すべきかどうかを迷って、視線を彷徨わせた。
「なによー。気持ち悪いから言ってよ」
「それとまるで反対の話を聞いたから……」
咲は言葉を濁しながら続ける。
「先週、大学の友達に会ったんだけど……彼女の会社には忌椅子(いみいす)って言うのがあるんだって」
それは寿椅子とは真逆で、座ると身内の誰かが亡くなってしまうらしい。
「そんなの、絶対に誰も座らないじゃない」
憤慨する鈴に咲は首を虚しく振った。
「そうでもないよ。死にそうな義理の身内がいる人は、何度も死線を彷徨われて呼び出されるよりは一気に済ませようとするんだって……。少なくとも座ってひと月以内には効果が出るから……」
「効果って……」
鈴が絶句するのに咲は目を伏せる。
「今ね。少し気付いた気がするんだけど……忌椅子と寿椅子のオフィスって同じビルの上と下なんだよね。これは単なる思いつきなんだけどさ。つながってるのかもね」
「じゃあ、忌椅子で死んだ数だけ、寿椅子で生まれてるかもしれないって言うの?」
「想像だけだよ。本当にそうかはわからない……ただ……」
咲は鈴に「わかってやっている人がいるかもしれない」と告げた。
なぜなら咲は人事部の人の取り方が偏っているという噂を聞いたことがあるのだ。寿椅子の会社の重役の娘が長く不妊を患っている時に、忌椅子の会社で急募されて入った女性は末期癌の親を抱えていた。三カ月だけの契約だったけれど、その間に癌患者は死んで重役の娘は妊娠したのだ。
「マイナスとプラスのバランスを取ってるのかあ。って、どうしてまだそんなに渋い顔をしてるの? 咲」
「プラスマイナスゼロならいいんだけどね。なんだかマイナスの方が多い気がするんだよねえ。ひとつの命につき十数人は死人が必要な感じ……そうしないと計算が合わない」
咲は自分の会社のパート職員が短期しか取らないことを思い出す。