Shawn Escoffery(ショーン エスコッフェリー)
シティプランナー(43歳)
幼い頃から人を助ける仕事をしたいと思っており、雇用促進・地域経済発展を助ける民間会社でアメリカ全土はもちろん、世界で活躍中。
また、セカンドジョブとしてフォトグラファーの顔をもつ彼のマインドに迫りました。
http://www.shawnescoffery.com/
–学生時代のアルバイトも含めて、経歴を教えて?
中学生の頃から新聞配達に始まり、高校、大学在学中もトレーニングジムの掃除係や寮長など、いろんなアルバイトを経験したよ。
大学生の時に低所得者の為の家を提供する団体の事務をして、シティプランナーという仕事に興味がどんどん湧いてきた。地域の問題と貧困は、密接に関係してると学んだから、MIT(マサチューセッツ工科大学)シティプランナーのマスターを取得したんだ。
–アメリカ以外でも仕事をしたことがあるんだよね?
中国に、建築家をサポートする仕事で3ヶ月間滞在していたよ。
その後、日本にシティプランナーとしてではなく、ALT(外国語指導助手)として1年間働いていたよ。
日本へ行ったのは、僕が小学生の頃、日本は好景気でニューヨークで働くたくさんの日本人がニュージャージに住んでいたから、同じ小学校に日本人の子が通っていたんだ。その子たちが、剣道や浴衣を見せてくれた時に、全く違う文化にとっても興味を持って、小学生の時にいつか必ず日本へ行くと決めていたんだ。その夢は、叶ったよね。
–帰国後の仕事は?
雇用促進・地域経済発展を助ける半官半民の会社から民間会社まで、シティプランナーとしていくつかの都市で仕事しているよ。
○ボルチモア(1999年~2001年)
25人のチームをまとめるディレクター
○ニューアーク
(2001年~2004年)
約40億円のプロジェクトディレクター
(2004年~2007年)
最初の1年は、4人のディレクターと3人のプログラムマネージャーをまとめるディレクターのリーダー
同じ会社で、2005年からは副社長として
2005年8月にハリケーンカトリーナがアメリカ南部を襲ってから、早く災害にあった人を助けに行きたかったけど、副社長になったばかりで行けなかった。
2007年になってやっと、HOPE VIというプロジェクトに参加する事ができたんだ。
○ニューオリンズ(2007年~2010年)
ハリケーンカトリーナ後の復興ための、約5億円のアフォーダブル(手頃な価格帯の)ハウスプロジェクトのリーダー。
自分のプロジェクトで建てた家に人々が移り住んだ後、訪問することもできて、喜んでいる顔を見れた時は心から、この仕事に携わって、良かったと思ったよ。
○ニューヨーク(2010年~現在)
約10億円のプロジェクトリーダー。アメリカ全土はもちろん、世界中を飛び回っているよ。
–モチベーションを上げるためにしていることを教えて?
好きな仕事だけど、とてもストレスフルな仕事でもあるから、僕は写真を撮ることや旅行をすることで現実逃避でき、リセットして、また大好きな仕事に戻ることができるんだ。
今までに45カ国は行ったよ。
仕事とプライベートのバランスを自分でうまく取ることは、とても大切だと思っている。
幸恵の取材後記
ショーンは幼い頃から、将来何がしたいのか明確だったために、それに向かって、大学も決め、仕事も順調にキャリアアップしている。
また、MITでマスター取得後も、その時している仕事に必要と感じれば、大学でクラスを取り、サーティフィケイトを取得していて、私のニューヨークでキャリアアップしていく人々のイメージ像そのもの!
人を助けるためには、自分も安定してないと助けることはできないので、転職をするにあたっては、収入も重要なポイントだそう。「常に、ステップアップしている」という事ですね。
ショーンが、「(この仕事をしていると)”Take me to the better place”」と言ったのが、とても心に残っていて、彼は心から困っている人を助けたくて、本当に好きな仕事をしているんだな、と思いました。
一方、幼い頃からアートにも興味があり、ニューアークでの勤務時代にフィルムから写真が現像される工程に感動してハマったのだそう。
趣味の領域から、今ではセカンドジョブにもなっていて、ストレス発散にもなるという。
自分を知って、自分でバランスをとるのは、責任ある仕事をする上で、とても重要ですね。