
1993年10月、大名の私のマンションの一室でアヴァンティ編集部はスタートしました。大学生と2人で創刊準備にかかり、2ヵ月後、12月に創刊する頃には6人体制になっていました。「始める」と決めて動きだすと、人や情報が雪崩れのようにやってきて、気づいたら渦の中心にいるような感覚でした。
夜遅くまで営業に取材にと走り回る私たちに、大名のまちの人たちはあたたかく迎えてくれました。「色校正をフローリングの床でやったのは初めてだ」とおもしろがってくれた凸版印刷の担当者。夜中、仕事を終えてオフィスに戻る道すがら、閉店後の店先でくつろぐおにいちゃんたちに「お疲れさま」と声をかけられたり、週末になると差し入れを持ってきてくださるパン屋さんがあったり…。大名の名物パン屋さん、ボンジュールのオーナー山田さんは数年前に逝去され、いまでは看板だけが残っています。
「まち」は、生き物のように変化する
1980年代後半、ディスコが立ち並び、九州じゅうの若者を集めてにぎわっていた親不孝通り界隈が、あっというまに変化し、人の流れは、天神西通りへ、そして、大名の路地裏へと向かっていきました。
小さなファッションの店に、若者が集まり、デザイナーたちが事務所を構え、ヘアサロンが割拠し、お洒落な女性たちが集まる大名は、いまだに人々を牽引するまちであり続けています。土日には行列ができる飲食店がいくつもあり、九州じゅうから、また、アジア各国からの観光客を、今日ものみ込んでいきます。
「まちはまるで生き物のように変化する」とは、情報誌の仕事30余年の実感です。毎日毎日、まちを歩き、まちの変化を肌感覚で見てきました。新しいお店ができたり、ビルができるとワクワクします。何ができるのかな、どんな店が入るのかな、今度はうまくいくかな、と。
出店する店、集まるお客さま、オフィスを構える企業、住む人々、すべてが渾然一体としてまちを形成していきます。ひとつひとつの店舗が、このまちでどんな夢を実現したいのか、どんな人にきてほしいのか、人たちの思いでまちは活気づき、変化していきます。博多駅に駅ビル等ができてまちの色が変わったのと違い、大名は、一人ひとりの息遣いが聞こえるようなまち。そこにおもしろさがあります。
最先端が集まる「まち」、大名
さて、2017年、歴史ある旧大名小学校に福岡市のスタートアップ支援施設「Fukuoka Grouth Next」がオープンし、このまちの新しいページが始まりました。もともと進取の気鋭のある人たちが集まる大名に、起業家たちが集まり、セミナーを開き、ネットワークをつくり、全国、海外からの来訪者が絶えません。
大名小学校跡地の再開発プランは今年には決まり、また大きな変化が起きようとしています。オフィスやホテルや保育園や憩いの施設、どんなものができるのか、ビッグなプロジェクトだけに、とても楽しみです。願わくば、店やオフィスを含む、大名の住人たちを包み込み、一緒に何かができるような施設であってほしい。そして、大名は、常に最先端を発信するまちであり続けてほしいなあと思っています。
このまちで育てられた、25年の感謝の思いを込めて。
株式会社アヴァンティ代表取締役 村山 由香里