インタビュー

藤堂 和子さん/45年継続して生まれた人との温もり、繋がり。

藤堂 和子(とうどう かずこ)さん
「ロイヤルボックス」、
「リンドバーグ」ママ・経営者

1946年福岡市生まれ。1971年老舗の航空スタンドバー『リンドバーグ』を先代から受け継ぐ。90年代に高級クラブ「ロイヤルボックス」の経営を引き受け、中洲一のクラブとして成長させる。会員制クラブでありながら大人の社交場として海外からのゲストをはじめ、財界人、文化人、芸能人も足繁く通う。1980年〜情報誌「中洲通信」の編集長として30年間発行し続けた。現在、KBC九州朝日放送ラジオ番組『藤堂和子の女性塾』(毎週水曜16:15~)に塾長として出演中。
オフィシャルサイト http://www.tohdo-hakata.jp/

45年継続して生まれた人との温もり、繋がり。

いつもそうだ、ここにはなぜだか絶えず温かな空気が流れている。中洲のネオンの灯りが淋しくなった、とは近年よく耳にする話ではあるが、『リンドバーグ』には今日もカウンターでくつろぐ笑顔の人々であふれている。そんな老舗バーのママ、藤堂和子さんをたずねた。 中洲で働き45年、彼女のまたの名を「ジャンケンママ」ともいう。じゃんけんの名手として知られる彼女は「中洲通信」編集長やテレビ出演もこなす、「博多のお母さん」そんな言葉が当てはまる女性。厳しい女の世界という印象とはまったく違う、柔和な笑顔で迎えてくれた。

初めは店に立つのも嫌だった
18歳でトヨペット福岡へ勤めていた藤堂さんは、兄に頼まれ20歳で義姉の店『リンドバーグ』を手伝うようになる。「初めのころはお店に出るのが嫌でね。カウンターで愛想笑いも、話さえしない日もあった。でも、ある時お店の先輩に言われたの。“美しい人は黙っていてもいいけれど、ほとんどの人はお客様に好かれて初めてご飯が食べられるとよ”って。それからかな、持ち前の負けん気に火がついたのは」。そこから、彼女の中洲人生が始まった。

45年継続して生まれた人との温もり、繋がり。
24歳で義姉から引継ぎママへ。たちまち人気店へと成長させた藤堂さん。その理由はただ一つ、相手のことを思う気持ちに尽きる。出張で来店した人に、博多の夜が楽しいものになったかと心を配る。一人ひとりの顔と名前をきちんと憶える。お礼状を出す。誰もができることだが、それを “心に留めて” コツコツと日々続ける結果だった。90年代には会員制クラブ『ロイヤルボックス』もオープン。 そんな経営者としての一面を持つ彼女には常に心がけていることがあるという。「私は毎朝起きて、前日に頂いた名刺を手に取ります。そして昨日のお客様のことや情景を思う。すると自然とお礼の気持ちが伝えたくなる。それが毎日欠かさないお手紙となるんです。本当にただそれだけ」と語る。45年続くとは、これほどまでに “継続は力なり” を体現している人もいないのではないだろうか。

中洲を桜で満開に
藤堂さんの夢、それは中洲を桜の花で満開にすることだ。昭和30年代那珂川沿いには桜の並木や柳が植えられ、それはそれはきれいな情景だったという。放置自転車、品のない呼込み、現在の中洲ではそんな光景が時々目に映ることを彼女は残念に感じてきた。中洲人生45年、心底愛している場所だからこそ「もう一度あの頃の中洲に」と、彼女の人脈を中心に「中洲 桜de笑顔プロジェクト」が発足。行政も一体となり美しい中洲を作る運動が動き始めている。「周りの人たちがいてこそ、今の私があるの」と取材中何度も繰り返していた藤堂さん。どんな逆境のときも、常に周りの人が助けてくれたという。「この桜プロジェクトも皆さんがいないと私だけではできなかった。本当に感謝しています」。 2012年春、中洲交番の辺りには植樹された8本の桜がつぼみを膨らませ、開花を今かと待っている。中洲が福岡の花見の名所となる日もまもなくだ。

 

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