”らしさ”にとらわれない生き方
2008年4月
「財団法人福岡県女性財団(福岡県男女共同参画センターあすばる)」に
嘱託職員として入職しました。
パートや派遣の仕事を転々と、職種は色々と経験してきましたが
民間企業ではない行政に近い職場で仕事をするのは初めてでした。
2013年3月まで5年間在職しその間に仕事を通じて学んだことは
人生の転機となりました。
最初は、「男女共同参画」という言葉に
どちらかというとあまりいいイメージを持てていませんでした。
女性らしさを否定するところなのだろうかと半信半疑の気持ちでした。
実は、こんな風に考えてしまうこと自体がとらわれなんですよね。
「女性はこうあるべき、男性はこうあるべき」
という固定観念が無意識の中にあるのです。

私は、父や母から「女の子だからおとなしくしなさい」
「女の子だから」という言葉をいつも言われて育ちました。
家庭内では、父に口答えすることは許されず
「おなごは黙っとけ!」(女の子は黙っておけ)と
おとなしく静かに控えめに行動することを教えられました。
お転婆だった私は木に登ったり屋根に登ったりするのが大好きだったのですが
父から「男のごたっこつばすんな!」
(男の子のみたいなことはするな)といつも叱られていました。
実家の父が台所に立ったことはほとんど見たことがありません。
料理している姿も、お茶を入れている姿も、ご飯をよそう姿も
洗濯をしている姿も、掃除をしている姿も、家庭用品を買い物に行く姿も
見たことがありませんでした。
とにかく家のことは一切しない父でした。
自営業で仕事一筋の職人だったので、仕事が忙しかったのかもしれませんが、
母は、4人の子どもを育てながら、四六時中、
家事と父の世話に追われていていました。
そんな父と母の関係を見て育ったので、無意識のうちに
家事育児は妻であり母親である女性の役割だと思い込んでいたのです。
だけど、子どもごころに母のことをなんだか不憫に思っていました。

そんな私が男女共同参画センターで仕事をすることになって
日頃、言葉として聞いたこともない、使ったこともない
違和感さえ感じていた「男女共同参画」について
新人研修として当時の館長中嶋玲子さんから講義を受けました。
そのお話の中で
今でも時々思い出される
心に深く刻まれた二つのメッセージがあります。
一つ目は
「男らしさ 女らしさ よりも その人らしさ」
という言葉です。
お話をお聞きして、小さな頃から
男の子に生まれたかったな
女の子に生まれなければよかったなと
ずっと思っていたことが
そうじゃなくって、生き方は性別で決められるものではないと
全身全霊で教えてくださったのです。
自分の中にある「女らしさ」の呪縛に気付きはじめました。
これまでの私は、自分の行動を選択するときに
女性であること
妻であること
母親であること
嫁であること
育った家庭で教えられた女性としてどうあるべきかで選んできました。
心の奥では、自由に外に出て、仕事をしたいと思っていたし
子どもがいても男性と対等に働き続けたいと思っていたのです。
でも、それを選択することがいけないことのような
気がして、自分の中に常にある罪悪感と葛藤していたのです。

子どもを預けて仕事をしようと考えると
それだけで常に罪悪感が付きまとってきたし、
同居という生活において義父や夫にご飯を作ってもらうなんて
考えたこともなかったし、
たまに店屋物や出前を頼んだりしたときは
家事をサボって楽(らく)していると自分を責めていたし、
近所の方に夫や義父が洗濯物を干している姿を見られるのは
すごく嫌だったし
夫がカッターシャツをクリーニングを出しに行ってくるよと言っても
夫に出しに行かせてひどい妻だと周りに思われるから嫌だなと思っていたし
クリーニング店に出来上がったシャツを取りに行くとき
「あ〜。この人なんだ。いつも夫にクリーニングを出しに行かせている妻は」
と冷たい視線を浴びせられるんじゃないかと思っていたし、
夫に買い物を頼むなんて申し訳ないなと思っていたし、
夫が台所に立っているところを義父に見られたら
ひどい嫁だと思われるだろうなと思っていたし、
夫や義父が自分でお茶を入れている姿を見たとき、自分が座ったままでいると
そわそわしてきて「いいです!私がしますから!」って言っていたし、
子どもを連れた父親や男性が一人でスーパーで買い物をしている姿を見かけたときは
「あら離婚されたのかしら?奥さんいらっしゃらないのかしら。かわいそう」
という目で見ていたし
この思考のもとにあるのは
家事と育児は女性がするべきという
固定観念からなのです。
28歳のとき、妊娠し出産を前にして
大好きだった仕事を続けたいと思っていながらも
家事や育児はどうするの?仕事と家庭をどうやったら
両立していけるのだろうか?と考えただけでも途方に暮れ、
夫と家事育児を二人で担うということなんて
全く脳裏に浮かばなかったのです。
育児休業を取得して、子育てしながら正社員として
仕事を続けていくというイメージができずに
選択することができなかったのです。
家族のために尽くすことが一番の幸せなんだと
私自身の未来は諦めなければならないんだと
自分を苦しめていたんだと思うのです。
なんで女性だけが家事育児をしないといけないんだろう
子どもがいるというだけで、こんなに人生の選択に自由がなくなるんだろう
もし男性に生まれていたら、もっと外に出てバリバリ仕事して
出張で飛行機に乗っていろんなところに行きたかったなとか
とにかく外で自由に仕事ができる男性が羨ましいなと思っていたのです。
(この固定的性別役割分担意識は男性が抱えている生きづらさでもあるのです)
ここでお伝えしておきたいのですが
男女共同参画社会基本法には、
家事育児、介護との両立について下記のように明記されています。
(家庭生活における活動と他の活動の両立)
第六条 男女共同参画社会の形成は、家族を構成する男女が、
相互の協力と社会の支援の下に、子の養育、家族の介護
その他の家庭生活における活動について
家族の一員としての役割を円滑に果たし、かつ、当該活動以外の活動を
行うことができるようにすることを旨として、行われなければならない。
対話を積み重ねていくことで考え方や視点が変化していく
経験上で感じたことなのですが、
この固定的性別役割分担意識は、
長年育った環境で身体中に染み渡っているから
そう簡単に変わるものではありません。
あすばるに入職した最初の頃は、心の葛藤が強くありました。
でも、そんな私のバイアスに気付かれていた職場の諸先輩方が
ゆっくりと時間をかけて紐解いていってくださいました。
自分とは違う考え方を持った方々と対話を重ね
性別にとらわれない様々な生き方をされている女性とたくさんお会いし
男女の役割について根深い固定観念を持っていた私のバイアスが
だんだんと解放されていったのです。
女らしい男性がいてもいいし
男らしい女性がいてもいい
女らしさ、男らしさは、
あるべき姿というより
その人の個性であること
多様性を認めるという視点に気が付いていったのです。
そしてメッセージの二つ目は
「女性だからという理由であきらめない!
いくつになってもチャレンジできる!」
というメッセージです。
そのエピソードは、次のコラムで書いていきたいと思います。

★photo Tomo ★
今回の写真は、小郡市横隈にある隼鷹神社。
朝日が昇る時間に参拝すると
東の方に花立山が見えてきます。
空が明るくなっていく朝の景色は
本当に心を奪われるほどです。
こんなに神秘的な神社があることを
つい最近まで知りませんでした。
小郡市を訪れることがあれば、ぜひお立ち寄りください。
境内にある3本の大楠もパワーを感じられる大樹です。



前回までのコラムはこちらから↓
専業主婦からのRestart 小さな一歩が未来をつくる