インタビュー

東 英寿先生/千年の時を経て、中国の文人の「手紙」が日本で見つかった! ちいさな積み重ねが引き寄せた大発見と、中国文学のはなし。

東 英寿(ひがし ひでとし)先生
九州大学大学院 比較社会文化研究院 教授
福岡県出身。2006年10月より現職。博士(文学)。2011年に中国の文人「欧陽脩」(おうようしゅう・1007~72年)が書いた96編の未発見書簡を発表。その発見は、新華社通信、人民日報、光明日報など中国のメディアで大々的に報じられた。九州大学では新発見の95%以上が理系の研究であり、文系での新発見は極めて稀。福岡ソフトバンクホークスとサザンオールスターズをこよなく愛する。

千年の時を経て、中国の文人の「手紙」が日本で見つかった!
ちいさな積み重ねが引き寄せた大発見と、中国文学のはなし。

2011年10月、日本と中国全土のマスコミを驚かせる大発見が報じられた。中国・宋時代の欧陽脩(おうようしゅう)という著名な文学者の書いた「手紙」96通が新たに日本で発見されたのだ。日本でいうと、平安時代で『源氏物語』が書かれた頃。例えて言えば紫式部が書いた手紙が新たに見つかったようなもの。そんな、中国の文化史に大きく関わる大発見をしたのが九州大学大学院比較文化学府で教鞭をとる東英寿先生。先生の専門の中国古典文学、特に欧陽脩についてと、その新発見当時のことをインタビューした。

中国の近世文化を切り開いた欧陽脩(おうようしゅう)

貴族の文化が中心だった唐が滅亡し、次の宋の時代は、家柄だけでない実力社会へと変化した。古くから中国では、文学は政治を含めて現実生活を主題にしたものが多く、文学には国を左右するほどの強い力があると考えられていたため、文学は政治と密接な関係があった。欧陽脩は宋の時代に、詩についての逸話を集めた「詩話」、中国考古学に繋がる「金石学」、「随筆」というジャンルを創始。また、木版印刷ができたことによって書物の大量生産がはじまり、彼の書物も多く出回った。欧陽脩の活躍は、中国の近世文化を切り開いた文人として中国の中学や高校の教科書にも取り上げられている。

ちいさな積み重ねが引き寄せた大発見

「研究を続けて30年近くになりますが、まさか彼の未発見の手紙が存在するとは思っていませんでした」と、新発見をした東先生自身も最初は半信半疑だった。千年以上前に生まれた、中国の著名な文人で政治家でもある欧陽脩についての資料は既に出尽くしていて、全く知られていない作品が出てくることはありえないはず。確認・検証を1年以上重ねた上で、学会で正式に発表した。では、どうやってその発見にたどり着いたのか。それは、30年にわたり熱心に関心を持ち続けた探究心の賜物だった。

欧陽脩の全集『欧陽文忠公集』について調べていると、一番古い木版で刷られた最古のものが、中国の国家図書館、日本の宮内庁書陵部、日本の天理大学図書館の3カ所に存在することが目録に記載されていた。これまで、この3つの全集はどれも同一のものと認識されていたため、どれか1つを確認すれば事足りると考えられていた。しかし字体の違いや後から付け加えられた注釈の有無などの違いがあることに東先生は気づいた。疑問に思い、3つをていねいに比較していく過程で、あるとき96編の未発見の書簡が存在していることに初めて気づいた。これまで何千ページもある全てを比較してみようとなどは誰も思わなかったのだ。

「今回の発見は、別の研究を進める過程の中で全くの偶然の出来事でした。研究対象に関心を持ち続け、ずっと想っていたからこそ出会えたものです」。今回のゼミでは、この発見にまつわる裏話も聞きながら、「一途に研究対象を見つめる文学研究は、恋愛に通じる」と語る東先生に、中国文学のおもしろさについて聞いてみよう。

ABOUT ME
アヴァンティ編集部
アヴァンティ編集部です。 働く女性を応援するお役立ち情報をたくさん提供していきます!
この記事を読んだ方はこんな記事も読んでいます
インタビュー

生田 博子先生/マイナス60℃の世界、アラスカの魅力。エスキモーの知られざる暮らしとは。

2016年6月20日
アヴァンティオンライン
生田 博子先生九州大学 留学センター国際教育部門 准教授米国アラスカ大学で学士・修士号、英国アバディーン大学で文化人類学の博士号を取得後、米 …