リオデジャネイロオリンピックが閉幕しましたね。前回のロンドンを上回る大活躍のオリンピックでしたね。次の2020年東京オリンピックが俄然楽しみになって参りました!!
さて、今回は前回コラムに引き続きパート2をお送りしたいと思います。
パート2
未曾有の被害を被った大東亜戦争(太平洋戦争)から奇跡の復活!!
わずか19年で新幹線とオリンピックを成功した日本のサムライ!第二弾!
さて、前回コラムでは、未曾有の大損害だった戦争から、わずか19年で新幹線を開発、オリンピックを成功させる、という復興のお話をさせて頂きました。
今回は、いかにしてその復興を成し遂げたのか?核心部分についてお話したいと思います。
戦後の経済復興はおよそ学問では解決できないのではないかと言われるくらいの被害でした。復興の奇跡を起こすにはいくつかの過程があります。
一、経済政策
二、為替レート
三、朝鮮戦争
四、国民の根性!!
一~三の経済政策については、もし機会ありましたら、あるいはコラムが好評でございましたら継続させて頂ければと思いますが皆さまいかがでしょうか?笑
さて、今回の主題は復活へのサムライ魂!という主眼もありますので、四の国民の根性!というところで述べましょう。
国民の根性とはどういう部分を指すのか。
日本人は明治維新後の欧米列強の侵略に対しても、大東亜戦争(太平洋戦争)終了後の戦後復興、これはまさに国民の飲まず食わずの努力によるものでした。
では、本当に努力だけかと言えば、それだけではありません。
努力だけ頑張っても、それが効率的に行われなければなりません。そのためには一人一人の理解力が重要です。
理解力に一番必要なことは、文章の読み書きです。
え?そんなこと?当たり前じゃないの?と言われる方がいます。
ここも望遠鏡と顕微鏡を観る!ということを思い出しましょう。
物事は必ず、時代背景も読んだ上で読み解いていかなければなりません。
まずは、明治維新時代の19世紀。
当時、史上最強の帝国と言われ世界の30%以上を支配していた大英帝国。
大英帝国の首都ロンドンにおける庶民層の子供の識字率(字を読める率)は10%にも満たない数字でしたが、江戸の子供たちの識字率は60%を雄に超え、大人における武士の識字率はほぼ100%であったと言われます。
また学校に通う就学率でいえば、1837年の大英帝国工業都市においても就業率が20%前後といわれました。しかし同じく日本では庶民層における子供たちの80%が就学していました。
フランスでは1794年における10歳~16歳の就学率は数%に満たないとも言われ、いかに日本の識字率・就学率が高かったか、世界でも群を抜いていたことが分かります。
たとえば、日本戦後復興に大きく寄与したことに鉄道網の強靭さもあります。
戦争によって焼け野原になったわけですから、復興するには多くの資材を万弁なく破壊されたところへ運ばなければなりません。主要都市の主要幹線は壊されていることも多かったのですが、日本は全国津々浦々、昭和初期には多くの鉄道網が木の枝、毛細血管のように整備されていましたから、全国への資材の伝達も早かったと言われます。
また、この鉄道発達は、日本に鉄道技術が伝わったエピソードでも色濃く残されています。
日本に鉄道の情報が伝わったのは1853年。ロシアのプチャーチン提督が艦隊を率いて長崎に寄港した際に、蒸気機関車のモデルを見せたのがきっかけと言われています。
そして、実際に1854年に横浜で小型の蒸気機関車が試験走行しますが、これは日本に二度目に訪れた、あの「ペリー提督」が日本の徳川将軍へ、なんと「献上品」として持参したものであります。
ん?
おかしいですね?日本の今の教育では、ペリーはひたすら大砲をぶっ放し、日本を脅したのではないでしょうか?
日本人は、ペリー提督の大砲で恐れおののいていたのではないのでしょうか?
おかしいですね~、そんな剛腕ペリーが、なぜ手土産をもってきたのでしょうか?
不思議ですね~。しかも当時は蒸気機関車は小型でも相当な高級品であり、技術供与であります。不思議ですね~。
この真実については、またいずれ語る機会があれば。
それからわずか一年後、佐賀藩では日本製のオリジナル蒸気機関車が完成しています。
たった一年で、今まで見たこともなかったものを、製品化してしまうのです。
(ちなみに佐賀藩は、乗ったこともないのに蒸気船を開発するなど、面白エピソードこのうえなし!)
古くは、ポルトガル商人が日本の戦国時代に火縄銃を伝えました。
訳も分からない飛び道具を観た日本人でしたが、わずか半世紀足らずで、50万丁以上の鉄砲を自国生産しています。
これにより、当時の豊臣政権は世界最強の軍隊となり、当時世界中を踏み荒らしていたスペイン・ポルトガルが日本侵略を諦めました。
古くも新しくも、日本の技術力というのは目覚ましいもので、それは、一人一人の理解力にほかなりません。その原点こそが寺子屋を始めとする「教育」にあり、勤勉ということが国の原動力になったということが、戦後復興にいかされ、あのような大被害を被っても日本はわずか19年で新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させることが出来たのです。
文/西坂智成
プロフィール
西坂智成
株式会社Brain Communications代表取締役
産経新聞西部本部 電子新聞販売顧問、「ジャーナリスト井上和彦」海外取材・講演企画テクニカルオペレーター、ファイナンシャルプランナー
福岡県嘉麻市出身。地元高校卒業後、大手スーパー、地場コンクリート会社、外資系生命保険会社を経て、企業会計分析・創業支援コンサルタント、ファイナンシャルプランナーとして、「新聞経済欄が理解できるようになる」経済塾を開講。
また、会社経営の傍ら、ジャーナリスト井上和彦氏のオペレーターとして師事し、日本の近現代史の真実を広めるため、井上氏と共に積極的に海外取材を行う。